自分には恋愛と結婚が別という感覚がいまひとつ理解しがたい。
いあ、はじめから結婚しない主義の人だったら話は別なんだけど。

まぁ何をもって恋愛というかから考えないといけないのかもしれないけど、
その定義から考え出すとやたら複雑でめんどいから(ry

今すぐにやれ結婚だなんだっていうわけじゃもちろんないけど、
このまま順調にいけばあとはタイミングしだいで結婚の事も考えられる
人と付き合うのじゃないかと思うのよ

てか、結婚してもいいかなって思えない人とつきあってても、
時間がもったいないと思うのよね

いずれ終わらせようと考えながら交際ってなんか違くない?

付き合ってると楽しいけど、
結婚できなそうな人とつきあう時間があるんだったら、
今すぐ別れて結婚できそうな付き合ってて楽しい人探したほうが
自分的にはすごく有意義の心

なかなか見つからないんだったら、見つからないこそ
早め早めに探さないといけないんじゃないかと

仮に見つかっても、付き合ってく中でやっぱりこいつとは
無理って事もいっぱいでてくるんだし、
そういう時間まで含めると、人生なんてあっというまよ?
「普通に好きだよ」

男のこの言葉は確かに女の子にするとむずいな。
まぁ確実につきあいだした当初の勢いは確実にないことは確かw

よく男性の愛が安定期にはいったからで悲観しなくてもいいとか、
どったらこったら述べてるのを見かけるが、
良いように考えてやればそう言えないこともなくはない

が、しかしよくよく考えてみると、これはかなり女性に甘えだしてる証拠で、
悪く言えば女の子をなめてるとも言える

結局のとこ男ってシャイだったりするし、すぐに現実っていうか
恋愛よりも外界に比重を置きがちになるから、
「私の事好き?」ってきかれて、つきあい当初のテンパってて、
頭がくるくるぱーになってたりしてる時でもなければ、

なかなか「愛してるよ」なんて言えたもんじゃないw

しかも「好き」なんて答えた日には
相手に負けを認めたような敗北感まで存在するし、

いちいち答えるのが恥ずかしいわ、めんどくさいわ。
詰問されてるから、まぁ一応好きと答えないわけにも
いかなかったりするから
ちょっとレベルをさげて「普通に」なんて言葉をくっつけて、
自分のプライドを守ってみるw

まぁだから諸手をあげて喜んでいい言葉ではないと思うのよねー

まぁ人それぞれだから、みんながみんな
そんなつもりでもないだろうけどと一応フォローしておく
ここで述べるルネッサンスは中世でのあのルネッサンスではなく、
人生のルネッサンスであるのだけれど。

人は誰しも歳を重ね、その中で経験し蓄えられた生きていく知恵は
何物にも代えがたい宝物であるのだけれど、時としてその宝物は
非常に自分の成長を阻害してしまうものとも成り得る。

自らが経験した経験則に縛られ、自分の目を曇らせ、
それがあたかも只唯一の正解であるかのような錯覚は
本来自由で純粋であるはずの思考を奪っていく。

そしてその先に待つものは、
停滞と倦怠と挫折と尊大になりすぎた自尊心。

まぁこれは人だけに留まらず、社会一般なのであるけれど。
すすんだ文明文化の果てには停滞と倦怠しか待っていない。
これは過去の時代を見ても明らかであり、
豊かになりすぎた社会はそこに破綻をきたす。

では、いったい何が間違っているというのであろう。
人は社会は、自らが経験してきた過ちを元に
その大いなる知恵で進歩してきたのではないか。

だけれども人も社会もその実際は、
その当たり前と思っているそれら産物に振り回され、
自らの存在が自由で純粋である事を忘れ去ってしまうのである。

だから何かがどうもうまくいかない、何かがおかしい、
何か失敗しているのではないかっという思考に陥った時には
原点に回帰しよう。

今までの経験が間違っているとは言わない。
役に立たないとも言わない。
ただそれがすべてではないという事を。

自分の思考がまだ何にも穢れずに、純粋で自由であった頃を。

仕事がうまくいかないのならば、
仕事をはじめた時のあの純粋な、すべてを吸収しようと言う気持ち、
そして吸収することの楽しさを思い出せばいい。
恋がうまくいかないのならば、その打算的な相手への要求を捨て、
ただ純粋に相手を好きであったことだけがすべてであった
あの恋を思い出せばいい。

人は自分をつくり、そして自分を壊し、そして新たに再生し
そして大きくなっていくものではないだろうか。

人生のルネッサンス。
今の僕には原点回帰、復興が必要であるのかもしれない。