Francoisの働くWurtemberg公の音楽家には、下記のような人がいます。
などです。
ナルディーニなどの、
有名なヴァイオリニスト・作曲家であるジュゼッペ・タルティーニの弟子もいました。
Francoisはこうしたイタリア人音楽家に囲まれ、素晴らしい楽器を見る機会に恵まれます。
しかし、この公爵は財産を使い込みすぎ、
音楽家たちを解雇しなくてはならなくなります。
Francoisはもといた町、Lunevilleに戻りますが、前に雇ってくれていた老齢のStanislasは、
亡くなっていました。
フランソワは父のいるオルレアンへ行くことを決めます。
ここから、Lopot一族のオルレアンでの活動が始まります。
1769年にフランソワが父ローランを訪ねたとき、
父の工房はロワール川に面したところにありました。
この時、フランソワは44歳。
オルレアンに落ち着き、息子のNicolasも修業を経てヴァイオリン職人になります。
二コラは1782年に結婚し、生活、仕事の両面で独立しました。