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a piece of peace ~my words ~

育自も十何年目になりました。今の夢はかっこいいおばぁになることです。

最近ちょっと眠れない夜が増えた。


考えても仕方ないことを考えてしまう。

出さなくて良い答を出そうと思ったり

難しいとわかっていても丸く収めたいと思ったり

ちっぽけな自分なだけに、

限界なんてすぐそこなのに、

矢鱈に努力してみようと思ったり




いつも思っていることだけれど、

人は一人では生きられない。

一人で何とか頑張っているようで実は

必ず誰かに助けてもらっている。

それをどう感じてるかだけなのだ。




私自身、

本当にいつも助けてもらってばかりで、


だからこそ

如何にかこうにか微力ながら、

大好きな人達の支えになりたい、と思ってはいるんだけど、




バランスが悪いんだな、きっと。




自分のしたいコトと、

自分のできるコトの、バランスが悪い。


だからきっと、悩むのだ。




でも

これが私というニンゲンであって、

それでいいんだよ、という人がいて、

それに甘えてそのままで、




だからこそまた、

困ってるあの子のこととか、

聞いていて辛いあの人の噂話とか、


皆みんなが、笑って欲しい、と本当に思う。

そういうコトを私の出来るやり方で、何とかしたいと、思う。


そういう事なら、少々眠れなくても考えたいとさえ、思う。


そして今、

重なって起こる出来事が

悪いタイミングではなく、

何かが良い方向へと導かれているタイミングだ、と

私は信じているんだ。



全ては、

丸く収まるために。





何故なら、




全てを丸く、収めたいから。


皆が笑って、ほしいから。

毎年毎年

やれ異常気象だの

例年と違うだの言いながらも

お彼岸が過ぎるとちゃんと変わっていくし

例年並とはいかないまでも

季節は移ろいでゆく。


それでもやっぱり

ここ数年は異常だと感じている。

天気=まさに天(神さま)の気まぐれ、感が否めない。


気まぐれ、というよりも

神さまが意図してやってるんじゃないかなぁとさえ思っている。

暖かくなったり寒くなったり、ゲリラ豪雨に見舞われたり。

それにリンクするように、自然もそう動いている。


人間は小さい。

自然には敵わない。


常日頃そう感じているのだけれど

ここ最近本当に畏怖を感じざるを得ない。


右往左往している私達、ニンゲン。


必要以上に怖がることは、ない。

日々変わらず過ごせば、いいと思う。

けれども

一日、一刻、大切にする、とか

出会いに意味を見出す、とか

自然のことや地球のことを少しでも考える、とか

前向きな思いを抱くことは、とっても大切。






今日は嵐です。

春の嵐。


何かを思って

何かに気をつけて過ごす、

こういう日も時には必要だよ。

新しいことを 始める時 

新しいものを 見つけた時

どうしても躊躇ってしまう 僕


それはきっと それが

期待しているものより遥かに大切なものになって

思っているより遥かに必要なものになって


いつか 失ってしまった時を思い不安になって

いつか 消えてしまった時を思い怖くなってしまうからだ



それでも

その想いが留まることなく

とても大切でとても必要でとても貴くて

もう手離したくない、と心が感じてしまったらもう


それを

そのことを

精一杯の僕の気持ちで大切にしようと

心が決めているのだ


僕が如何しようなどと

頭で考えている間にすでに

心が

それをとっても大事に扱い愛でるのだ



それはきっと それが


真新しいものではなくて

心が探し求めていた 遥か昔から在ったものなのかもしれない


僕の心の何かが


知っていたものなのかもしれない



つい先日デトっちゃった話、

の後日談。



動くと進む。

少しずつ、とりあえず、ちょこっとずつでいいから

あっちへこっちへ動いてたのがよかったのかな。




少し進みました。



とは言え、


結局、その「彼」には、伝わらなかった。のかもしれない。


というのも


出来れば全てが丸く収まるように考えてきた事に少し疲れてしまって、

もしかしてある意味「諦め」て、他の方向へ進めた方がいいのかも、って


そしてその「彼」も実は

もう何日も何日もまともに顔を合わせておらず

きっとあたしを避けてたんじゃないのかな、と感じていたのだ。


うーん、如何しようか、


そんな総てに諦めが必要なのか?と少し焦っていたんだけどね、





なんと

別の方向へ向いてみようとしたその先に、また新たに現れたのだ、ベツカレが。いや別の人が。



