好きに理由なんかいらない。


一旦好きになっちゃうと、もうこれがどうしようもない。
好きってどんな状態なの?ってわからない人にはわからないのだけれど
まったくもってけしからんぐらいどうしようもない。

他人が「なんでそんな人好きなの?」っだとか
相手に「わたしなんかのどこがいいの?」っだとか言われても
そんなもんわかるか、このクソボケって感じ。

そこには小難しい理由も理屈も御託もヘッタクレもないわけだ。

そりゃね、好きになる切欠はあるかもしんない。

例えばそれはイケメソだとか可愛いだとかなのかもしんないし、
背が高いだの、胸がおっきいだの、頭がキレキレだの、話がおもしろいだの、
メールでの何気ない一文だったり、声がイケボだったり、金もってたり。

こんなのホント一例にすぎないし、もういっろいろあるわけさ。

でもね、切欠は切欠であってそれが例え好きになった切欠を失ったとしてもなんのその、
好き、好き、好き、好き、好き、好き、愛してるなんだ!

好きになった切欠を失ったぐらいで冷めたなんて
その切欠自身に恋してただけにすぎないね。

切欠は切欠にしかすぎないし、恋のはじまりがどんなんだっていいじゃないかなぁ。
見た目だけか!っとか、中身だけか!っとか、おもしろいだけか!っとか、
よく知りもしないのに!っだとか、他人様が何ほざいててもいいっしょ。


そもそも恋なんて、もう寝ても覚めても考えるのはその人の事ばっかり。
ロックオンしたからにはどうしても気になって気になって気になって気になって。
もうこれはまさに宮澤賢治の言うところの恋愛は「変態」状態か!

いあ、まぁちょっと違うのだけれど。
そんな事はどうでもいい、ともかく「変態オールグリーン」だ!


見よ諸君!このネットに溢れたる惚けログ・惚け日記のものものしい数をΣ
他人様が見たら、こいつなに血迷ってんの?頭おかしいんじゃね?と呆れる痴態じゃないか。
ほんと痴態!これが痴態じゃなくて何が痴態なん?
まじ好き好き愛してるポエムなんか、まさに公開羞恥プレイ!

もうねー恋なんて「ご病気」。恋患いと書くぐらいに「ご病気」。
夜も寝れないぐらいに好き好き好き好き、
片時も離れたくないよーって夜な夜な電話にSkypeにLINE、束縛に嫉妬、
メールがちょっと返ってこないだけで地球滅亡ぐらいに鬱々、こんなの絶対おかしいよ!
これなんて強迫性障害?ってぐらいに「ご病気」だ!


好きなんてそんな変態で痴態なものなのに、いったい君らはなにを気にするの?
変なプライドだけもって、かっこつけて。人にどう思われたっていいじゃないか!

変態だよ?H・E・N・T・A・I!

もう好きになっちゃったんだもん。
しょうがないじゃん!

それが本物の恋かどうかなんてどうだっていいじゃん。
どうせそんなの本物の恋かどうかなんて一生わかんないんだし。

暴言だけど敢えて言うよ。
じゃあ本物の恋ってなんなのさ?どんなのなら本物の恋じゃないって言い切れるのさ?
うっせうっせうっせうっせうっせうっせ!!!
そんなオマエ様らの主観的なものにとやかく振り回されたくないね!

だってどうのこうの言ったって考えたって、そこにあるのは「好き」って想いだけなんだもん。
ごちゃごちゃごちゃごちゃ好きに理由なんかつけてんじゃねーよ!


こまけぇこたぁいーーーーーーんだよ!


大事なのは 「貴方が好きです」 ほんまそれだけ!


嗚呼、文章とは何故に斯くもこう妖しきものなるや。


普段殊更に何意識することもなく、話すにしろ書くにしろ私達は言葉を使う。
朝に目覚めれば「おはよう」に始まり、ともすれば夜に床就くまで様々な話にうち興じ、
別れには「それじゃあまたね」と挨拶なんぞをしてみたり。

時には頭の中で言葉を操り思索に耽り、文に其の想いを綴るも頻り。
まっこと言葉のない生活なんぞ有り得ないとばかりに。

ながら言葉とは存外に不自由なもので。

言葉は有限にして、其の全てを著わしたり得ず。
只の言葉一つにいったい幾つの情感を包括したるや。

直接的に対面にて言葉を交わし、其の表情に其の仕草、其の身振りに其の手振り、
其のトーンに其の話し方、ありとあらゆるモノを駆使して語るも決して其の全てを顕わしたり得ず。
まして況んや言葉のみに恃む文章なんぞに、どれほどのモノを伝え得る力があるのだろうか。


なれど私達はその綴られた文章の中に人の想いを見る。
其の文言に、コトノハの可能性を垣間見る。
平仮名に片仮名、漢字にローマ字、
数千数万の記号の羅列に彩られた豊かなコトノハに可能性を垣間見る。

