まだほんの僅かにしか解明されていないであろう
人が脳の仕組みの一抹を応用する事で、
コンピュータはそれまでと明らかに一線を画した発展を遂げる。
人の肌の構造を分析し、それを繊維に応用する事で
柔軟性に富み吸水性に優れ、しかも非常に強度の高いものが生まれる。
人の身体にはじまり、この世に在るべくして在るべき物は
すべからくそれが然も当たり前のように存在しているようで
その実驚愕のメカニズムを有す。
それが一番存在するに適しているという理由だけで。
それは淘汰される事によって数千年数万年数億年の末に
導き出された一つの解であり、人智を越えた理によって成り立つ。
そう、自然である美しさは、然もそうありなんと言わんばかりの
造形美であり機能美に他ならない。
其れがそう在るざれば存在しえない程の危ういバランス。
其れがそう在るからこそ成り立つ必然。
まさに森羅万象、この世の全てはアートだと言わんばかりに。
所詮、人は自然を模倣した劣化物を創造し、
造物主たらんとしてるだけなのだろうか。
利他を謳う勿れ、
それは甘い媚薬の如き幻想にしかすぎず
己を守る為にこそ起こす社会的行動によりて
其れが然も利他であるかのごとく錯覚を起こすばかり也。
利己により為される利他をして形成される社会は其のほぼを有限とし、
まさに或る一つの集団的意識とあい成り得る事をもって、
それは容易くもあっけなく自己中心的と成り果てる。
結局の処、博愛あらざれば其れは最早利他たり得ず
利己という唯のエゴイズム。
それを利他なぞという虚飾の甘い媚薬で酔いしれるは愚か。
博愛が博愛にして神のみぞ為し得るアガペーであるのならば
人とはどこまでも自己中心的な存在であるという事か。
けれども、例えそれが利己であったとしても良いじゃないか。
人は人で在るが故にエゴイストなのだから。