その人は「彼」の、言うなれば愛弟子なのだけれど、

そしてある事に対する情熱さは「彼」譲りなのだけれど、

その「彼」の最大の弱点であるハンパナイ(これホントにハンパナイのよ)いい加減さが、無い。


そしてその人は、その「彼」の尻拭い的な事をしてきたようで、

それを自分の糧にして生きてきたような人。

ものっすごい若いんだけど、落ち着き加減が凄い。

次期リーダーは、この人でしょ、と誰もが感じるオーラすら出てるかも。





まぁ「彼」と比べると雲泥の差じゃん、なんて過大評価はしていけないと思うし

まだ出会って間もないのでまだまだ話さないと分からない部分があるけれど、


昨日皆さんとその新しい「彼(なんだかこんがらがってきた)」と会って話した雰囲気を見てると、

皆さんの安心感が伝わってきて、あたしもほっと胸を撫で下ろしたよ。



その新しい「彼」もあたしをすでに頼ってくれて、

あれこれ聞いてくれるのだけど(どうもリーダーに、『何かあればkanaさんに聞け』と言われたらしいんだけど…こっちに放ってくれるな(`ヘ´)!!)、


自分の考えと、そのほかの人達の考えを天秤にかけつつ、選択しながら

うまいこと進めていく、そういう部分は自信持ってやってます!

kanaさんには聞くこともあるかもですけど、○○さん(リーダーね)みたいに

頼りすぎは良くないって思ってるんで(まぁ至極真っ当な意見だよ)大丈夫です!

っていう持論があるみたいなので、

余分な心配は今の所ないのかな、と思ってます。







やっぱりね、

人は一人ではやってけないのよ。

上に立つ人でも、やっぱり一人でやってけないのよ。

そう思う。




人との関係のバランスは、人それぞれ違うし

出来れば関係がある人達とは良好でいたい、とは思うけれど、

そればかりに躍起になると結局バランスが崩れる。



無理なく、無駄なく。


難しいけれどね。




それでもやっぱり、

出会った縁は大切にしたい。

その人達と、丸い関係でいたい。



ちょぴっと辛いけど、

その中でもしかして合わなくなってきても

それを責めることなく、離れる選択も、ありなのかな。


最近痛切に感じます。





繫がれば切れる。

切れても、結べる。

繋がらなくても、

切れたままでも、



それも総て、受け容れる。





その「彼」とは、別れるべきなのかもな。

あたらしい「彼」と、新しいつながりを作るべきなのかもな。


それもまた、選択なのだ。










次の出逢いのための、別れ、なのだ。

たまにはちょいと吐いて心中デトックス。


って程の事じゃないかもだけど。






思いを伝えることほど、難しいものはない、と常々感じる。


口に出すまでも時間がかかるし、

いざ口に出しても伝わり方が本意ではない場合も多々ある。



人という字はね、

人と人が支えあって…


一人で生きていない、ということを

全ての人は分かってる、と思ってる。

ただそれを本当に感じられるか否か

そう思えるように生きているか否か






ある人に、ある想いを伝え続けている。


それは自分のためではなく、その人を思ってのことで、

さらにその人に関わるたくさんの人達の心中を思ってのことで、


これだけ書くとただのお節介だね。

いや実際、お節介なのかもしれない。



けれど

その人は、常にあたしに意見を乞う。

「どーしたらいいっすかね」

「kanaさんならどーします?」

「これって合ってるかなぁと考えちゃうんすけど」


…うん、それで良いと思いますよ。

…そーだなぁ、あたしだったらこーするかもな。

…合ってるかどうかはやってみないと分からないよ。やってみたらどう?


事実彼の気持ちを酌んで、尊重して、推し進めてきたものもあるけれど

半分くらい、反対意見も述べてたりもしている。

あたし個人の意見、というより、関わっている人達の意見、として。



というのも、、

彼はリーダー、という立場なのだ。


そして私は

その団体に関わっている大勢の人達の、一人、なわけで。

リーダーでも、彼のアドバイザーでも、何でもないのだけれど、

まぁ有り難くも彼は色々尋ねてくれるが故にそれに応えてる、という形。





この不思議な関係はもう、2年続いている。


そして不思議なことに、

リーダーの彼と、それについてってる大勢の人達との間に出来た溝が、埋まらない。

この2年もの間、ずっと。




まぁ不思議ではないのかもね。




何故なら


彼は聞く耳を全く以って持っていないのだから。



じゃぁ一体あたしに何故聞いてくるんだろう?

わからない。

最近ほんっとに、分からない。

只唯一分かってるのは、

彼が聞く耳を持たず彼の理念のもと動いてるっていうことだけ。←気づくの遅い?