其れは例えば「おもう」といった単語一つ取ってみても良いであろう。
其れを平仮名でただ「おもう」と書くも良ければ
「思う」「想う」「憶う」「念う」「懐う」「オモウ」
そう書き分けるだけでも実に様々な思いを表現し得る。
更に音変化した「思ふ」なんぞにでもなれば尚一層趣も変わり得る。

同じ読み、同じような意味を呈しているにも関わらず
なんと込められたその情動に、此程の違いの在るものや。

其れが籠められた思いの違いから、此の上「看做す」「慕う」「抱く」「覚える」等々
様々なコトノハに派生したのならば、尚々情感豊かに表現する事が可能であろう。

更に更にコトノハは、その前後の文脈や行間、改行等に寄ってもその趣を違え、
千変万化の様相を呈する。


さて抑も文章とは - 本来時間を越えて誰かに何かを伝えるために存在する。
其れは隣の誰某に宛てられたモノであるかもしれないし、
自分自身に宛てられたモノであるのかもしれない。
はたまた誰彼といった訳にもあらず、ただとある誰かに宛てられたモノであるのかもしれない。
されど文章は、確かに、誰かに其の何かを伝える為に存在する。

即ち文章とは、誰かの為に書かれたモノであることが前提であり、
其れは伝えたい人に伝えたい形で為されねばならぬモノであり、
其処に伝えるべき「思い」あってこそと言い得よう。
例え其れがくだらぬ用向きであったとしても、だ。

そして文章は其処に籠められた「思い」ばかりのみならず、
此の実態のない仮想世界に於いてなんぞは、私を顕わし得るパーソナリティーともたり得、
「私」という者を規定し得るモノなり。

此の世界に於いてコトノハは、私の血と成り、肉と成り、骨となり、
やがてそうして紡がれた文章は、流れる其の血の如く脈を打つ。
この刻まれた鼓動のうねりこそは私の生きた証であり、私を私たらしめるモノとならむ。

文章をよく咀嚼しながら音読してみると気づくであろう。
其処に其の文章の持つ独特のリズムが在ることを。
恰も文章其れ其のモノが一個の生命の如く其処に息づいているのを。

だからこそ私は、私が書く文章を何遍となく繰り返し読む。
私は私の鼓動に耳を傾けながら幾度となく其れを繰り返し繰り返し読む。
そして私は私の鼓動に合わせて、その文章なるものに脈を打たせ命を吹き込む。
其れは唯一私が此の世界で形作れる「私」なのであるから。


ならば文章には其処に含みたる思いの差異や美醜はあれど、其れに優劣なんぞは断じて生じ得ない。
文章とは「私」自身であり、「貴方」自身であるのだから。


何も小難しい言葉が並べ立てられた難解な語句の羅列が素晴らしい文章なんぞでは有り得ない。
反対にわかりやすい平易な言葉だけで書かれた文章が素晴らしいわけでも有り得ない。
伝えたい人に伝えたい事を伝わり易いコトノハで綴られた文章こそが美しい文章たり得、
その心情の機微を出来得る限り伝えようと為された文章こそが美しい文章たり得る。

哲学書なんぞを紐解いてみれば、あらん限りの小難しいコトノハに圧倒されるであろう。
然はあれど其れは、この有限にして不完全な伝達手段である処のコトノハを用い、
出来得る限り齟齬なきようきめ細かな機微を含んだコトノハを、
具に別のコトノハに置き換え、また新たなるコトノハを生み出していった結果であり、
其れも其れでまた美しい文章と成り得よう。

もしも、もしも仮に其処に優劣なんぞというモノがあるとするのであらば、
伝えたい思いを幾許ほど伝えられたかで計るしかなく、
ながら其れは伝えたい思いと的確さによる意思という力の強さであって、
施された技巧の優劣なんぞ些末なモノでしか有り得ない。

肝要なのは書き手が紡ぐ文章の、奥の奥の更に奥。
今此の時、此の刹那、何を感じ、何に心揺れ、
其処にどの様な思いを乗せ、どの様なコトノハを綴り、どの様な鼓動を刻み、
どの様な「自分」を其処に顕わさんとしているのか。

寧ろ其れが全てであって、そんな想いが籠められた文章に優劣なんぞ断じて有り得ない。

其の揺るぎない想いを伝えたいと請い願い、直向きに綴られたモノであるのならば、
例え其れが拙劣なる文章であったとしてもきっと誰かの心に響く。

私はそう思う。




取引相手を訪ねた新人営業マンの浩介(松本潤)は、
そこで同じ中学校に通っていた幼なじみの真緒(上野樹里)と10年ぶりの再会を果たす。

学年有数のバカとして名をはせ、何かといじめられていた彼女が、
当時の姿から想像がつかないほど魅力的な女性になったことに驚く浩介。

再会に運命めいたものを感じた二人は惹かれ合うようになり、結婚を決意するまでに。
だが、彼女には誰にも知られてはいけない“不思議な秘密”があった。

真緒の異変に気づきながら、戸惑うだけの浩介。
自分の知らない真緒がいる。本当の彼女は? 

