今日は80年代のB-BOY、つまりブレイクダンサーのファッションについて書きます。

80年代のヒップホップファッション、今となって振り返れば決して純粋にカッコイイとは言えませんが、

今風の言葉で一言で言ってしまえば、

ダサカッコイイ!

の一言に尽きます。

今もブレイカーはたくさんいますが、今のブレイカーの子たちは80年代~90年代当時のブレイカーとは全く違う服装をしています。

今のブレイカーは特にヒップホップだとかB BOY風ファッションみたいなジャンルに特化した服装ではなく、普通の人がオシャレして街へ買い物に行くような格好で踊っています。

ですから街ですれ違っても一見相手がブレイカーかどうかわかりません。

リュックにヘルメットぶらさげてラジカセでも持っていたら別ですが、まず、そういう人も今じゃ見かけません。

ですが、80年代~90年代後半ぐらいまでは、一見してすぐブレイカーだとわかる恰好が多かったです。

90年代後半はオールドスクール再帰ということもあり、80年代のオールドスクールテイストが結構復活した時期でもありました。

アディダス、ナイキ、プーマのジャージ

太いシューレースのスーパースター

その他NIKEやPUMAのスニーカーも同様に太いシューレース。

カンゴールのハットやハンチング

CAZALのサングラス

ネームプレート(ネームネックレス)

ネームバックル(ネームベルト)

さらに香水かけまくって

デカラジ持って。

これが80年代の定番のB BOYテイスト、B BOYフレイバーでした。これらをところどころ取り入れる感じですね。

僕はロックステディークルー(東京)の先輩のCHINOさんの影響を受けていましたね。

特に服装は。

CHINOさんの影響を受けているB BOYはかなりいました。

僕よりいくつか若い子たちですが、イソップ君たちがいた大阪のBRONXというチームにも何となくチノラーっぽいのがいたような・・・

(僕らはCHINOさん風ファッションや踊りをしている人をチノラーと呼んでいました。だからケンカになっちゃうんだよ・・・)

90年代後半になるとB BOYファッションはタンクトップも多かったですね。

バスケットボール選手が着ているような感じの。

あれにチーム名を入れたりして。

 

↑こういうタンクトップです。

当時着ていたやつを何着か持っているので今度紹介します。

B BOYの私服?踊るとき以外の服?もTシャツやトレーナー、ジャケットなどかなりラージサイズで全体的にダボッとしていました。

なぜかドレッドやティンバランドのブーツも他のジャンルのストリートダンサーの間では流行っていましたが、僕らは履きませんでしたね。

いつでもエントリーとフットワークを踏めるスーパースターでした。

ドレッドは少数ですがB BOYにもいましたが、僕は3日間も頭を洗わないなんて耐えられないのでやりませんでした。

当時のダンサーは全体的に西海岸のヒップホップに影響を受けていたと思います。

どちらかというとローライダー、チカーノに近いファッションだったと思います。

B BOYの中にはTRIBALの服を着てハイドロのキャデラックとか転がしている連中もいました。

ギャング風ファッションですから、カラーギャングにも狙われました。

僕も練習中に襲撃されました。

 

90年代のB BOYファッションはおいといて、さて、本題の80年代のB BOYファッションといきましょう。

↑こちらは本場アメリカ、ニューヨークのB BOYです。これが80年代の典型的なブレイクダンサーファッションでした。

 

日本のB BOY、ブレイクダンサーと言えば、誰もが思い浮かぶのが、

そう!

風見しんごさんです。

↑現在の風見しんごさん。

しんごさんに差し上げたジャンパーを番組でも着て戴いて凄く嬉しかったです。

さすがブレイクダンス界のレジェンド!

80年代ブレイカーファッションが最もよく似合う男です!

↑ちなみにこちらは80年代、「涙のtake a chance」を歌う風見しんごさん

 

↑こちらは現在の同じく「涙のtake a chance」を歌う風見しんごさん・・・

あれ?昔とあまり変わらない。。。

 

そして!

↓こちらはその風見しんごさんから戴いたジャンパーです。

80年代のブレイクダンサーテイスト溢れるジャンパーです!

わかりますでしょうか。

↑80年代テイストなんですけど、今風にアレンジも入れられていてオシャレなんですよ。

ダサカッコイイではなくて、純粋にカッコイイ!と思いました。

ちなみにしんごさんもおそろいで同じジャンパーを持っているそうです!笑

その節は本当にありがとうございまた!しんごさん

今度これを着て一緒にダブルウィンドミルやりましょうよ!