必死に「繫がり」を絶つまい、と聞いてくるのかもしれないね。

そしてお人好しの、彼の良い部分を見て信じてる大勢の人達のお陰で何とか成り立ってる、という事に気づかず、「なんか俺ってラッキー♪」って位にしか思ってないのかもしれない。



これまた厄介なことに


あたしの一存じゃ離れられないんだな(いや決して怪しい団体じゃないから!)。


そして皆みんなが、彼以外の大勢の人達の繫がりがとても強くて、

何とかこの溝が埋められるのなら話し合いの場を設けたい、と建設的に思っていて


ただそのリーダーの彼がそう思ってないんだろうな。

けれどそういう風に振舞わずに

「そぉっすね、話しましょうよ!」とか言っちゃうんだな。




もぉ!

手前ぇは一体何がしたいんじゃ!!!

やんのか辞めんのかはっきりせぇや!!!

皆のこれからは手前ぇにかかっとんじゃ!!!



本当は叫びたいのをぐぐっと堪えて


皆のこれからを考えて「話し合いの場」を設けたいと伝えようと思います。



つかこれまた同じこと繰り返してんだけどね。


ちょぴっとでいいから、前に進みたい。

ので色々手を変え品を変え頑張ってみたいと思います。

断捨離。



この言葉を聞いたのは、2年くらい前かな。

仏教用語かなんかと思ってたけどやっぱりヨガの用語(断行、捨行、離行)から来てるらしい。



まぁ要は家の中にある余分な物を捨てましょう、ってな感じのこと。


断=入ってくるもので要らないものを断つ

捨=家にずーっとある、要らない物を捨てる

離=物への執着から離れる



女の人(特に主婦)にありがちな、色々「これ後々使えるかも」っていう諸々を、

オトコノヒトから言わせると「まっっっったくムダで要らんもん」を捨てちまえってことですな。えぇ。



もう何年も何年も

「これ要らんじゃん」「これムダじゃん」「これホントに要るの」「これ・・・」って言われてる、あたし。

その度に「要る」「使う」「とっといて」「あーうるさい!!」って軽く揉めるわけですが



あたしに言わせりゃ

あれもこれも思い出があったり勿体無いと思ったりまぁ無駄だもしれんけど一応、というものもあるにはあるけれど、とにかくそれなりに理由があって取っておいたのだけど



最近もう捨てちまおうかと。



ここ最近、色々な事を思い色々な事をきっかけにして

自分の中で少しずつ線を引いていこうかなって思うようになった。


それはリスタートなのか

はたまたやる気スイッチなのか


年齢を重ねてきて後ろを振り返る必要がなくなってきたのか


とにかく

捨ててしまいたい、という気持ちが強い時みたいです。





そしてその中で一番厄介なのが


物ではない、モノ。



目に見えない思い、想い、念い。

捨てたい、捨てなければ、とい思いも実は多々あったりする。


それが綺麗さっぱりと捨てられたら、

きちんと前に向ける気がするのだけどね。


あたしの性格上、とってもとっても難しいね、あはは。


でも断捨離行、


人生修行の一環なんだろね。







今が頑張り時なのかも、しれないね。






ってなわけで


ぽいぽいぽいっと捨てておしまい!!!!


3.11。


一年前の3月11日、東日本大震災が起きました。

あの日の事は鮮明に覚えている。


あれから

もう1年。


最近、もうすぐ1年だということで

テレビで毎日報道されている。

今一度、考えよう、と呼びかけている。


あれから

もう1年。


何か変わったんだろうか。

何か良い方向へ向かっているんだろうか。



テレビやツイッターを見ていると

ついつい悪い事柄を煽ってるように思える。



全然良くなってない。

何ら変わってない。


嘆きの声、辛い表情、そしてそれを共有できない私。


この1年、私は何をやってきたんだろう。




直接的な援助はしてない。

大きな金銭的な援助も、してない。


じゃぁ何をするべきか。



直接的ではないけれどやっぱり、私がするべきことは、

大切な子ども達を守ること、生きる術を教えることと

悔いなく一日を過ごすことだと思っている。



被災地の人たちは日々一生懸命に生きている。

いつどんな風に不安がなくなるのかを不安に思い、

私達以上に生き辛い中にいる。




でも敢えて言えば


どんな人たちも辛い時期はあるんだと思ってる。

人それぞれに、苦しい時期を過ごし、悩んで苦しんで、生きているんだと思う。


誰が一番辛いだとか

誰の方が苦しいんだとか、そんなのは絶対になくて、


みんなそれぞれに、生きる理由をもって日々過ごしていくのだと思う。





4年前に関わらせて貰った「生命のメッセージ展」。

あの時から、命の大切さ、生きること、生かされていること、を深く考えるようになった。


そして去年起きた大震災で、改めて生きること、日々大切に過ごすこと、

悔いなく一日を過ごそうと考えるようになった。


自分勝手に生きるわけではないけれど、

自分の人生は一度きり、いつこの命が終わっても悔いのないように生きたい、って。


そのためにはやっぱり

日々正しくありたいと思うし、

自分を認めてやらなきゃと思うし、

何よりも大切な人に大切だと伝え大切にしたいと思う。




生きることは愛すること。




忘れてはいけないこと。

Bon voyage !


