どこにでも、心ないことを言う人はいる。
たまたまその人の環境や状況が
その人の許容量を
超えてしまったがために
普段のその人なら
決してしないようなことでも
してしまったり、
言ってしまったりすることがある。
過去の経験が
ある人や、ある行動に対して
強い拒否感を与え、
それゆえに
その人が攻撃的になるきっかけを
生み出すこともある。
自分が誰かに
嫌なことをされたから
傷つけられたからといって
「あえて」誰かを
傷つけることをしたら
結局自分は、
その愚かな、恨んでいる誰かと
同程度の人間だと示すことである。
何も無抵抗でいろとは言わない。
ただ、自分がその愚かな誰かと
同程度の人間ではないと思うなら、
余計な言葉は必要ない。
そんなこと言わなくたって
ちゃんと心ある人は、
どちらに理があるかわかるから。
心ない人にまで
分かってもらおうとするから、
「あえて」誰かを傷つけたりして
自分を卑しめることになるんだ。
そんなことしなくたって
ちゃんとわかってるよ。
たとえ表立って
自分の味方をする人が
ただの一人もいなかったとしても
それは、
自分の味方をする人が
一人も存在し得ないことを
意味するわけではない。
仮に、
今現在、世界中の全ての人に
意見を聞くことが可能だったとして
その誰も
味方してくれなかったとしても
未来の人もまた
自分の味方にはならないと
決まったわけではない。
悪意からは悪意
憎悪からは憎悪しか生み出さない。
偏った愛は
時に暴力的でもあるけれど
「あなたのためを思って」が
本当に自分のために
考えられたものであるかは
冷静な状態であれば
判断出来るはず。
厳しさの中に愛があることもあれば
優しい、甘い言葉の中に潜む
無関心や媚び
場合によっては悪意だってある。
本当に相手にとってためになるのは
どちらなのか。
それを考えてメッセージ
(コメントなりメールなり)で
伝えるのが「愛」なんだと私は思う。
わざわざ他の人から
嫌われたい!と思って
コメントする人なんてまず居ない。
だから、好かれたいと思うのは自然なこと。
でも、それと、
好かれようとしてするコメントは
別物なような気がする。
どれだけ一生懸命
相手のことを思って
愛をこめてコメントしたとしても
伝わらないことだってある。
受け取ってもらえないことだってある。
それは、
つかう言葉の問題で
本当のメッセージが
歪められてしまうこともあれば
普段の関係性のせいで
(私のことなんて
よく知りもしないくせに!とか)
伝わらないこともあれば、
双方の立場が違いすぎて
ストレートに言葉通りに
受け取ってもらえないこともある。
(勝手に嫌味だととらえられたり
経験もないくせに分かったようなことを
言うなと思われたり)
伝え手側に
言葉足らずだったり、
必要以上に挑発的な言葉を使い過ぎるなど
落ち度があるケースもあれば、
受け手側に
改善点がある場合もあるし、
(別の人だったら
すんなり受け取れる内容でも
その人固有のコンプレックスなり、
行間を読むことが苦手だったり、
表面上のコミュニケーションしか
取ったことがないといった経験不足などで
素直に受け取れないケース)
どちらも悪くないけれど
単に相性が悪いというケースもあると思う。
(言葉数少なに要点のみ言うタイプの人と
細かく発言の意図を説明するタイプだと
双方がいかにイメージを共有出来るかが
鍵だと思う。)
時間が経てば
ふとある瞬間に腑に落ちることも
あれば
そんなタイミングは
ずっと来ないかもしれないけれど
変わりたい、変えたいと
本心から思わない限り
きっと人は変わらない。
自分から変わる気にならない限り
周りがいくら言ったとしても
それはその人にとっての
時機ではないんだ。
もっと早く意見を取り入れていれば……!
なんて思うこともあるかもしれないけれど
それも、またその人の選択。
あの時「変わらない」、「保留」
「現状維持」、「変えられない」という
選択をしたのであれば
それは誰のせいでもなく
自分の責任。
過去は変えられないけれど
今とこれからは変えられるのだから
変えたいと思うのであれば
今からでも変えていけばいい。
そして、基本中の基本で、
かつ一番大切なこと。
自分の発言には自分で責任を持つこと。
インターネットの世界は
老若男女、人種や国籍など問わず
様々な人が目にする
「公共の」場所。
ブログは私的なスペースでもあるけれど
自分だけが目にする
誰にも内緒の紙の日記帳じゃないんだ。
自分とは違う環境や経験や
価値観の人達が集う場所。
ブログの記事本体だけでなく
コメント欄もそういう場所じゃないのかな。
多数派が偉いわけでも
少数派が劣っているわけでもない。
誰かと意見が一緒だとか違うとか
そういうことじゃなくて
一緒だろうと違っていようと
個々人が、「一個人の私」として意見を
それぞれが書いていくのが
一番公平なんじゃないかな。
「一人の私」として発言するのは怖い?
誰かが何かを言ったからといって
便乗して誰かを責めるのは違うと思う。
本当にその誰かが声をあげなくても
自分はその声をあげただろうか。
そんな時こそ
「I(アイ、主語が私の)メッセージ」で
伝えるべきだと思う。
誰かの言葉を借りないで。
あなたの名前、あなたの言葉で
あなたの責任できちんと伝えて欲しい。
私が書いた
「自分の発言には責任を持つ」とはそういうこと。
誰かの足を引っ張って
相対的に高くなった(ように見える)自分に
(少なくても)私は価値を感じない。
私は、そんなものなら要らない。
だったら、周りの人に
たとえ軽んじられたとしても、
私は私の価値を信じているから
「比較しての私」ではなく
「ただの私」としての意見に誇りをもっていたい。
今後、この考えがどう変わっていくかはわからないし
私も聖人君子ではないので
今までも、これからも沢山失敗してきたし
多くの人を傷つけたし、
きっとこれからも傷つけてしまうと思うけれど
少なくとも公共の場で
「あえて」誰かを傷つけるような人にはなりたくないと思う。