朝ドラ「ブギウギ」

 

昨日からの付箋はあるものの

今朝は、スズ子がその事実を知ることとなったという場面

 

ないようで、あるようなこと

 

私もその経験者のひとり

 

初産の長女出産の同日、同時刻に

父を失った

 

本来ならば、初産ならば、母が駆けつけてくれるだろうと…

その母は来ない

 

ひとりで出産した

 

次の日、一番に来たのは従姉

母が作ったという、サンドイッチを届けに来てくれた

 

なんで、従姉のお姉ちゃんが、、、?!

などと思いつつ

 

~おめでとう、おばゃんがね、作っておいたのだって、、、

 これ食べてね、、おばちゃん、ちょっと忙しくてね~

 

~わかった、わたしはだいじょうぶだから、

 母さんに無理にしないでって、いってね~

 

きっと色々忙しいのだろうと思っていた

 

夜になってから、東京から友人がきた

なんで、わざわざこの日に…なんて思っていた

 

~~ありがとうねえ~~わざわざこんなとこまで、、、~~

なんて、何も知らない私は笑顔で話した

 

彼女にしてみれば、大変な想いだったろう

私への最大の気遣いだったことが

よくわかる

ともかくも、顔を見なくちゃとと、、、

そういう人だ

 

それから、入れ代わり立ち代わり

日々、誰かが来ていた

 

後で聞けば、

私の耳に父の死が伝わらないようにとの、医師からの配慮でもあった

 

田舎の新聞は、お悔やみという欄があり

亡くなった方の報告が日々掲載される

氏素性から、葬儀場所など諸々が記載されている

いつ何時、私が目にするやも知れない

姉と弟は気が気ではなかったという

 

医師によれば、出産直後の女性の体は

何が起こるかわからない

「血の道」というのがあって

あまりに大きなショックなことがあると

それによって、精神を蝕むことがある…と

 

まわりの人たちは大変だったろうな

 

父の死にまつわる諸々の事の中で、私への気遣いを家族はしていたのだ

 

線香の香りがしてはいけないと、弟がタバコの煙を身体中に吹きかけて

入院中の私のところへ来ていたのだと、姉は言っていた

 

有難いことだと、、今でもほんとに思う

 

普通なら1週間ほどで退院するはずが2週間

次々に出産の場面に出くわした

なんでこんなに入院が長いのかなあ、、、自分は元気なのになあ

なんて単純に思いながら、その日を待っていた

 

退院の日に、担当医師から父の死を聴かされた

 

父の死を私に告げるのは僕の役目だと医師が言ったそうだ

 

~この子がいるからね、この子のためにも頑張るんだよ

 お父さんも、きっと守ってくれるからね、あなたは大丈夫~

 

何を言われたのか、正直分からなかった

 

・・・・お父さんが死んだ・・・

 

 

頭がぼうっとする中で、帰宅すると

 

母の艶やかな黒髪は、真っ白になっていた

母の身体は半分になっていた

 

数日で、人間はこんなにも変わるのか、、、

 

やっと、父の死が真実なものになって身体中を駆け巡った

 

出産のために、ラマーズ法を自宅でヒーフー言いながら

炬燵で丸くなっていた私に、笑いかけていた父は

位牌になっていた

 

 

あれから41年

地元に戻ってきた

 

明日は節分だ

41年前

父は地域の節分祭の世話役をしていた

大きなお腹を抱えて、大神宮にいる父に会いに行った

 

~~鬼にお腹を触ってもらうといい子が生まれるよ

  触ってもらいな~~と

父が、鬼をつれてきた

すりすりしてもらって、、、

 

 

数日後、娘は生まれた

数日後、父は召された

 

節分は、その父の誕生日でもある

 

父の母である、ばあちゃんが笑いながら

「豆を煎ってる最中に、産気づいたんだよ~~」と

父を生んだ時の話をしてくれたものだ

 

41年ぶりの父の名残の傍で迎える節分

 

私にとっての「節分」は何十年たっても

年中行事の一つではなくて、唯一な出来事だ