祖母は、明るく前向きな人で
普段から、
愚痴らしい愚痴を言わない人だった。

入院中の祖母を見舞いに来てくれた
祖母の友人は、
「あなたのおばあさんは、凄いのよ。
お姑さんやお舅さんと同居だったし
色々あっただろうにね、
嫌ごとを言っているのを
私は、一度も聞いたことがないの。
でも、私の愚痴はいつも聞いてくれてね。
励ましたり慰めたりしてくれてたのよ。」
そう言っていた。

祖母は、優しい人だった。
そして、芯の強い人だった。

祖父は完全に尻に敷かれていたけれど
祖父が堂々と振る舞えるよう
お膳立てをし、
自分は陰に徹するような人だった。

人前で、祖父の評判をさげるような
発言は一切しなかった。

そんな祖母が
私に常々言っていたことがある。

「おじいちゃんと喧嘩するとするでしょ。
頭がカーッとなってもね、
どんなに腹が立っても
毎朝きちんと笑顔でお見送りするの。

朝、おじいちゃんが家を出て、
姿が見えなくなるまではね、
絶対文句は言わないの。
その間は我慢するの。

その代わり見えなくなってからは
『なにくそ!』と、家の中で
すごく怒ったものよ。アハハ。」

「仕事に行く前にね、喧嘩して
むしゃくしゃしたらね、
そのことに気をとられたおじいちゃんが
途中で怪我でもしたり
事故でも起こしたら大変でしょ。
だからね、朝は気分よく出勤してもらうの。
これだけはね、
おばあちゃんずっと気を付けてきたの。」

このさじ加減が非常にうまく、
祖父のやる気を上手に引き出す人だった。

この祖母だからこそ、
やや気難しい祖父の相手が
務まったのだと思う。
「なんでわかったんですか?!」
ガチャンと受話器を置くや否や、男性は言った。

「え?なんでって言われても……。
別にフツーのことをしたまでで。」
「僕、机をトントンってしただけですよ!
何も言ってないのに!すごい!!」

興奮気味に机をトントン叩いているCさんは、
職場の隣の席の男性で、
電話は二人で一台を共有している。

その時私は、
パソコンで入力作業をしており、
Cさんが何をしているのかは知らなかった。

私の机を、Cさんがトントントンと叩いた。
テンポは速く、少し焦っているようだった。

私は、作業の手を止め、
左手側置いてあったメモ用紙を取り出して
Cさんに渡した。
「もしかして、これですか?」

Cさんは頷き、メモを受け取り
おもむろに何かを書き始めた。

しばらくその様子を眺め、
どうやら問題なさそうだったので
私はまた、元の作業に戻った。

この出来事のことだった。

私にとっては、
当たり前といっていいくらい
些細なこと。

判断した基準は、
①机をトントンと叩いた➡
Cさんは何かを伝えようとした、
あるいは何かを探しているらしい
②現在Cさんは電話に出ている
③メモをとっているそぶりがない
⇒メモを持っていない?


もう少し補足すると、
共有で使用している電話は、
双方の席の中央ではなく、
私の机の上に置いてある。

これは、作業スペースの確保のために
現在の席になった時に取り決めしたことで

メモ帳は、使いやすいように
何となく電話の前に置くことになっている。

ただ、Cさんが何度も電話を
とらないといけない時は
電話ごと手前に寄せて使用することもある。

そうすると、
今度は受話器のコードに手前のものが
引っ掛かりやすく邪魔になるので
必要なメモを渡したら
(もしくは、メモ帳を持っているのを
確認したら)
他のメモ帳等邪魔になりそうなものは
反対側に移す。

資料の入ったファイルを確認しながら
電話に出ていることが多いから
ファイルを開くスペース確保のためである。

これは、私が勝手にしていることで
特にCさんに頼まれた訳ではない。

その電話が終われば、
メモ帳等は基本的に元に戻すことにしている。

ただし、私の作業スペースが必要な時は
その限りではない。
(Cさんの机の足には、
マグネットではさんだメモ用紙を
留めてあるので、
本当に控えるものが無いわけではない。)

