私はほとんど本なんてものを読みません。

文を綴る事に疎ましさすら覚えます。


なれど其の言の葉のひとひらばかりが私の血肉になるというのならば、
もう私には文を綴るより他に術がないのです。
それより他に仕様がないのです。

それ故私は為す術もなく、コトノハを紡ぎ続けるのでしょう。

この身が潰える其の日まで。

環状線はめぐる。
いつ果てることもなく環状線は堂々巡る。

けれどね、走る道は定まれど
走る時間も変われば、袖摺りあう人も変わり、
そこには一刻とて同じ時は流れず、
なお環状線は堂々巡る。

乗り過ごそうが環状線はひたすら廻り廻り
いつかはまた降りるべき駅へと私をいざなう。

ならば飽くまでその変化を楽しみ、堂々廻れば良いのだろう。
いつかは降りるべき時に降りるべき駅に私をいざなうのだから。

今日も環状線は優しくも堂々廻り続ける。
降りるべき場所へ降りるべき人をいざなうために。

普通で在り続ける事は難しい。

何をもって普通かと問われるとすごく難しいのだけれども
全てに於いて当たり前の事を当たり前のように当たり前として
ソツなく抜けなく全うする事は存外に難しい。

ならばこそ、
例えどんな取るに足らぬつまらぬ事なれど
例え其れがどんな小さな目立たぬ事なれど
確実に着実に成す事こそが特別であるのでしょう。

何も際立つ必要なんぞどこにもなく、
ただただ普通を積み重ねることこそが特別であるのでしょう。

だからね、難しく考える必要なんてないんだ。
できる事をできる限り精一杯やる、ただ其れだけで特別なんだもの。