絶対的普遍な未来なんて存在しない。

絶対的普遍な事象なぞないのであらば、
この世に信じられるものなんて、何一つ存在しない。

そして確定的なものが存在しない事なんぞ誰もが認識していて、
人は絶対なんてものを真に信じてなんぞいない。

しかして敢えて何かを信じてみなくば
人は生きてなぞ居られない。

人は誰だって其れが絶対だと思って信じているんじゃない。
前を向いて歩んで行く為に何かを信じてるんだ。

だから信じて見ようじゃないか、未来って奴を。
だから信じてみようじゃないか、自分って奴を。
人生とは選択の連続である。
もう随分と使い古された言葉ではあるのだけれど。

この一瞬間、刻々と移りゆく時に於いても、
僕等は絶えずして、生きる事を選択しているのであろう。


そしてまた、結婚というものも人生の選択の一つなのであろう。


とかく社会に於いて、結婚というものが
然も当たり前のようなもので在るが如く
選択の余地もないような風潮も垣間見られてきたのだけれど。

其れは確かに選択肢に過ぎず、結婚しなければいけない理由なぞ、
皆目誰にも説明なんぞ出来得よう筈がないにも関わらず。

ましてや結婚をしない事で享受できる安逸たるや
其れを選択する事こそ馬鹿馬鹿しくも愚の骨頂に感ずる程なのにも。


では、何故に人は結婚なんてものに拘泥するのであろうか?


抑も現在に於いて、結婚する理由とは何処にあるのだろう。

結婚の意義そのものは、千差万別、十人十色、
各々が各々に何かを抱いているものではあるのだけれど、
一緒に居たいだとか、帰るべき家庭が欲しい等といった言は
別段結婚に拘らずとも只一緒に住めば良いだけの事であり、
結婚という制度がもたらすメリットとは言い難いであろう。

では、結婚がもたらす合理的な理由は?

それはもう経済的な利得と言って問題ないのではないだろうか。
共同で収入を得、共同で消費するスケールメリットに始まり、
社会的信用を得られることによる様々な優遇措置、
多くを共有化することによる支出の節約等々、
意外と結婚する事で得られる経済的恩恵は多岐に渡る。


それでは何故にそこまでして経済的メリットを求めるのだろう?


其の多くは子供の養育があるからに他ならないのではないだろうか?

子育てには存外多くのお金がかかるのが普通であり、
子を養う事は独り身にとって、かなりの負担となり得る。
そこで共同生活を行う事で経済的にも、
現在に於いては育児家事までをも分担する事で
個人が負うべき負担を軽減、もしくはシェアリングする事に
結婚という制度の合理的な利得を見ることができるのではないだろうか。

まぁ、何を今更と言われればそれまでなのだけれども。
概ね精神的な側面を除外すれば、
結婚とはまさに子育てする事に適し、優遇された制度であり
子育てを恙なく為す為に互いの協力関係を誓う契約を
法的に締結させるものと言えるのではないだろうか。

昨今の社会的状況を鑑みるに、そうも言えないのではあるのだけれど
本来的にはそう考えるのが無難であると言えないだろうか?。


では、何故に子供を儲けねばならないのだろう?


我が子に老後の面倒をみてもらう為?

否、昔ならいざ知らず、ましてや一寸先は闇の現在に於いては
到底そんな事なんて当てにできたものではない。
しかしそんな現在においても、変わらずに人は子を産み育てる。

では、なぜに?なにゆえに?

考えてみればいい、抑も子供は我が身一人で成せるものではない。
であるが故に、人は子供を成す為に人生のパートナーを求める。
だからこそ、人は恋をし愛を育むのではないだろうか。

畢竟、人というものが恋をすることに、人を愛する事に
其の生存理由を求める存在であるのならば、
愛する人と子を成すと言う事は、
生きると言うことに他ならないと言い得るのではないだろうか。

そして其れが故に生を選択する事と、子を成すという事が
本質的に等質であると導き出されるのであるならば、

人が盲目的な意志に突き動かされて、意味も理由もわからぬまま
生きたいという心の叫びに突き動かされ、生きることを選択するが如く、
人は盲目的な意志に突き動かされ、意味も理由もわからぬままに
我が身と血の繋がった子供を儲けたいと希求するのではないだろうか。


人は誰も、自ら命を絶ってはいけない理由に答えること能わず。
人は誰も、子を成さなくてはいけない理由に答えること能わず。


けれども人は生きたいと願い、子を成したいと願う。

例え生きる事を放棄し、子を成す事を放棄したとしても、
まことそれ等が本当に盲目的意志であるのならば、
決して人は、生きる事を絶ちたいわけでもなく、
子を成したくないわけでもないはずであり、
そうせざるを得ない事情があったに過ぎないのではないだろうか。

それは個人的な事情かもしれない、社会的な世情かもしれない、
だけどどんな理由があるにせよ、
それは盲目的意志を否定する道理にはなり得ない。

だから、だからこそ、それ等が人の心の叫びであるからこそ
僕は多くの人に生きて欲しいと願う、子を成して欲しいと願う。


人は、時折ふっと誰しもがこんな疑問を抱く、
「結婚ってなんの為にするんだろう?」

そういう時には思い出して欲しい、
どうか人にはその心の奥底に子を成したいと言う気持ちが在ることを
生きたいという意志が存在することを。

そう、結婚するって事は、自分が生きている証なんじゃないかなぁ。

恋愛小説なるものが
例え陳腐にして軽薄で滑稽なものであったとしても。

人が創りしもので在ればこそ、
人が定めし運命で在ればこそ、

登場人物達が織り成す心模様に不純が混入する余地もなく、
彼等彼女等には其の想いだけが全てであって、

此の世で如何に渇望し希求すれども手に入らざる不朽不変にして
純粋であり無垢であり、紛う方無い全き愛で在るが故に


僕は涙する。