昨日、お母さんと
話していたんだけど、
トーマスの日本語の話になった。
トーマスは、
私がずっと日本語で
話しかけてきたから、
やさしい日本語なら
理解できる。
でも、
話すことはほとんどできない。
多分これは、
「あるある」だと思う。
お母さんが日本語で話しかけて、
子どもが英語で答える。
私の日本語もそう。
聞くのは大丈夫でも、
話していないと出にくくなる。
自分の母国語なのにね。
ここまでが余談なんだけど、
母がトーマスに
日本語を覚えてほしいのは、
孫と話したいから、
という単純な理由だけではない。
もちろん、
それもあるけれど、
そのもっと深いところに、
本当の理由がある。
「もし、万が一、
私(娘)に何かあったら、
連絡が取れなくなってしまう」
そう思っているから。
その言葉を聞いて、
胸がまた痛くなった。
よく考えたら、
親になってみて
私もその気持ちが
痛いほどわかる。
もしトーマスが
どこか遠い外国に住んでいて、
私がその国の言葉を
知らなかったら。
不安になると思う。
私には、車で一時間のところに
仲良くさせてもらっている
日本人の方がいる。
何かあった時には、
その方が連絡係、
そして通訳になると
言ってくださっていて、
母にもその方の連絡先を
伝えてある。
だから、
どうにもならないわけではない。
病は気から、
という言葉があるけれども、
私は本気でそう信じている。
政治や経済、
ビジネス英語や日常英語は
積極的に取り入れてきたけれど、
医療系だけは
取り入れてこなかった。
きっと私は、
その言葉を
使うことがないと思っているから。
(そんな理由?笑)
ちょっと馬鹿らしいと
思われるかもしれないし、
それって極端じゃない?って
言われるかもしれない。
病気になる時はなる。
うん、そうかもね。
でもそれでいい。
私、病気にならないので。
(ドクターXみたいに言うな!)
ってか、今この人いじっちゃダメ?(苦笑)