閏年の閏日、

我らが(と言わせて)東京事変は、解散しました。



前の日記にも書いたけれど

そのニュウスは本当にショッキングなことで、

しばらくは頭真っ白だったよね、うん。


そしてその日を迎えるまでは、信じたくないとか信じられないとか

とにかく耳を押さえて「あ゛ーーーーー」っていう気分だったよね。





その日、

私はシネマビュゥイングという形で迎えたのだけれど

その空間に居るのか居ないのかちょっと実感し難い状況で(汗)

でもやっぱり楽曲を聴きながら体を揺らせながら一緒に歌いながら、


寂しくも清清しい気持ちで楽しんでいる自分がいて

あぁやっぱり事変の音が大好きでその中に生きているんだって感じられて


最後を迎えた時に

事変のメンバーの爽やかな笑顔を見ることができて

事変愛好家で幸せなんだなぁって思ったんだ。



そしてやっぱり

事変の音を共有した大切な人たちがいて

それを実感できて嬉しくて








すでに閏日から何日か経ってるけれど

あたしの周りには事変の音で溢れています。


あたしの頭ん中、

ラヂオ、 iPod 、 CDプレーヤー。


今もあたしの後ろでちびお@小1が「ほんとのところ」を熱唱中。

チビ作兄ぃも、カラーバーを聴いてます。



事変と同じ時代に生まれ出会えたことに感謝。


そしてやっぱり潔く言うんだ、



ありがとーーーー!!!

あなたは、


何の心配もなく

変化が訪れることのない

ゆったりした道だけを歩きたいですか




あなたは、


どんな強風でも

真っ向から受け止める気迫で

山道を登りたいですか







この世に生を受けてもうすぐ40年になる私は

日々慌しく過ごしています。


まぁ不器用だしね

一度に一つ以上のことが出来ないゆえに

家事育児そして自分の事を

うまくまわせずバタバタとこなして(るのか?)います。



そして

毎日毎日の暮らしの中で

物事をこなす、という物質的なものだけじゃなく

心の内もとにかく忙しく

あっちのこと、こっちのこと、

あの人のこと、この人のこと、

如何したらうまくまわっていくのか考えて考えてるので

なんだかねぇ、一日が終わることどどっと疲れてしまっていうのです。



でもそれは決して嫌ではなくて寧ろ、

色々な事が出来て

色々な人たちと関われて

あぁ私は恵まれているんだな、という心地よい疲れと共に寝られるんだけれども


私もまぁ軟弱なニンゲンゆえに

毎日毎日は前向きになれないわけです。




時に

あぁ何もかも取っ払って

只々平坦な道を歩いていきたいなぁとか


いやいや

どんな困難もドンと来い!

向かい風に走っていったるわぃな!とか



ころころころころ変わるわけで

そんな自分に嫌気がさしたりもするんだけれど




今年は自身の生きてく目標に「受け容れる」と掲げました。


それは縁があって出会ってくれた大切な人に教えてもらったことで、


あぁ私というニンゲンはまだまだだけれども、

こうやって、こんな私に出会ってくれる人たちが居るからこそ

自身が成長できるわけで、

それにトライできないって何て勿体無いことだろうって。



不器用な私も

ころころ変わる私も

私 というニンゲンで

それを自身が認めないなら一体誰が認めるんだろうって

今更ながら思ったわけです。






そんなわけで


凸凹人生を軽快に歩いていきたいな、と

40を前に軽く掲げたのでした。







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苦しい気持ちは吐露していいものか。



止まらない涙は流していいものか。









こんなにも大切で

こんなにも守りたくて

こんなにも分かっていて



今すぐにでも

如何にかなるものならしたいのに


出来ないということ







あんなにも愛しくて

あんなにも切なくて

あんなにももどかしくて







今すぐにでも

如何にかしたいという衝動に駆られるのに



出来ないということ





辛くて辛くて

悲しくて悲しくて

責めて責めて




それでもやっぱり

如何にもならないということ






出る答えはなく

何時か分かるときがくると知っていても

悲しみに溢れている自身の心に

どうにもこうにも戸惑っているのだ。




この苦しい気持ちは吐露していいものか。




この止まらない涙は流してもいいものか。






苦しみも悲しみも含めて

この愛を守る覚悟をしたのだと



泣きながら叫んでも、いいものか。