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a piece of peace ~my words ~

育自も十何年目になりました。今の夢はかっこいいおばぁになることです。

少し前に、自分なりの「受け容れる」を出来てる気がする、と書いたけれど

あれから実は、滞ってしまって、いる。


自身の中で、これとこれは必要、これはもう要らない、

思い切って「嫌い!」って認めてしまおう、そうやってきたのだけれど


どうも、道を誤ったのか何なのか、

今自分が何処に居るのか分からなくなってしまった。


此処に居る意味が分からない。

何故居なければならないのか分からない。


誰を信じたらいいか分からない。

だって自身の気持ちを信じられないのだから。


失礼な話だ、と思う。

いいよいいよ、と言ってくれる人たちが居るのに。

大丈夫だよ、と言ってくれる人たちが居るのに。




嫌い、という感情を持つことが苦手だった。

誰かを嫌ったら、誰かがあたしを嫌う、と思うと、怖かったのだ。


でも認めてしまった。

あたしは嫌いな人が、いる。

その途端、何かしら安堵感と共に、燻っていた気持ちが一気に押し出てきてしまったのだ。

それは、無理をして我慢してきたものだ、という事を、知ってしまったのだ。





それからずーっと、路頭に迷っている状態らしい。



こんなだから、独りがいい、と思ってしまう自分がいる。


もっと気楽に生きようぜ?って言える自分よりも今は

あぁどうしてこんなんだろうって責める自分が、いる。


そうして嫌われて、引かれて、皆が去っていってくれたらいい、とも思う。

あぁなんてイヤなやつ。









それなのに


大好きな人たちに

助けて、と甘えたい気持ちがあるから


こうやって書いてるんだろうな。











こうやって。



ごめんなさい。

i made this flower wither finally.




