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a piece of peace ~my words ~

育自も十何年目になりました。今の夢はかっこいいおばぁになることです。

今朝、起きるのを渋ったチビ作。

新学期ブルーだな。

小さい頃から冷めていた彼は、とにかく物事を始める事にもの凄くネガティブだ。オトナ並みに神経質になり、期待より不安が大きく上回る。

こういう書き方をすると語弊があるかな。


これが彼の性格なのだ。
チビ作は小さい頃から細かい所によく気がつく、良い事もそうでない事も。

これが一部のオトナから煙たがられていた。そして其れを本人も気づいていた。

でもね、ちょっとした事に対して彼は「ママ、○○してくれてありがとね」って言ってくれる、優しい優しい子なのだ。


まぁそんな繊細なチビ作、コーチや先生などから、何かと勿体無いと言われて生きてきた。
やれば出来るのに、男だからやらなきゃいかんのに、と。
母さんとしても、分からんでもない。あと一歩、自身で踏み出せればな、と色んな場面でそう思ってきたけれど、でも何言ったって、本人がその意思がなければ仕方がない。

けれど、先を少しだけ長く生きて少しだけ多く経験してるオトナとして、何か導いてやりたいと思う。


そして其の導きを「正しく」行うべきは、一日の大半を共に過ごす先生にもお願いしたいと思うのは、親のエゴだろうか。


話を戻すと、

今朝チビ作が渋った理由を、時間のない中で聞いてみると、先生に怒られ、其の際に「目障りだから体育祭の練習に参加するな」と言われた、と。
何か間違えた事したの?と聞くと、体操服に着替え、教室を出るのが最後になったので、戸締りして電気を切ってから集合場所に行ったら遅刻だったので、謝ったら「全体練習でお前ら(二人で遅れたらしい)が遅れると皆に迷惑だろ」。理由を述べてもう一度謝ったら、目障りだ、と。

常々教室を最後に出る人が戸締り確認してこい、開けっ放し点けっぱなしな位なら多少遅れてもきちんとしてこい、と言われてるからやったし、きちんと謝ったのに、と。




まぁさ、遅れて皆に迷惑かけたのは事実だから、それは反省しなきゃね。
でもね、「目障りだ」は、ないな、と。他の言葉がなかったのかな、と思う。しかも練習に参加するな、は意地悪だなぁ。毎度遅れてる、とか反省してない、とかならまぁ分からんでもないけれど。

先生もニンゲンだ、完璧な指導者ではない。イライラする事もあるだろうし、感情のまま子ども達にぶつける事もあるだろう。

けれど。


けれど。


言葉。
コトノハ。

あたしは常に、此処にも書いてるけれど、言魂だと思っているので、何となしに、とか思ったままに放った言葉は、時として矢になり相手の心に突き刺さる、という事を考えて欲しいなと願う。
少しの思い遣りが、相手の心を、矢ではなく、柔らかくて丸くて温かいものでふんわり包めるのに、と。


チビ作と帰宅後、反省すべき事、気にしなくて良い事、其々話をして、あなたのした事で間違っていない部分は堂々としてなさい、と伝えた。

まぁ難しいけどね。

親のあたしも、偏らないようにしなきゃなと思う。


けれど何時だって、子どもの味方でいるのだ。何時だって。
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時々くる、
自身の心に現れる
要らない葛藤。

要らない、というのは、
今何れだけ考えても解決には至らないから、という意味。

でもきっと、この時間こそが自分と向き合う時なのであって、此れは誰にも話さない、話せない、こと。




どう思う?

なんて聞いてしまう時は、唯背中を押して欲しかったり、共感して欲しかったり、という甘えの時。




でも大切な、大好きな人にだけ聞いて貰いたいし、でもこんな事話しても困らせるだけだし、って


嗚呼。



これを悩みと云わずして何と云おう。



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あたしは今、バイトをしています。

正社員として働いていた期間は三年だけで、あとはバイトばかり。

そして今のバイトに就くまでは、10年以上ブランクがあったので、とても新鮮な気持ちです。

仕事内容は初めてだけれども、今までの経験は色んな場面で役立ってるなと思う。


今一番苦戦しているのが、ニンゲン関係。こればかりは、人と関係わる以上は、ぶつかる所で、自分と向き合う為の経験と思うしかないのかな。

本音を言っちゃえば、仕事先の人付き合いは如何でも良い。
お給料を貰うだけの、仕事をきちんとこなしたい。お客様商売なので、お客様に満足いく接客に力を入れたい。
裏のニンゲン関係なんて、二の次。とさえ思う。