聞くとはなしに聞こえてくる
Cさんの電話応答の声や
仕草(主に作業音)を聞いて
必要なものが手元にあるかを判断している。

何かカチカチと
ノックしているような音が聞こえたら
メモを取る準備を始めたのかな?
と思うし、

ガッガッと強めに筆記具を
紙に擦りつける音がすれば
インクがかすれて出にくいのかな?
と思うし

バサバサと忙しなく
何かを持ち上げて下ろす音が
聞こえたら、メモ帳を探しているのかな?
と思うし、

バッバッと勢いよく
ページをめくる音がしたら
資料の中の該当するページが
見つからないのかな?
と思う。

電話の途中でEさんが、
キャビネットを開けたら、
探しているファイルは
大体このファイルかあのファイル。

そんな感じの判断である。

一人一人、行動にうつす時の癖があるので
何となく、そういう癖は
私の頭の中にインプットされていく。

電話を受ける時にはメモが
段ボールを留めるならガムテープが
ホチキス留めを外したらゴミ箱が
必要なのは、わかりきっていること。

その前の作業と
相手が何をしているかがわかれば
ある程度は出来る。
ただ、それだけのこと。

わざわざ、意図を口に出して
手伝わないから
「え!?なんでわかったんですか?」
「もしかして、これ準備してくれたんですか?」
とかたまに言われるのだけれど
気づいてしまった以上
しないというのは、
よっぽど自分がいっぱいいっぱいの時くらいかなぁ。
「こうなったらいいなぁ。」
「私は、こういう時困ったな。
そういうのが解消されるといいな。」
と思うと、可能ならちょこっと手を加えたくなる。

感謝してもらおうと思ってしてないけれど
気づいてもらえて、喜んだり
感心してもらえると
単純だから、
明日もがんばろうって思える。

何だか嬉しかった、今日の出来事。

飲み会の帰り
電車の乗り換えを検索中に言われたこと。
「指長いね~。」

たまに言われるのですが、
私は指は長い方ではありません。
つけ爪で嵩まししているわけでもありません。

そもそも、
(どちらかというと)手も小さいし、
指と手のひらなら
実際には手のひらの長さの方が長いんです。

「なぜ指が長いと言われるのだろう?」
これがずっとわかりませんでした。

 

私の小指は他の指に比べて

スタート位置が低く

手袋も(特に小指の)指先が余りがちで

私は、人より指が短いんだ

と、思っていたくらいです。

 

標準的な長さというものが

実際にはどの程度なのかは

私にはわかりませんが。

 

その発言をした人は私の右隣に座っていて

その位置から私の手が視界に入っていた訳です。

 

日常生活の中で

手のひらを他人に見せるような場面は

まずありません。

あるとすれば、

手相を見てもらう時か

手に何も持っていないことを

示す時くらいでしょうか。

 

他人が見る私の「手」は

ほぼイコールで手の甲側のことなのです。

手の甲側から見ると、

手のひら側から見る時ほど

手のひらの長さと指の長さの違いなんて

わかりませんし、気になりません。

 

なおかつ、小指のスタート位置が

低いことなんて

知る由もないわけですから、

他の指も同じような位置から

スタートしている思い込む訳です。

 

そうすると、私の指(特に中指)は

やけに長く見えるわけです。

きっと一種の錯覚でしょうね。

 

まぁ、指が長いと言われて

悪い気はしませんが

事実ではないんだよなぁ。

と内心思ってしまいます。

 

ついでにいうと

稀に指が細いと言われることもありますが

それも錯覚です。

指先に向かって徐々に細くなっていく

(つまり指先の方が尖っている)

手の形をしているので

そう見えるだけなのです。

 

本当に華奢で細い手指の人が

羨ましいです。

 

手や指という、

全く同じものを見ているはずなのに

 

私(本人)から見えていることと、

他人から見えているものは

こんなにも違うんだと思うと

不思議です。

 

同じものを見ていると思っているのは

私だけで、本当は全然違うものを

見ているのかもしれない。

 

ということは、翻って考えると

一見すると全然違うものを見ている時に

実は同じ"何か"を見ている時が

もしかしたら、あるのかもしれない。

根拠はないけど。

そうだったら面白いな。