ひとつ前のかどはさよならサヨナラ -17ページ目


沖縄
大東島に行った時の事



1月から3月にかけて回遊して来るザトウクジラの群れを、
この島では運が良ければ岸辺から見えるって聞いたんだ

何十年か【人間】として生きてきて

死んだほうがましだな

凶暴な恐竜が胸の中で暴れるように
そう考えた時期でもあった


ぐるりと崖に囲まれた島には砂浜がないから
人工的に作られた海水プールが多く見える


パッと見には
岩場をくり抜いただけで、自然の岩棚にしか見えない


ガイドブックにも

高波や満潮時には充分な注意を!

なんて書かれてあった


ハハハハ…
これはなんちゅーか
死に放題だな

プールを見た途端、僕はなんだかとてつもなく可笑しくなってしまい
そんな事を呟いたよ


これほどまでに剥き出しの自然にたいして
柵や注意書きの看板も見えない


個人の危険は個人が管理すればいい
ウチの子供がケガしたのはあそこに柵がなかったからだ
なんて裁判を起こす人はきっとここには来ない


魂を抜かれたみたいに
しばらくの間
岩に打ちつける波を見つめていた

真っ青な水は岩に砕けて泡となり
ブルーハワイにそっくりな色になって再び
海に戻っていく

人間の歴史は
何との闘いの歴史だったんだろう
ふと頭によぎった

死なのか自然なのか
自分達が作り出した文明なのか


恐竜がいた時代
恐竜は何に負け消滅したのか
闘う姿をみた時

よく闘った

と、僕は感じるのか


自然と呼ぶのか
神と呼ぶのか
幻と呼ぶのかわからないけど


おいそれと人間が【闘える】ような相手ではないなって思っちゃった

巨きな巨きな手のひらの上で
何をしてるのかな、なんて感じる


泊まった宿で話を聞いた事を思い出す

この豊潤な自然がこの島にあるのも

本島や慶良間諸島をズタズタにした太平洋戦争での被害が
この島では少なかったんでしょうね
と僕が言った時

宿屋の店主は笑いながら答えてくれた

島がちっちゃいからさー、米軍も気にしなかったんさー

僕は僕の中で
自然の巨大さの矛盾にまたとてつもなく
可笑しくなって膨れ上がり
相変わらずしゃがみこんで波を見続けたまま
馬鹿みたいに笑ってしまったよ

恐竜のような
鯨には結局あえなかったけどね



神は死んだ

と、ニーチェは歌い

ロックは死んだ

と、ジョニーロットンは叫び

僕は死にたいなと呟いた

寝言は寝てから言えだよね(笑)


文明ってなにかね


果たしてカミサマはハイテク兵器で殺せたのかな

もう恐竜はいない


山下達郎 - アトムの子

声って音とは
ちがうんだ

声なんだ

その人の
そのモノの

声なんだ




僕は算数、物理…理数系はすごく苦手だけど

音楽や小説や詩、絵画も数学的だと感じた時があるよ

不思議だなぁって
何でだろ?ってない頭でよく考えてた(笑)


高校生の時だった
ケンカして顔を腫らして久しぶりに寮でなく
実家に帰った時の事だった


ふと
あのピアノと目があったんだ

そして無意識に音を鳴らしたんだ

手が覚えている
って不思議だよ


僕は何度も音を出し続けた

落とした物を、
もう一度同じ【かたち】で拾う事って難しいよね

無いに等しい
でも、それこそ必然なのかも

幼い頃の僕の音はなく
これが今の僕の音なんだと思ったんだ


巡り合わせ


って、言うのかな
一度として同じ瞬間なんてないと改めて感じた

でも、また出会ってる
あのドの音に
このレの音に…



絵も文字も音

赤・青・黄色って使えば誰でも絵は描けるよね

アイウエオを覚えれば
誰でも字は書けるよね


音符も覚えれば
誰でもピアノはひける


でも、
それが声をもつ時はどんな時だろう


心が存在するのなら
人間でなくとも
犬や猫や
草木や星にも
そして
音や文字や絵にも
心は存在するのかな


でも【在る】のだと
思う方が僕は痛快だと思うだ


声は僕にとって
ただ
怖くて寂しくて
思い出をたくさんふりかえさせて
むき出しの凶暴さで関わってくる

でも、僕は
声のない所に行こうとは思わなかったよ

声のない場所
声の感じないモノの前では
癒やされる事はなかったから…

声のない場所にいても
時間は潰せる
嫌な人にも会わなくていいし
嫌なメに遭うことも
ないんだ

なら、なぜね
声の在る場所に行くんだろぅね

心を込めるって

痛快だ
本当に

痛快だと思うんだけど

声って
どうしてあるだけで安心するんだろうね


声を感じないものは


手触りに違和感がある


声があるから
絶望も喜びもあるような気がするんだ


声を感じないものは
いくら恐怖感や綺麗に飾られても
波動を感じない
言い換えるなら強度を感じないんだ



【意味】なんて極端な話、どうでもいいのかもしれないなんてさえ思う時もある



宮沢賢治の

春と修羅を初めて授業で朗読した時も
文字達からいっぺんにたくさんの声を聞いて

怒られてもないのに
授業中にオイオィ泣いてしまった


五年生の時の担任が
中年の女の先生だった

クラスメイトには知的障害の子がいたんだ

その先生
算数の授業の時
その子がなかなか答えにたどり着けないもんだから怒って

教科書の角でその子の頭を殴った

それを見て
なんてひどい事をするんだと思った


そしたら
心が溶け出してクラスの空気と一緒に紛れてしまったんだ


もう僕過呼吸になった

堪えられないって思った時には
また泣いていた
ぶっ倒れて意識朦朧になって泣いたんだ


同じ泣くでも後者はもう2度と感じたくないと思ったよ
苦しかったよ(笑)
不思議だけど声を感じないとそうなってしまった


下に続く→