ぼくはずっと、大切にしてきた花があった



種を植えて

毎日水をやり

お日様に当ててやり


時々間引きをしたり

それは枯れそうになったり

伸びすぎてしまったり

とにかく手間のかかる花だったのだ




枯れないように

しおれてしまわないように

何時どんな時でも必死だった


もし枯れてしまったら

嘆き悲しむ人たちが多いのだと思うとやめられなくて






でもとうとう疲れ果ててしまった

花よりも先にぼくがしおれていくことに気づいたのだ



一体ぼくは何のために誰のために

この花を咲かせたまま枯らすまいと躍起になっているのだろう


何故ぼく自身が疲れ切ってまでこの花を咲かせ続ける意味があるのだろう




それに気づいた時

ぼくは手に握り続けていた如雨露を

離していたのだった









そして花は枯れたのだ


ぼくが枯らしたのかもしれない

けれど

もう潮時だったのかもしれないとも思う













花は


枯れたのだ

日々忘れないように、考えている事がある。


やっぱり、「イジメ」に、ついて。





あたしの中では、この地球上すべての人間が

もっともっと「愛」について考えないと「世界平和」なんて到底あり得ないと思っているからだ。


こういう話になると、引かれちゃうので覚悟も要るのだけれど。

あたしは宗教家でもないし、メンタリストでも何でもないけど、

昨今の日本人の愛の少なさに、ちょっと危惧感を覚えるのだ。


愛ってね、重い軽いっていう話じゃないと思うし、

恥ずかしいとか照れくさい、とかいう話でもないと思うんだ。



自分を大切にする。

大切な誰かがいる。

これがあると幸せな気持ちになる、何かがある。


そういった、事だと思うんだよ。











あたしには、教え子がいます。

個人的に英語を教え始めて2年になる、息子の同級生達。


チビ作くんのお母さんだけれども、

会うと「先生~(^^)ノシ」と駆け寄ってきてくれる、可愛い子たち。


その中の一人の子が、最近悩みを話してくれた。






この前ね、学校で掃除してた時に、雑巾をふりまわしてたの。

遊びながら、掃除してたんだけど。

その時に、○○ちゃんに、当たっちゃったんだ。

それで、あたしね、「あ、ごめん」って軽く謝ったんだ。

だって、わざとじゃないもん。


そしたら○○ちゃんが、お母さんに言いつけて、

○○ちゃんのお父さんとお母さんが家に来て、大声で「うちの娘にあやまれ」って。

「うちの○○をイジメるなんて!」って。


怖かったし、イヤだった。

ママは謝って、帰った後、「あんなの可笑しい。でも世の中いろんな人いるから、

今度会ったら○○ちゃんに謝りなさい」って。


あたし、ちゃんと説明したんだよ。

でもおじさんもおばさんも怒ってて、聞いてくれなかった。


すっごくイヤだった。











彼女は、○○ちゃんから、「イジメられた」と加害者にされたわけです。


これ、とっても難しい話だなって思った。


前にも書いたけれど、いじめられた子が、「いじめられた」と感じたら、それは「イジメ」なのだ。


そして加筆すると、

実はその○○ちゃんという子と、そのご両親は、所謂「モンスター」と呼ばれるに値するような人たち。

今までにも、こうやって、トラブルを起こしてきている。



うちの娘がイジメられた。

犯人を探して謝らせろ。


こういった類の事を、学校を巻き込んで何度も話があがってきている、人たち。



そうなると


○○ちゃんは、何か嫌な事があると、お父さんお母さんに話せば解決できる、と覚え、

何度も何度もちょっとした事で同じようなことを繰り返す。


今や先生たちは、事を大きくしたくない一心で、犯人探しをし、一緒に謝罪する。


子ども達は、そんな○○ちゃんが厄介だと感じ、どうしても邪険な扱いをしてしまう。


○○ちゃんはまた自分の親に、「告げ口」をする。



とってもとっても悪循環、負のループから抜け出せないのだ。


そしてこれを、「イジメ」という簡単な言葉として出してしまう、更に負の連鎖。






これって、一体、何が悪いと思う?



あたしはやっぱり、これに関わるオトナの対応の、悪さ、だと思うんだ。


事実を確かめ、○○ちゃんを含めて、しっかりと話を交えるのだ。

人間は感情の生き物だから、自分に非があっても中々認めない。

子どもなら、尚更。だって怒られるの、イヤだもんね。






すごくすごく言葉を選んで、あたしはその子に話した。



あたし「あのね、まずさ、★★は、雑巾を振り回してたんでしょ。

それはいかんことって、分かる?よね?」


★★「うん」


あたし「それでさ、さらにあたっちゃったの、確かに悪気はなくてもさ、その綺麗じゃないやつが、

○○ちゃんにあたったんだからさ、軽く謝るのって、どう思う?」


★★「…いかんと思う。ちゃんと謝らなきゃ、いけない」


あたし「だよね。せんせが思うにさ、そこが○○ちゃんは、イヤだったんじゃない?

それは『イジメ』じゃないと、せんせも思うけどね。でも、★★は、ちゃんと出来る子だから、

そこは失敗しちゃったねぇ。」


★★「…そっか。でもさ、おじさんとか、すっごく怖くて、超イヤだった」


あたし「うん、それはね、★★のママが言う通りで(^^;)色んな人がいるってことだね。

良い人悪い人、オトナもコドモも、いるもんね。合う人合わない人、いるんだよね。

★★はさ、ちゃんと謝らなきゃって、思えたんだから、○○ちゃんのお父さんは抜きにして、

○○ちゃんには、きちんと謝るんだよね?それでもう、充分だよ。

オトナはオトナで、何とかするよ。ママが、ちゃんと、してくれるはずだよ」


★★「わかった。先生に話したら、スッキリした(^^)」







子どもは親を、選べない。

親になった以上は、そういう責任を、それなりに、考えて、生きていかなきゃいけない、って思う。

何も完璧な親になれ、というわけではなく、間違えてもまた学べばいいんだから、


友達、家族、そして自分自身をしっかり見つめて

思い遣り(=愛ですよ、ここ大切ですよっ)の気持ちで向き合うこと。




こんな事言ったって、


あたしだって親としての自信は、無いし、

先生って慕ってくれる子たちに対して、ちゃんと向き合えてるのかは

いつも考え悩む。



でもどんな子ども達もホントはいい子で、

この子たちの表情が曇らないように、どんな子たちにも、手を差し伸べたい、と思う。














まわりくどいようですが



これすべて、


愛を以って尊しと成す



じゃないのかなぁって


本当に本当に、思うんだ。



物事を続けるって、結構な労力が、要る。

好きなことですら、ついつい怠ってしまう時が、ある。



日々淡々と同じことの繰り返しの中で

笑ったり怒ったり悩んだり堪えたり、


それでも此れだと決めた事をし続ける、ということ。





子ども達が寝る前は、必ず抱きしめること。


自身が寝る前は、必ず笑顔でいること。


ありがとうを、伝えること。


まだ同じ国で辛い生活を強いられている人たちの事を想い、

早く希望を持って暮らしてほしい、とお祈りすること。




ついつい物事を憂いてしまうあたしは

出来るだけ、出来るときは、前を向けるように努める。

凸凹しているけれど、幸せな時は、思い切り噛み締めて、

辛い時は悩ましく思う。



それでもやっぱり、


自分が決めたことは、続けていたい、と思っている。




愛 を持って

思い遣り を持って、過ごしたいから。



大切な大切な人たちを、大切に大切に思いたいから。




それが色々なこの世界の苦しいことが、少しでも減っていくような事になればなぁって思うんだ。









ここ数日、毎日ニュースが流れる、「虐め」の問題。


観る度に感じる、違和感と憤りと、悲しみ。


虐めは無くならない、という前提での話、

目には目を、的なコメント、

「虐めの因果関係を認める可能性が高くなった」という回りくどい、言い回し。



文科省が「虐めの定義」として、数年前『いじめ、とは、被害を受けている本人が、身体的精神的に苦痛を感じるか否か』『そういった苦痛を断続的に受けているか否か』という文言を提起したのだけれど




