STAP細胞作成のNature論文の共著者である山梨大学教授が論文を取り下げた方がいいとの指摘をしているとのニュースがあった。ウェブで「STAP細胞」を検索してみると様々な記事が見つかる。問題になっているのは図の使い回しと補助データに関する実験法の記載が他人の研究報告とかなりの行数に渡って同じだという指摘である。これらがある程度許されるミスなのか重大なねつ造なのかは調査の正式な結果を待たないといけないが、気になるのは小保方さんの博士号の元になった論文にかなりのねつ造と思われるデータがあるという指摘である。
不思議なことだが人間には癖になる性質があり、ドラッグやアルコールはおろかシンナーにだって中毒になってしまう。一流誌に載る論文にはストーリー性があることが大事だ。つまり読んである程度は面白くないとインパクトがない。またすべてのデータに整合性がなければ論文の審査員に批判される。ところが生物学ではすべてのデータに整合性があるということが滅多にない。そこで少しデータを変えたいという悪魔のささやきが聞こえてくるのであろう。しかし少しでもこのようなことに手を染めると、やがては完全な中毒症状に陥ってしまうのではないかと思う。
Natureのような一流誌だと、ねつ造を論文の審査員が見抜けるはずだという指摘が多い。しかし審査員はねつ造があるかどうかという視点ではなく、論理に整合性があるかどうかという視点で見ていることが多い。もちろんデータが正しいかどうかの判断はするが、一般的にはねつ造かどうかを判断する視点では見ていない。
しかしねつ造を探すのが得意な人もいる。ねつ造を探そうという視点に立てば怪しいデータは見つけることができるのだ。著名な細胞生物学誌 Journal of Cell Biology の編集者は数年にわたってアメリカの細胞生物学会で、同誌に投稿されてきた論文のデータに如何に怪しいものが多いのか、どのようにして手が加えられたのかなどを詳細に紹介してねつ造の防止に努めてきた。そのようなこともあって、データの偽造を見抜く方法は研究者の間でかなり知られている。
STAP細胞の論文では「不自然な記述」ということも問題になっているようだ。これは審査員が論文を審査したときに気づいていても良さそうなものだ。しかしここで多くの人が知らないのは、審査員は審査する論文にものすごく近い人だけが選ばれるというわけでもないということだ。
同じような研究をしていて同じ時期に同じような結論に到達しつつある研究グループは常にいくつかある。競争相手の論文の審査が自分に回ってきたときに掲載を押さえるような評価をしたいという誘惑は、審査員なら誰もが感じることである。しかしこのようなことが横行すると、たとえNatureといえども大事な発見をSicenceやCellといった他の一流誌に取られてしまうことになる。
これを避けるためにNature誌では、投稿されてきた論文の著者の直接の競争相手をその論文の審査員とすることを避けるように配慮しているようだ。私もNature誌の審査員をしたことがあるが、回ってきたのは自分の専門領域ではあるが少しだけ離れた微妙な領域の論文であったのを不思議に思った事がある。
STAP細胞の作成は今のところ共著者の研究室でしか再現できないようだ。この様な大きな発見は日本のサイエンスの大きな成果なので、本当であると思いたい。日本の科学研究ではまだ大ボスがすべてを取り仕切っていることも多いし、とりわけ女性研究者の活躍が少ない。若い女性研究者が自らの研究グループを持ち、大きな発見をして注目されたことは、日本のサイエンスの状況を一変させるものだと思っていた。今はこれが昔の和田心臓移植の様な結果に終わらないことを祈るばかりである。
不思議なことだが人間には癖になる性質があり、ドラッグやアルコールはおろかシンナーにだって中毒になってしまう。一流誌に載る論文にはストーリー性があることが大事だ。つまり読んである程度は面白くないとインパクトがない。またすべてのデータに整合性がなければ論文の審査員に批判される。ところが生物学ではすべてのデータに整合性があるということが滅多にない。そこで少しデータを変えたいという悪魔のささやきが聞こえてくるのであろう。しかし少しでもこのようなことに手を染めると、やがては完全な中毒症状に陥ってしまうのではないかと思う。
Natureのような一流誌だと、ねつ造を論文の審査員が見抜けるはずだという指摘が多い。しかし審査員はねつ造があるかどうかという視点ではなく、論理に整合性があるかどうかという視点で見ていることが多い。もちろんデータが正しいかどうかの判断はするが、一般的にはねつ造かどうかを判断する視点では見ていない。
しかしねつ造を探すのが得意な人もいる。ねつ造を探そうという視点に立てば怪しいデータは見つけることができるのだ。著名な細胞生物学誌 Journal of Cell Biology の編集者は数年にわたってアメリカの細胞生物学会で、同誌に投稿されてきた論文のデータに如何に怪しいものが多いのか、どのようにして手が加えられたのかなどを詳細に紹介してねつ造の防止に努めてきた。そのようなこともあって、データの偽造を見抜く方法は研究者の間でかなり知られている。
STAP細胞の論文では「不自然な記述」ということも問題になっているようだ。これは審査員が論文を審査したときに気づいていても良さそうなものだ。しかしここで多くの人が知らないのは、審査員は審査する論文にものすごく近い人だけが選ばれるというわけでもないということだ。
同じような研究をしていて同じ時期に同じような結論に到達しつつある研究グループは常にいくつかある。競争相手の論文の審査が自分に回ってきたときに掲載を押さえるような評価をしたいという誘惑は、審査員なら誰もが感じることである。しかしこのようなことが横行すると、たとえNatureといえども大事な発見をSicenceやCellといった他の一流誌に取られてしまうことになる。
これを避けるためにNature誌では、投稿されてきた論文の著者の直接の競争相手をその論文の審査員とすることを避けるように配慮しているようだ。私もNature誌の審査員をしたことがあるが、回ってきたのは自分の専門領域ではあるが少しだけ離れた微妙な領域の論文であったのを不思議に思った事がある。
STAP細胞の作成は今のところ共著者の研究室でしか再現できないようだ。この様な大きな発見は日本のサイエンスの大きな成果なので、本当であると思いたい。日本の科学研究ではまだ大ボスがすべてを取り仕切っていることも多いし、とりわけ女性研究者の活躍が少ない。若い女性研究者が自らの研究グループを持ち、大きな発見をして注目されたことは、日本のサイエンスの状況を一変させるものだと思っていた。今はこれが昔の和田心臓移植の様な結果に終わらないことを祈るばかりである。