コペンの新型が出ると報じられてまだ間もないですが。僕の愛機初代コペンCOPEN L880Kがダイハツの工場から生まれたての状態で帰ってきました。新車同然です。20年以上前の発売と同時に買ったCOPEN L880K。このクルマを購入以来、無事故無違反で一度も壊したことがないので、どこも不具合や異常や故障など一切なしでしたが、さすがに各部に経年変化もあるのでエンジンなど主要部品を若返らせるだけでこの後何十年も乗り続けられるし、ついでにその他の細かな部品類もすべて新品交換し、塗装も塗り替えて。無事故で行けば僕より長生きするだろうし。周囲の同僚からは「新車に乗り換えたら?」何渡もすすめられました。が、新型に買い換えるつもりなどこれっぽっちもありませんでしたので。愛着もあるし。

 

僕のコペン、エンジンやターボやヘッドライトユニット丸ごとを生産終了間際に滑り込みセーフで新品と交換したり(エンジンは昨年の年末時点で生産終了。その年エンジンを新品交換したのは日本全国で僕を含めて11人だったそう。日本全国各地には僕のような変人が11人もいるようです。ヘッドライトユニットは僕が注文時は残り3セットで僕のがラスト。シートはのこりわずかでした。)そのほか細かなあらゆるパーツを新品に交換しました。見た目も中身も完全に新車に戻りました。

「相手はカーチスだ。あと15ノットほど欲しいんだ。」

コペンのエンジンは見た感じ心臓と言うより脳みそ。それを見てウルトラセブンのクール星人を思い出した。

赤い彗星というよりは紅の豚の主人公ポルコの愛機サボイアてカンジ。美しい・・・

 

↓塗装途中のコペンの一部

↑これを見るとポルコのサボイアを撃墜した証拠としてサボイアの破片を探しているカーチスを思い出す。

塗装途中のコペンのパーツを見てこのシーンを思い出した。

カーチス「この軽薄な赤!うん間違いねえ。アラバマのお袋にイイ土産ができたぜぇ」

 

↓トランク

 

そのほかシートも運転席側と助手席新品と交換して。塗装も元々の赤に塗り直して新車同然の姿となって主のもとに帰ってきました。

 

 

↓新型COPENことビジョンコペン

なんだかヘッドライトが無機質なロボットの目みたい。ロボットペットのラボットやアイボやペッパークンと同じ匂いを感じる。

僕の初代コペンの目と新型のビジョンコペンの目を比較してみよう。 

 

↑僕の初代コペンの左目

↓新型ビジョンコペンの左目

↓僕の初代コペンの両目

↓新型のビジョンコペンの両目

新型COPENことビジョンコペンの丸みをおびたフォルムは間違いなく僕の初代コペンを踏襲している。2代目コペンの角張ったスタイルがかなり不評だったからだろう。

↓僕の初代コペンと見比べてください。似ていますよね。

 

そういえば、以前にも似たような記事を書いたことを思い出しました。

バイクの新型と旧型(初代)のひかくでしたが。

僕の初代ハンターカブct110と新型ハンターカブct125の比較

昭和 VS 令和   | 伝説のB-BOY 風見しんご を目指して (ameblo.jp)

 

そんな中またクルマ関係で残念なニュースが。

ダイハツ不正 ユーザーら驚き憤り - Yahoo!ニュース

これはダイハツや自動車産業に限った問題ではない。日本のあらゆる組織に同様の問題がはびこっている。ジャニーズの問題も同様。しかも、それは現代に始まったことではない。昔から日本の組織の悪しき体質なのである。日本人は群れると自らブラックな集合体を作る。個よりも組織の一員であることを優先する 。これは大人社会だけではなく、子供社会でもその傾向はある。 学校における諸問題、ブラック部活問題やイジメ問題にしても、根本的な原因は日本人の精神文化にあり、それが日本の悪しき体質の組織を作り出す。

効率・合理性より忍耐や従順であること、空気を読んで周囲と付和雷同することを重視する国。何の生産性も無くても。 古くは武士道精神、大和魂…精神の国、日本の文化、価値観、国民性がそういう組織の体質を作る。 子供の部活からこの現象は顕著だ。

「働き方改革」という言葉をよく耳にするようになったが、そんなものは空念仏に等しく、労働者を取り巻く環境は、依然として、何も改善されていない。 それに皆、不満を抱いているのに誰も不満を言わない。職場ではタブーとされている。そういう空気に支配されている。 Noと言えない日本人の奴隷根性。リモートワークはコロナ禍で唯一得られた収穫であったが、コロナ5類となった途端、時代を逆こうするかのように近代的ワークスタイルのリモートワークを廃止して強制出勤に戻す。コロナに感染しても特別休暇すら取らせなくするという、日本社会、日本の組織。今日の日本でも組織においては愛国心ならぬ「会社への忠誠心」として、日本人の精神文化は利用され続けている。 「働き方改革」など夢のまた夢。 改革を自ら率先しなければならない組織のトップがそういった国民性を悪用しているのだから。 彼らにとってデメリットな改革などするわけがない。この「忠誠心」は、かつては「愛国心」の名の下に悪用された。日本人の愛国心とは何だろうか? 愛国心なのか奴隷根性なのか分からない。 本気で「国のため、天皇陛下のため」と思って命を捧げた兵隊など一部であって、皆、自分が何のために死ぬのか自己問答を繰り返したのではないだろうか。 誰もが抱える問題だが、当時の空気から誰にも相談することもできずに。国のため、天皇陛下のためなら命を捧げるのが当たり前。 たとえ、それが無駄死に終わっても無駄死にではなく、名誉、美徳であるかのように洗脳された奴隷根性ともとれる愛国心は、日本軍上層部にも利用され、やがて死ぬことを命令として供用されるようになった。特攻や玉砕を見ても分かるが、日本が負けると分かっていても、死ぬまで戦う日本兵を見たアメリカ人たちは、「日本は狂信的な愛国心を持つ国である。自ら降伏しない以上、戦争を止めるために原爆を落とすしかない」という、原爆を正当化する理由としてアメリカ側にも日本人特有の精神は利用された。