そもそも文科省が決めるこっちゃ、ないわけで。

それはあれでしょ、じゃぁそういった事態が起きた時に、

どこのどなたが責任を負わなきゃいけないか、とか

どこのどなたは責任を逃れられるか、とか

そういう点での線の引き方を決めただけであって



日々阿呆面のオトナ達が、責任転嫁してる映像を流す方が不健康で不信感増量。

マスコミもさ、もっとさ、まともな考え放送する気、ないの?



ネット上でも、加害者の名前を晒したり

よって集って「制裁を!」みたいな発言してみたり、

その正義感、大幅に間違ってるから。それ正義じゃないし。

それこそが「いじめ」だと、気づかないと、確かに虐めは根絶しないかもね。






世の中悪いことばかりじゃない。

悪いことってね、目立つのさ。

でもね、そうじゃない事を、本当は知ってるはずなんだよね。



目に見えない不安と焦りが、今はクローズアップされ過ぎてる。

あたしはそんなの、反対だ。絶対に、イヤだ。




イジメって言葉、簡潔だけれど、

その一言で済まされる問題ではないことが、増えている。


殴る蹴るは 暴行 です。

金を巻き上げるは 恐喝。

嫌な事をさせるは 強要。


自殺に追い込むくらい、生きる気力を取り上げた。


これは、殺人です。

手を下さない、卑怯な殺人。


これは、いじめ、じゃないのよ。

一言で、済まされる、事じゃないの。

尊い命が、失われてるの。こんな悲しいことって、ないじゃない。







そして大人たちへ。


今のいじめの元凶は、あたし達大人の責任だ、ということ、もっと話し合うべきだ。


親。

先生。

近所のオトナ達。


何が正しくて何がいけないのか

堂々と言えない、言わなくなった、あたし達大人の、責任なんだ。



本気でいじめを無くしたい、と考えているのなら、

今一度、自身の大人としての責任を、考えていこうよ。



何か悪いことをしたら罰せられる、というのはあくまでも表面上の抑止力なだけであって

根本的な所…一番時間がかかる所だけれど、そこをもっともっと意識していこうよ。





思い遣り。

愛。

一番、大切な、もの。


難しい、面倒臭い、そんな事思わないで、どうか。

どうか。














どうか。

あちらこちらで呟いておるあたくしですが

2012年も早半分過ぎていきました。


念頭に立てた目標「受け容れる」。


受け容れるって何だろう、まずそこからのスタート。

ただ闇雲にあれもこれもそれも、まずは自分に取り入れて、

そこから選って、ってやるんだと、何となく思ってた。


でもそれって、結構難しくて、いや相当難しくて、

自分に向かってくるもの全て取り入れるだけで、相当な労力で、

憂いたり悩んだり泣いたり、マイナス部分の方が多くてきつかったのだった。



それでも何とか今日まで来れたのは、

嘆いたり憂いたりと甘ちゃんなあたしに、

根気よく声をかけてくれた、大切な人たちの存在があったから。


お陰で、鳥渡ずつ、受け容れるの何たるかが、分かってきたような、気がするんだ。


自分と何かしら関わっている人たちと、繋がっている以上は、

如何にかこうにかして、円滑に良好にいかなければ、とずーっと思っていた。

勿論それはある意味正しいのかもしれないけれど、

そこに無理が生じると、歪んでいってしまう。

そしてその歪みを正そうと、また歪ませてしまったり。それに躍起になったり。

それで疲れてしまっていた自分がいた。


でも鳥渡待てよ、

口には出さぬとも悪い感情が渦巻いていて、それを自分を責めるだけに終始してたら、

何も変わらないじゃない。

そのパワーは負のもので、それを正しく使ったらどうよ?

もっと認めてあげて、自分が出来ない、無理、って思ったものは、切り捨てちゃってもいいんじゃない?


