この世に絶対の理なんぞあり得べくもなく、
絶対と呼べるものがない以上、誰ぞこの世に信を置くものあらむ。


さりとて人は其れでも何かを信じ生きる。
恰も信じる事が活きる糧でもあるかのように。
例え背かれようと裏切られようと、人は何度も何度も何かを信じ生きる。

人が何かを信ずるは、決して其処に絶対が在る所以でもなく
其処に希望があるからに他ならない。

何度裏切られようと親が子を信ずるは、
其処に絶対なんてものを期待しているに非ず。
次こそはという願いに他ならない。
其れこそは愛であり、
とどの詰り訝しみつつも人が人を信じると言う事は、


其れが人の温もりってやつなんじゃないのかなぁ。

そもそも恋愛なんてものは「好き」という要素だけで成り立ってるわけじゃない。

物事が単一の単純な要素だけで構成されているのならば、
こんなに味気ない世の中はないんじゃないかなぁ。

よくよく「好きだから別れる」なんてフレーズを耳にもするのだけれど
これなんてその最たるものなんでしょう。
結局は「好き」以上に優先される「事情」が存在するから
別れなければいけないだけで、何もそこに「好き」がないわけでもない。

絶えずそこに色んな要素が互いに絡まっていて、
どの要素が一番色濃くでるかの違いなのでしょう。

ショーペンハウアーなんかも自殺論で言ってるんだ。
自殺を選ぶのは、生きているよりも死んだ方が楽だから死ぬんだって。
誰も死にたいわけじゃなくて、死ぬよりも生きてる方が辛いからだって。

結局はそういうこと。

好きだけど、付き合っていくより別れた方が都合が良いから別れるの。
いや、これを否定しているわけじゃないんだ。
人にはそれぞれに事情があって、恋愛よりも
生きていくことを選択しなければいけない事なんて山のようにあるんだもん。

決してそれを否定するわけじゃないのだけれど、
でも僕は敢えてそのフレーズを「綺麗事」って定義するよ。

だってさ、相手の為を思って別れるというけれど、
それは本当に相手の為を思ってなの?
それは自分の考える幸せを相手へ押し売りしてるだけではないの?

そもそも幸せの形なんて、自分をとりまく環境や自分の考え方によって
如何様にも様変わりするものをして、
これが貴方の幸せなんだって言い切ることが果たしてできるんだろうか?

はっきりと相手が、貴方と付き合ってると良いことはないから別れて欲しいと
言っているのならば仕方もないのだけれど、それはもはや只の片思いの失恋。

だけれど、ただ漠然と相手の為を思って涙ながらに別れるなんて
結局は相手の人生に責任を負えないから逃げる事と違わないだろうか。
言い換えれば、相手を不幸にしてしまうかもしれない罪悪感に苛まされたくない。
じゃないだろうか?

それってもう、自分が傷つきたくないって言ってるのと何が違うの?

けれど人は弱いもの。
それも好きな相手がもしかして自分の為に不幸になるかもしれないって
恐怖するのは当たり前。

でもね、それに酔って「好きだから別れる」みたいなフレーズは使って欲しくないな。
結局その根底にあるものって、「自分が傷つきたくない」だもの。
だからそこは正直に、


「貴方の人生に私は責任持てません、だから別れましょう」


って言った方が気持ちよくない?

だから敢えて僕は定義する。
「好きだから別れる」なんてフレーズは、自分の好きって思いを
穢したくないばかりに口を突き出る只の「綺麗事」なんじゃないかなぁ。
恋愛にプライドなんていらないね。
そんなものは百害あって一理なしだ。

好きだの惚れたのだの、そんなものは綺麗事でもなんでもなく
恋しい、逢いたい、話したい、触れたい、寝たい、
妬みに嫉み、縛り、独占、そんな小汚い猥雑なものなんだ。

だから綺麗でいる必要なんてないんじゃないかなぁ。
自分を守る必要なんてないんじゃないかなぁ。


もう仕方ないじゃん、現実は常に残酷だ。
だってそこにあるのはただ、

「あなたが好きです」

だけなんだもん。