けれど、そうはいかない事もあるのよね。
出来れば丸く在れば、仕事も効率良くなる事もあるから。
そして仕事ももっと、楽しくなるもの。弊害なく働くって、難しいね。



それにしても

女の人ってさ、字の如くさ、
妬み嫉みが多いのよ。
そんな気持ちを持たずにいたら、自身が一番気が楽だろうにな。



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人は何かしら、大なり小なり悩みを抱えているものだ。

愚痴という形で吐いてしまえるもの、
辛く苦しくて口に出せないもの、
笑い飛ばしてしまえるもの、


‥と書いてみたけれど、此れは実は自身の捉え方向き合い方の違いだ。

何にせよ、誰かに協力願って寄り添って貰う事が多く、そして其れ等が在る故に人は人と繋がっているわけで。


大切な人が悩み苦しんでいるのを、如何にかしたいと想う。

話を聞いたら楽になるのかな。
只寄り添ったら良いのかな。
いや待てよ、そっと離れてた方が良いかもしれない。

でもついつい馬鹿に明るく振る舞ってしまう性分。





でもあたしは何時でも、馬鹿で在りたいと思うんだ。




本当に。

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血気盛んであったり
壊れやすいガラス細工の様であったり

その時その時で感情の形や受け止め型はとても沢山ある。

子どもの時でも、オトナになってからも、様々に感じているものだ。

ある人が、何かを言うとしよう。
その人から発せられた言葉は、

死ね


だったとしよう。

この言葉は、とても重くて苦しいコトダマです。

軽い冗談のつもりで、

という言い訳は一切通用しない言葉の一つだと思う。

少なくともあたしにとって、一番嫌いな、悲しい、言葉。
だから、自分の子どもだけでない、関わってる子ども達には、口にしたら相手が苦しみ悩むコトダマだと伝えてます。

100%口にするな、とは言えないけれど、相手が悲しむという事は心に留めて置いて欲しい、と思います。


そんな中で、
兄ぃの部内で起きた事。

死ね、部活に来るな、と言われた兄ぃの友達は、泣いた。
中学生が、辛いと泣いたのだ。

兄ぃは憤慨して帰ってきて、先生に話すとその友達に電話で話していた。

今日練習試合の応援に行ったのだけれど、兄ぃはその友達と居た。
兄ぃは直接悪い言葉を吐いたチームメイトを咎める勇気はないけれど、彼なりに側に居るという事で友達を守っていたのだった。

この年代になると、親は介入しないし出来ないしするべきではない。
子ども達で、乗り越えて欲しいと思う。後ろで見守りながら、支えるしか。

そして出来るだけ、オトナの責任として、コトダマの大切さを伝えていくのだ。



言葉はね、

君の心の表れなんだよ。
と。
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目の前に姿形が在って
その瞳をしっかりと見据えて
君がどんなにか大切で有るかと
云えたのならば



そして
其れが出来ぬ僕。
モドカシイ。



モドカシイ。

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何年か子どもに英語を教えているのだけれど、「教える」という事は難しいことではないと思ってました。

つい最近まで。

でも違ってた。

受け入れ態勢バッチリで、教わりたい!と思ってる相手には通用するけど、そうでない相手に教える事こそが教えるという意義があって、それは何て難しいんだろうと痛感している。

そして逆の立場にいても、そんな形で伝えられても理解納得出来ねぇ!と反発する感情が沸いたりもして、いやはや教える教わるって深いなぁと感じている今日この頃。




子ども達に接していると、
彼らの学びたい事、あたしが伝えたい事、保護者がして欲しい事が中々合致しなくて悩ましいと思う時がある。
大抵、保護者の欲する事が、結構厄介だったりする。

あたしも親の端くれ、けれども勉強なんて二の次だと思ってるので、保護者からしたら、あたしが厄介なのかもな。

でも自分の子どもを見ていても、自身の過去を振り返っても、やる気スイッチなんて手前ぇで押すわけで、親が躍起になって探すもんじゃないと思う。

そんな人が先生だからか、この先ここで続ける事を迷っていると今日告げられ、少し凹んでおる次第です。

でも彼女等は、See you next week! って帰ってったし、学校で分からん事あったら聞きに来ていぃ?と言ってくれた。それでも決定権は保護者にあるんだよな。


伝える事の難しさ。



教える事の難しさ。



まだまだだなぁ。


算数は大の苦手です(なんだいきなり)。
英語と音楽は大好き。得意分野。

人と話すのは好きです。話していて、その為人を知れるのが好い。

片付けは苦手。でも嫌いじゃない。
料理は大好き。でも段取りは苦手かも。



ニンゲン誰しも完璧ではない。
100% 全て総じて何でも出来てしまう人なんて、居ない。

勿論、それを目指して生きている人はいるし、何にも気にしていない人もいる。

そして、自分は100 出来ている、と自信を持っている人もいる、若しかしてそれが100 ではなかったとしても。


皆みんな、其々に、好きなこと苦手なことが有るのが当然で、凸凹凸凹してるからこそ、自分以外の誰かと支え合い助け合い持ちつ持たれつで、それでこそのこの人の数なんだと思う。