 

↓80年代はこういった服が特にヒップホップフリークの間で流行ったのです。

当時、ヒップホップなんて言葉も聞いた事ありませんでしたが。

当時、10歳の小学生だった僕は

ブレイクダンス=風見慎吾

ムーンウォーク=マイケルジャクソン

ぐらいの認識でした。

僕だけではなく、ダンサー以外の世間一般の人もそうです。

世代問わず。

うちの祖父母も同じ認識でした。

あ、あと映画「ブレイクダンス」の主人公のオゾンとターボもブレイクダンサーとして有名でした。

↓左の人の服に注目。有名なんですね!やっぱり!

↑オゾン(右)ターボ(有名)

 

↑数年前に上映した映画「ブレイクビーターズ」

この映画でも当時の流行ファッションを再現していましたね。

こちらの映画は風見しんごさんもラジオなどで宣伝されていました。

パンフレットにもしんごさんのインタビューが掲載されていて、映画の内容に関するコメントと、ご自身の80年代にブレイクダンスをやり始めた当時の思い出のエピソードが書かれています。

↑Rock Steady Crew(ロックステディークルー)

↑NEW YORK CITY BREAKERS(ニューヨークシティーブレイカーズ)

映画「ビートストリート」ROCK STEADY CREW 対 NEW YORK CITY BREAKERS

↑映画「ビートストリート」NEW YORK CITY BREAKERS

 

↑PRINCE KEN SWIFT。B BOY界のブルースリーといった風格。

↑今は亡きフロースティー・フリーズ(FROSTY FREEZE)@リンカーンセンターでのダイナマイクロッカーズとのバトル

自分の体を痛めつける技。スーサイドスタイル(自殺系スタイル)と呼ばれていました。

ボム(爆弾)からのデスフリーズ(死のフリーズ)※フリーズとはブレイクダンスの踊りの最後にピタッと動きを止めるポーズのこと

僕もかつて前方宙返りして背中で着地してデスフリーズをやるという「前宙爆弾」という技をやっていました。

今はもう危なくてできません。

この歳でやったら本当に自殺になってしまいます。

フロースティー・フリーズはROCK STEADY CREWの創設メンバーで

CRAZY LEGSやKEN SWIFTより先輩です。

近所の兄貴分的存在で人望も厚く、人脈もかなり広かったそうです。

↑クレイジーレッグス

↑ROCK STEADY CREW(クレイジーレッグスとジミーディー)

風見しんごさんがブレイクダンスをやるキッカケとなったのがこの方たち(ROCK STEADY CREW)のブレイクダンスです。

映画「フラッシュダンス」の短いブレイクダンスシーン、あれを見て「これだ!これをテレビでやるしかない!」としんごさんは思ったそうです。

そのワンシーンで踊っていたのが、このROCK STEADY CREWです。

ちなみに、こちらの動画をご覧ください。

風見しんごさん主演「あいつに恋して」のワンシーンです。

森高千里さんのデビュー作でもあります。

踊っているしんごさんが着ている服を見てください。

上のROCK STEADY CREWとそっくりですよね。

 

↓そして、こちらのシーンこそが風見しんごさんがブレイクダンスをされるキッカケとなったシーンです。

 

映画「フラッシュダンス」Performed by ROCK STEADY CREW

 

↓1980年代のニューヨークのヒップホップファッションです。

バックペイントのデニムにステッチを入れたパンツ

アディダスやナイキのジャージ

カンゴールのハットやフィッシャーマンキャップ

ぶっといシューレースのスーパースターにカザールのサングラス

ネームネックレスにネームベルト

バカデカいラジカセ

ROCK STEADY CREWのKEN SWIFT曰く、「当時はFATなシューレースなんて売ってなかったからズボンのゴムを抜いて、それをシューレースにしたのさ!誰が始めたのか分からないけど(笑)それがニューヨーク中のB BOYの間で流行り出して、それでファッションとしてファットなシューレースが開発されたんだ。」だそうです。日本では毛糸を使っていたり、要は創意工夫ですね。

 

 

