アメリカは日本に原子爆弾を2発落とした。広島と長崎には主要な軍事施設があったわけではなく、これは明らかに民間人を狙ったもので、国際規約からすれば犯罪である。

広島型原爆はウランを用いたもので、長崎のものはプルトニウム爆弾である。つまり原爆投下が2回必要であったのは、異なった爆弾を実験するためだったのである。またアメリカの学校では原爆投下を「アメリカ兵の犠牲を少なくするために必要であった」と教えている。

一方で日本軍による真珠湾攻撃はスネーク・アタックとしてアメリカでは忌み嫌われている。実際には宣戦布告はワシントンの日本大使館までは届けられていたのだが、何らかのトラブルでアメリカ政府に渡すのが遅れたなどの話しもあるが、あまり弁解の余地があるようには思えない。

日本人がアメリカの原爆投下を非難すれば、アメリカ人は日本軍による真珠湾攻撃を非難することになる。このような話しをすれば議論は泥沼化し、溝は深まるばかりになる。

私が渡米したのはもう30年近く前のことなのだが、このような問題を話題にされたことは一度もなかった。大きな研究所で働いていたからかもしれないが、周りには日本の過去を非難する人などはいなかったし、我々もアメリカの原爆投下を非難したわけではない。

だからといってアメリカ人も我々もこれらを忘れていたわけではない。12月8日にゴルフ場へ行ったりするとちゃんと半旗が掲げられていた。子供の授業参観では原爆のことも教えるので日本人として腹立たしい思いをしたこともある。

どの国の国民にも過去における憤りも懺悔の念もある。しかし過去にとらわれている限り、我々はその呪縛から逃れることはできず、精神状態は不健康になる。そしてそれは国家レベルでは戦争を、個人レベルでは病気をもたらすことになる。

怒りは我々にマイナス面しかもたらさない。どの国の国民でもそうだが、一流の人間は過去にとらわれす、現在と未来を見つめて生きているのだ。