ある事件を境に、真緒は浩介の前から突然姿を消してしまう。
そして、なぜか周囲の人々の記憶からも・・・。
運命で結ばれたふたりに、残された時間はあとわずか。
「もういちどだけ、真緒に会いたい」 強い想いを胸に、
浩介はふたりの思い出の地・江の島へと向かった――

なぜ彼女は、消えてしまったのか―
その秘密は、≪涙≫と≪驚き≫のラストへ


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原作とは少しばかり前に「女子が男子に読んでほしい恋愛小説No1」
なぞという帯で出会ったのだけれど。
いつか時間が空いたときにでもと思いつつ、それは読まれもせず
部屋の片隅に積み上げられた本の中でひっそりと鳴りを潜めていた。

何も以って「女子が男子に読んでほしい」なのであろうか等という
下世話な好奇心もあったのだけれども、
なんだか本を読むのも面倒だったこともあったので、
映画化はいい機会とばかりにブラリ映画館へと足を運んでみた。


- 物語のはじまりは『再会』から -


しかしこの『再会』ってやつは本当にいけない。
何がいけないって、それはもう「貴方のことが好きだった」
なんていうセリフが妙にキマってしまうのだから。

実際にこんな台詞があった訳ではないのだけれど、
『再会』というシチュエーションには、こんな台詞がとても良く似合う。

それは「貴方のことが好きです」なぞという現在進行形な恋の科白でもなく、
どこか思わせぶりな余韻を残す「貴方のことが好きだった」なんていう科白は
現実世界でもドラマになり得やすい。
過去形は過去形であるが故に現在の状況を特定し得ない、
とても曖昧で何かを期待させる科白であるのだから。

兎にも角にも物語は、何かを期待させるそんな『再会』からはじまった。


物語の内容自身はさほど物珍しいものでもなく、
「不思議な秘密」に対する伏線を張り巡らせながら進行してゆく。

重ねる逢瀬、プロポーズ、結婚。
淡々と淀みなく紡がれる物語は、どこか陽だまりの様な温かみを感じさせながら、
結婚って斯くも素敵なものであれと言わんばかりに仲睦まじき有様が描かれる。


- 様相は一変 -


次第に衰弱し、忽然と姿を消し去る真緒。
彼女の持つ「不思議な秘密」とは?

ま、ここではその「不思議な秘密」を語るは無粋なので、
実際に観劇もしくは小説を読んで確かめて頂きたいのだけれど。
「不思議な秘密」を知り得た上で再度冒頭から眺めてみると
散りばめられた伏線にクスっと微笑みを零せるであろうか。

謎解きというには余りに伏線が直接的なせいもあり
勘の良い方であればすぐさまそれがなんであるか気づいてしまうのであろう。
却って作者としては秘密としながらも、如何にその秘密に気づかせようかと
伏線を張っている節が見られる程に。
むしろそんな秘密なんぞ些末な問題であるかのように。

ま、物語の骨芯は近く最愛の人を失う者の哀しみと
最愛の人に別れを告げねばならない運命を知る者の辛さが主題であって、
決して謎解きに注力されているわけでもなく、ただの物語を彩るエッセンスなのだから。


先逝く愛する人を見送らねばならない哀しみ
愛する人を残して先逝かねばならない苦しみ

その間際、人は愛する人の為に一体何ができるのであろうか?
その間際、貴方は何を想うのであろうか?

そんな事をつらつらと考えさせられる物語でした。


綺麗事なんぞ、誰にでも吐ける。

それでも自分は最後まで愛する人の傍に居続ける事ができるのであろうか。
これ以上想いを残さないためにもそっと姿を消すのが最良なのであろうか。

何が最善で何が最良かなんぞ結果でしかないのだけれど。

いつかは誰しも皆、別離する運命ではあるのでしょう。
けれどその早すぎる別れは思う以上に堪え難い哀しみを齎す。

それでも貴方は最後のその刻まで寄り添う事ができますか?
もしもその手を離す絶好の口実が有ったとして、
それでも貴方はその手を繋いで居られますか?

きっと一度はね、この苦しみから解き放たれたいと思うのかもしれない。
何故自分だけがこんな責苦を負わねばならないのかと嘆いてみるのかもしれない。
しかし例えそれが合理的な所為でないとしても、
例えそれが非合理的で辛く苦しい事柄であるのだとしても、

人は人であるが故に

それでも、それでも人は最後のその刻まで一緒に居たいと願うものなんじゃないのだろうか。
それが人の情けってやつじゃあないのだろうか。

けれどね、その重圧から逃げ出したとして誰が誰を責め得よう?
逃げ出したことで誰が誰を人でなしと罵ることができ得よう?

いいやきっとそれはもう誰にも責める事なんてできやしないのでしょうね。

それ程までに『死』は痛切に心を抉る。


っと、そんな事をほのぼのとしたタッチで描く今作品。
「不思議な秘密」にくすりとしながら、2人の心情描写を追ってみてはいかがでしょう。



さてさて最後になるのだけれど、観終えた僕にも今尚解けない謎が一つ残されています。
はて何を以って「女子が男子に読んでほしい恋愛小説」なんでしょう?

嗚呼、永遠の謎だ。