冷静と情熱、その相対するものを両方に
自分の中に秘めて生きていくことは思いのほかに難しい。
けれど両方を併せ持つ人は限りなく魅力的であり、
自分自身もそうありたいと願っている。

ややもすると情熱だけに囚われて見境もつかず
妄執と化すことも愚かであり、
冷静さだけに支配されて人としての感情を
置き去りにするのもまた虚しい。

だけどその2つは思うよりも遥かに相反していて
両方を併せ持つ事は存外に困難である。
何事にもよらず対峙する2つの要素を併せ持つことは
難しいものであるのだが。

情熱の欠如した生活は、淡々としか物事を見れず、
生きる気力を削がれ、空虚さだけが心の中を占める。
自分の思考の中に嵌り込み、ただ訥々と思考を張り巡らせるのみ。

冷静の欠如した生活は、俯瞰的な視点から
物事を見ることが難しくなり、
これもまた自分の妄執の中に嵌り込んで、
社会生活そのものを危うくさせる。

どちらにしても自分の中の殻に閉じこもることになんら変わりはない。
得てして人はそのどちらかに偏りがちになるのだけれど。
それも人である限り、自分が主体となってしまう性といってしまえば
それまでなのだが。

冷静と情熱のバランス感覚は非常に重要であり、
冷静の内に秘めたる情熱、情熱の中に秘めたる冷静さを持つ人は
稀有であるが故に魅力に溢れる。

自分をまたはすべてを客観的に俯瞰する
もう1人の自分という存在を
認識しなければいけないのであろうけれど。
そんな人物になりたいものである。
突然なのだけど『世の中すべて悪い冗談』
僕の中でなんとなくではあるが、こう思って生きている自分がいる。

こう書くとすごく嫌悪感を持たれる方もいるだろうし
一歩間違えると、人格を疑われそうでもあるのだけど。

悲惨な出来事も、悲しみもその一つ一つを捉えてみると
笑えない出来事は世の中に沢山あって、
そのどれもは当事者にとって深い悲しみをもたらすものである。

そうした悲しみを経験している人にとって世の中すべて悪い冗談と
言ってしまうにはあまりに酷い事でもあるのだけれど、
だからこそ敢えての『世の中すべて悪い冗談』なのかもしれない。

人生は谷あり山あり、辛いことや楽しいことがめまぐるしく交互に訪れる。
決してつらい事だけの人生や楽しい事だけの人生などあり得るはずもなく、
もし仮に辛いだけの人生と感じているのならば、
それはもう心のありようでしかないのだと思う。

そして人の一生は延べてほぼ等しくなるものだとも思う。

ひとつひとつは確かに辛く悲しい出来事なのだけれども
視野をもう少し広げて見てみるに、
過去に経験した辛く悲しい出来事は、
延べて見渡した人生の中でそれはもう通過した1点でしかなく、
今となってはもはやそれは思い出のひとつとなって
しまっているじゃないか。

人は決して強くない。
強くないがゆえに忘れることができるのである。
もし人が忘れることさえできなかったとしたら、
人はその悲しみに未来永劫苦しめられ、
生きていくことなぞできないのであろう。

辛い現実のさなかの人にとって、
それは冗談でもなんでもないのだけれど、
だけども人生の中でのその瞬間は
やはり長い人生の中での1点にしかすぎなく、
必ずそれは思い出に変わる。

だからこそ、悲しみに暮れる前にもう少し現状を離れ
高い視点から自分を俯瞰してみるのである。
そして、敢えてそれを笑い飛ばしてみればいいと思う。

『世の中すべて悪い冗談』
そう言い切って、自分を笑い飛ばせるぐらい強く生きていたい。
そうやって辛いことを乗り越えていきたい。

僕にとっては、だからこその言葉なのである。
ふとこの前、写真と見間違うほどのベクターアートを見ていて、
ペインターで描かれたリアルで精巧な絵の事を思い出した。

1ドット1ドットが丁寧に塗りつぶされた
その気の遠くなるような作業がつくりだす、
写真のようでいて、でもどこか温かみを感じさせる芸術というものに
魅了された記憶がフラッシュバックする。

もう20年以上も前になるだろうか、その頃のPCの性能では
画面にだせる色の数がまだ極端に少なくて、
1画面で8色だとか16色だとか、
よくて256色なんてことがまだ当たり前だった時代。
それでも綺麗な絵をPCで表現したくて、その制限された環境下のもと、
人々は苦心して色々な表現を試み、
そしてすばらしい作品を作り上げてきた。

それは何も絵に限った話でもなく、
今でこそ技術の進歩に助けられ、
制限が緩和されている時代となりはしたが、
ありとあらゆるものがPC上で、
ある制約をうけながら作成されていった。

その制約の中で、見事な表現をしてきた先人達の知恵に
感嘆の念を覚えるとともに、その技術の高さに脱帽する。

クリエイトの本質というものが、
先日語った内容の通り模倣による蓄積と、
それら蓄積から生み出されるリミックスと
わずかなオリジナルであるのならば、
制約というものは実に優れた作品の創出というものに
多大な貢献をする。

制約がリミックスの質の高さとわずかなオリジナルの
捻出を効率よく生み出すからに他ならない。
なぜならば、限られた資源の中ではそれ以上のものを欲した時、
創意工夫が必要不可欠となってくるのだから。

人は制約をはじめとする、
ある負荷をかけられてはじめて創意工夫をはじめる。
制約もなくすべてが満たされた条件では、工夫する意味など
希薄でしかありえないのだから。

その極度に制約された中で生み出された創意工夫はすべからく、
より制約のない環境において利用され
さらに高い次元のものを創出していく。

人が歩んできた歴史も然り、太古の未発達な世の中で
よりすごしやすい生活を営むために築き上げられた文明というものは、
さらに積み重ねられ応用され、より高いステージへと昇華してゆく。

そう、だからアイデアとはいつも原点の中に存在する。
原点ではシンプルであるからこそ、
物事の本質がもつ長所と短所が浮き彫りになり、
シンプルであるが故にリミックスさせやすく、
新たなものが創造されてゆく。

だからこそ行き詰った時ほど敢えて技術レベルをさげ、
自分に足枷をほどこし、自分で負荷をかける必要が
でてくるのではないだろうか。
目の前の壁の本質を見極めそれを乗り越えていくアイデアを得るために。

逆境とは、さらに自分が高いステージに昇るための
自分に課せられた制約なのかもしれない。
より洗練された自分という存在をプロデュースしていく為に。