そう思ったら気持ちがスーっと楽になって。


もう少し、自分がこうしたい、こう在りたいって思う事を出しても、そろそろ良いんじゃない?って。

それでもし、何かを断ち切ることがあっても、悔いは、ないの。自分が、選択したのだから。








これも、教えてもらったことだけれど。


あたし達が生きている「今」という時間が、何よりも大切。

勿論明日未来のことを考えることも大事だし、

時に過去を省みて自分の糧にすることも必要。


けれど、嘆いたり憂いたりしたって、何にも、本当に、何にも、変わらないの。


そんな事よりも、今、何をしたくて何をしていて、っていう事の方が、大切。

刹那って、本当はそういう意味らしいけれど。

今、というこの瞬間ほど大切な時間は、ない、ということ。





そして今の今、


あたしは君たちを愛していて、有り難く感じていて、君たちを想うと笑顔に成れる、という真実。


これだけでもう、あたしの今は幸せだ、ということ。




きっと、でも、また、悩んだり考えたり、するだろうけれど(汗)


鳥渡ずつ、鳥渡ずつ、進んでいきたい。






ありがとう。





そんなわけで、

あと半分の目標は、これにプラス、思い遣りと愛をたっぷり、と。


やっぱり叫ぶべきは、愛、なのよ。

そんなの、分かってたはずだよ、端っから。







それでも、若しかしたら、と思っていた。

それでも、成れるかしら、と思っていた。





でもやっぱり、違ったみたいだよ。









然様なら

自らが何者であるかを

真っ向から凝視めていれたなら

分かっていたことなのに。











菫は、菫。

薔薇には所詮、なれぬのよ。

はい、断捨離しますよーと呟いてから2ヶ月くらい。


要らないか!もぉいいか!と

ぽいぽいぽいぽい捨てだしたら、結構出る出る、無駄なもの。


無駄なもの。


今はね。




でもね、きっとその時、必要だった。

すがる何かが。

その時抱えてた思いを、それらに託して、取っておきたかった。


だから、その時は、誰に何を言われようと、無駄じゃなかったの。





って

今は思います。


だから、ありがとうって呟きながら捨てました。



大袈裟かもしれないけど、


人は一人では生きていない。

それは分かってる、よぉく分かってる。

当たり前に誰かに支えてもらってて、有り難うも言わずに、

時に文句も言ったりして、でもやっぱり一人じゃ、ないんだよね。



でもね、

独りだな、と感じてしまうことって、あるんだよね。

それはあたし自身の問題でもあるんだけども


どんなに恵まれていても

どんなに有り難いと思っていても心のどっかで

独りなのかな、独りの方が楽だったりするかも、独りっぽっちって…って

感じてしまう時が、あるのです。



そんな時、何かに頼ったりすがったりする。

それが人だと、あぁ迷惑かけちゃうな、とか心配かけちゃうな、ってまた考えるけれど、

それが物だったりすると、何とも言えない安心感があったり、する。

動物さんも、然り。





感情のある人間として生まれた以上は、

この与えられた命の限りに考え続けるし悩んだりもするさ。


そうやって断捨離をして無駄を省いて

そんな自分を受け容れて認めて許して

少しでもまっとうに生きられるようにしなきゃな、って思う。




そんなわけで

本日まったり、断捨離しつつ、

最近の自分をまた受け容れつつ、


お掃除再開、いたします。

争いの中に身を投じてしまったとき



そうするつもりはなかったのに其処に居るとき


心苦しくて

如何にか取り繕いたくて

自分の中の 精一杯の平穏を出してみる



あの人はこう言ってたのよ

その人はああ言ってたんだって

貴方はどう思うの

貴女はどうするつもりなの

彼方は






檻の中

足枷をつけて

それでも笑っていたいと思う




何故なら


僕は何一つ

悪いことはしてないのだから




そして



檻の中に入ったのも

足枷をつけたのも




僕自身だから







それが檻なのか

足元にあるのは錘なのか





僕自身 本当は 分かっていないのだから






それが何なのかは

昨今


竜巻、突風、ゲリラ豪雨、雷…


「異常気象です!」とか

「如何に竜巻から身を守るか」とか

イケメン俳優、実は三股だった!とか


政治家とかいう

お偉いおじさん達が

「家庭のあるべき姿とは・・・」って語ったりとか






全てが異常。







うん、異常です、って

一言で済まされる話じゃぁないよね。






私達は地球の上に、

自然の中に、生かされている。生かしてもらっている。


まるでニンゲン様が

この星の上に住んでやってる、みたいな

このオレ様達が、

好き勝手に自然を支配できている、みたいな


とってもちっぽけな争いを日常的に行っている。




ちょっと切なくてちょっと腹立たしくてちょっと情けない。


自分も含めて、ニンゲンのなんて小さなこと。




このメッセージを、如何受け止めるのか。





何をしたらいい?

どうすれば?



そう考えられたら万々歳。




なんでだよ。

誰の所為だよ。



そう考えちゃったら、お終い。