以前、Hさんに誘われたと書いた
遊園地に行って来ました。
会い始めた当初に
あっという間に決まっており、
後は行くだけという段階になっていました。

細かいプランニングは
オススメしていただけたあり、
全てHさんが立ててくれました。

当日はあいにくの雨でしたが、
雨が少し落ち着いた頃
綺麗な景色を見ながら告白されました。

何となく場所を誘導されてるような?
とは思ったのですが、
遊園地ですし、お気に入りの場所とか
もう一度見たい何かがあったとかなのかなぁ。
と思いそこまで気にとめていませんでした。

遊園地デートのプランを立てている時から
この綺麗な景色を
私に見せようと決めていたんだそうです。

まさか、そんなロマンチックなサプライズが
用意されているだなんて思いもしなかったので、
驚き過ぎてすぐには言葉が出ませんでした。

久しぶりのSさんカテゴリーです。

「藍は、怒らないんだね。
なんで責めたり怒ったりしないの?
(聞きたくないことを言ったんだから)
泣かれたり、罵られたりすると思った。」

これは、別れ話をした時と、
久しぶりに近況報告をした時に
Sさんに言われた言葉。

でも、私にはSさんを罵るなんて発想は
ありませんでした。

ショック過ぎて、
怒りなんてわいてこなかったし、
Sさんは悪いことをしたわけでも
裏切ったわけでもないし
どうしようもないこと
誰のせいでもないことを
責めても仕方ないと思ったんですよね。
悲しいけれど。


さて、話は変わり、
「出逢えて良かった」
という話になった時
Sさんに無性に「ありがとう。」と
伝えたくなったんです。

付き合っていた当初も
折に触れて感謝は伝えていましたが

それに加えて、別れてから
初めて有り難みがわかったことや
別れてからのSさんの行動に
感謝していることもあり、
どうしても、伝えたくて。

だから、「ありがとう。」と言ったものの
「あれ?この感謝は以前も伝えたかも。」
と思いました。

でも、たとえ重複したって
それだけ伝えたいというのが
私の正直な気持ちだし


「ありがとうはいくら伝えても
言い過ぎってことはないから。」

と、口にしていました。

Sさんは、こう呟きました。


「……藍らしいな。
そういうとこ、変わってない。」
と。


こんな風に
「なんで?」もあれば、
「らしいね。」もある。

わかっているようで、
わからない部分があり、
知らないようで、
ちゃんと知っている。


そんな関係だったんだなと改めて思います。





私が、Sさんにも、
Hさんにもよく言われる(た)こと。

行動に対して
「絶対そうすると思った(笑)」
発言に対して
「そう来るかぁ。」

行動は、大体パターン化されていて
(お決まりの行動や、癖、流れがある)
その繰り返しはが苦にならないので
相手にとって私の次の行動は
想像つきやすいそうなのですが、

発言は、よく相手の予想を
裏切っていたようです。

何となく、決まりきった答えじゃなく
ちょっと相手が驚くような、
一捻り加えたコメントをしたい気持ちが
むくむくと沸き上がってくるのです。

「他の人と少しだけ違う
着眼点でものを見たい。」
という願望が私にはあり、

普段も、違った角度で見れないか
という意識がどこかしらにあるようで、
気になったことを思い付いたまま話すと
「そう来るかぁ。」とよく言われます。

そして、私自身は、
相手のその評価が結構好きだったりします。

私の価値観や、感性などを
知ろうと思って接してくれているからこそ
出る言葉だと思うんですよね。

相手に興味や関心がなければ、
「えっ?!」とか、「なんで?」で終わると思うんですよね。

自分の価値観ではない発想だから、
驚いたり、拒否感を抱いたり、
そういうことは、往々にしてあると思いますが、

「なんで?
(あなたはそういう発想に至ったのか知りたい)」
なら良いですが、

「なんで?(あなたは間違っている。私が正しい)」
なら悲しいなと思います。

そう考えると
私の着眼点を面白がってくれ、
私自身を知ろうと思ってくれるような人と
これまで友人になってきたように
思います。

おそらく、前述の二人も、
私のその発想やコメントを
結構面白がってくれていたんじゃないかな
と思っています。

毎回新鮮に驚いてくれていたので、
わかりやすい行動パターンで安心感を、
読めない発言や発想で感心と掴み所のなさ
という正反対の印象を
同時に与えていたんでしょうね。

おそらく配分はイメージ通りの
安心感が8割から9割、意外性が1割から2割
といったところだと思います。

このバランスが、
良かったのかどうかはわかりませんが、
友情でも、恋愛でも、
そういう個性の相性も
大事なのかもしれませんね。