意中の相手を振り向かせることは存外に難しい。

もしもかくの如き所業が出来得るのであらば、
おそらく自分の心なんぞ、いとも容易く制御でき得るのでしょう。

もしも自分の心なんぞ、全美を持ちて制御出来得るのであらば、
其れはもう相手を振り向かせる必要さえないのでしょう。


誰かを振り向かせるだなんて戯言なんざ
畢竟、砂上の楼閣でしか在り得ない。


人なんて信用するに値しない。


そもそも他人の心はおろか、自分の心さえもわからないのに
どうして他人を信じ得ようか。

其れはどうしようもない事なのかもしれない。
始めから破るつもりで約束をしている訳ではないのかもしれない。

けれど人はその刹那の状況によって已むを得ず約束を反故にする。
例え今どんなに決意を固めようとも
決して如何な状況に置いても約束を反故にしない人が
どれほどに存在するであろうか?

その瞬間の人の心なんぞ己でさえも信用でき得ない。
人のもつ可能性を信ずることはでき得たとしても。

さりとて、人を信用しなければまた生きてもいけない。
人は目の前に地があると信じるからこそ、一歩を踏み出せるもので、
もし仮にその前提を懐疑するのならば、もはや歩くことさえも侭ならない。


疑いながらも信じる、信じながらも疑う。


つまりは人なんて相反した矛盾を抱えながら生きるしかないのでしょう。
そうしてその自己矛盾に苛まされ生きるしかないのでしょう。

疑うことでリスクヘッジを
そして信じることで一歩を踏み出す勇気を。


だから、人を疑う努力をしようよ。
だからこそ、人を信じる努力をしようよ。


綺麗事は他者を傷つけるものに非ず。
綺麗事は完全無欠なるものに非ず。

綺麗事は振りかざすものにも、非ず。


綺麗事は綺麗で在るが故に美しい。
そして美し過ぎるが故に、鋭くそして禍々しい。

けれどもまた人は、綺麗事が綺麗で在るが故に救われるもので。
そして綺麗事が綺麗で在るが故に心を洗われるもので。


だからきっとね、綺麗事は他者へ向けて放たれるべきものではなくて
疲れきった心を癒し、明日への一歩を踏み出す自分の為にあるんだよ。