だから合わない人反発する人も在って当然なのだ。


自分は100出来ていて、100やってるのに、あの人は50しかやらない、その人に至っては20しか出来てない、と自分の首を締めている、それはまるで裸の王様。


心の中に、~のに、が入ると途端にネガティブになるよね。
のに、は要らない。
そうすればきっと、楽になる。





最近始めたお仕事は、お店屋さんなのだけど、口を開けば自分以外の人達は何も出来てない、あなたは仕事が遅い、あの人はやる気がない、兎に角ネガティブワードのてんこ盛り。

聞き流そうにも裏でヒソヒソ話してるそのオーラにやられている。

けれど先日にも書いたように、これは気にしぃ返上の為の修行だ!と思うようにしてる。

そしてその人も、色々考えてくれている故の不安や心配が先走りすぎてるんだな、と思うようにしてる。


そんなこんなの、新年度。


お彼岸をすぎても、中々暖かくならない。暑いなぁと思ったら寒っ‼てな日になったり。

天気はお天道様の気持ち。

そう思うと、かみさまも今のあたし達を見て嘆いたりしてるんだろうか。
自然には抗えないと感じているニンゲンは、何れほど居るんだろうか。




毎日慌ただしく生きている。
表情がくるくる変わる子ども達。
泣いたり笑ったり転がったり、それは忙しい。
パートで働くようになって、さらに慌ただしくしている母さんに、全身全霊で向かってくる子ども達は、バタバタしてつい顔を見て話を聞いてやれない時すら一生懸命話し掛けてくれる。

彼等の存在は本当に有り難くて暖かくて愛おしい。
何が何でも此の子等は守ると決めている。
なんて言いながら結局は子等に守られてる気がしてしまうか弱い母さんだけど。



仕事は楽しい。

あたしは人と接するのが基本的に好きなんだと思う。
勿論様々な人達と毎日顔を合わせるので、楽しいばかりではないし、何処へ行っても理不尽な輩は居たりして、凹んだり悩んだり。


其れでも家に一人でじっとしてるよりかは好いな。






日々大好きな、気のおけない人達と居られたらこの上なく幸せだけれども、其れではきっとダメなんだな。

あたしは至らない部分が多いから、それを直そうとは思えど、苦手な故にその気に成れない。
けれど誰かと接して気づく事で、直せていけるのかな、と思う。


そんな事をここ暫く、ずっと、心の何処かで考えてます。


気にしぃ返上。
今年のマニフェストだけど、少しは意識して生きてるのよ。

其れを気づかせてくれるのは、大好きな人だったり、苦手な人だったり、尊敬する人だったり、本当はもう関わりたくない人だったり。




感情の塊なのよ。


ニンゲンだもの、ね。
謹賀新年。

マヤ暦での一括りが終わり、わけの分からぬ感じで何と無く騒然としてましたが、あっさりと2013年を迎えました。

きっと、宇宙的には本当に何かの一区切りであったのかもなぁとぼんやり感じたりもしてますが、ちっぽけな地球のちっぽけなニンゲンのあたし、何ら変わりはないのです。

さて。

一年の計は元旦にあり。
ってもう日付け変わってるやん。

つい先日昨年末に書いたばかりだけども、2012年は「受け容れる」をマニフェストとして過ごしてきたわけですが、今年は何にしようかな。

そうだな、今年は大らかでありたい。
気にしぃのあたしにとって、「気にしないでね」と言われるのは、実は難しい事で、色々な人達の一言を、様々に受け取り考えてしまうのです。



コトノハ。

言葉は言魂だと、あたしは感じている。
何の気なしに、とかそんな気はないけど、っていう文言は、無いと思っているのだ。
その人が何かを感じ思い、それが言葉として口から発するのだと思う。

だから、相手が誰であれ、ワンクッション置いて、伝えるようにしている。

もちろん時には感情の侭に伝える事も必要で、相手が大切な存在なら尚更、自身の素直な想いを伝えたい。
けれど、それに依って、相手が嫌な気持ちになったら厭だなぁと考えると、如何伝えよかな、と想いあぐねるのだ。


其処が、気にしぃの部分。


それを、も少し、気にしないでいきたいのよ。

其れはね、昨年の受け容れるにも言えることかなって思う。
自身を信じて、自身を許して、相手を信じることに繋がるのかなって。


うん、そういう訳で、
また一つ、マニフェストを掲げたよ。


大切な皆、今年もよろしくね。