80年代当時、テレビの露出の多さからアメリカですべての世代が知っていたブレイクダンスチームが、ロックステディークルーとニューヨークシティーブレイカーズです。

両チームが共演したのが映画「ビートストリート」です。

どちらのチームもテレビや映画に出て人気者になり、やがてアイドルグループとして活動を始めます。

どちらもアイドルグループとしてレコードも出しているほど。

どちらも元々は街の不良少年、ストリートギャングだった子たちが突如アイドルになってしまうという・・・

世の中わからないもんです。

↑アイドル化し、なぜかレオタードを着てテレビで踊ることになったNEW YORK CITY BREAKERS

↑本やグッズも出しています。

↑レコードも出しています。

↑アイドル化したROCK STEADY CREW

↑もちろんレコードも出しています。

 

ただし、ロックステディーよりもニューヨークシティーブレイカーズの方が圧倒的にテレビや映画の出演は多かったです。

当時、子供だった僕でも知っていましたから。

国内外問わず多数のテレビ出演

当時、日本のテレビでも見ていました。

テレビに映画にひっぱりだこ。

あちらこちらの国からもひっぱりだこで海外遠征までしてるほど。

ロックステディーが出ていた映画は主に「フラッシュダンス」「ワイルドスタイル」「ビートストリート」

その他もドキュメント番組とかにも複数出ていました。

ロックステディーだけを扱ったドキュメントもありました。

音楽番組も。

↑ロックステディーのドキュメンタリー番組

ロックステディーは映画「ワイルドスタイル」の公開で日本にも来ていました。

その頃ブレイクダンスは金になるというんで、ブレイクダンス映画が次から次へと作られました。

「ブレイクダンス」

「ブレイクダンス2」

「ボディーロック」

「ブルックリンボーイズ」

「クラッシュグルーブ」

「クラッシュグルーブ2」

「ブレイキン アンド エンタリング」

「ファーストフォーワード」

「シンデレラボーイズ」

「エレクトロロック」

「スタイルウォーズ」

「ヒップホップ ストリートヒストリー」

ブレイクダンスのHOW TOビデオを買うとブレイクダンスの練習用マットがもらえるなんていうのもありました。

ちなみに日本のブレイクダンス映画は、風見慎吾さん主演「泣き虫チャチャ」1本

あ、TRFのSAMさんの映画もありました。タイトルが「ダンシング ストリート」という映画です。

ドラマでは「スタア誕生」や「ヤヌスの鏡」で風見しんごさんがブレイクダンスを踊っています。

さらに90年代には今は国会議員となった山本太郎さんや吉田栄作さんが出演している「代打教師」もありました。

我が家には当時のブレイクダンス映画やドキュメントやHOW TOビデオなどブレイクダンスのVHSのビデオテープがおそらく100本近くあると思います。

ロックステディー関係でも何十本あるかわかりません。

いつか1本1本紹介したいですけど、それより先に誰かがYOU TUBEにあげると思います。

 

あと、これはあまり知られていないと思いますが、ロックステディークルーはアニメにも出ていました。

当時、僕は夕方やっていたアメリカのアニメ「トランスフォーマー」に夢中だったのですが、そのトランスフォーマーにも不良役でアニメ化されて出てきます。CRAZY LEGSとか。

いつか証拠映像を紹介しますね。

↑アイドル化したROCK STEADY CREW

↑アイドル化したNEW YORK CITY BREAKERS

 

↑最初からアイドルしていた風見しんごさん

↑そして今も!?

 

↓こちらの右の方、映画「ビートストリート」で登場するNEW YORK CITY BREAKERSのGLIDE MASTER(グライドマスター)という方です。

実を言いますと、僕がこのブログで名乗っている「グライドマスター」という名前は、この方に因んで付けたものです。

この方は当時世界一ハンドグライド(ハンドスピン)が上手かったのです。

特にこの方のフィストグライド(グー、拳でスピン)とサイドグライド(体を真横に向けたハンドスピン)は芸術でした。

僕はこの方のハンドグライドを徹底的にコピーしようとしました。

そして僕の1番の得意技となりました。

90年代、僕が高校生当時、僕はこの技で誰にも負けたことがありませんでした。

誰にも負けないという自負がありました。

でもグライドマスターには到底及びません。

 

↑こちらが僕の現在のハンドグライドです。

昔よりかなり衰えてしまいました。

 

実は僕はNEW YORK CITY BREAKERSのメンバーであるPOWERFUL PEXTER(パワフル・ペクスター)からGLIDE MASTERと名乗って良いと許可を得ています。僕のグライドを見せた上で。

↑パワフル・ペクスター

 

ですが、僕は今でもb boyネームは「るぱん」のままにしています。

恐れ多くて「グライドマスター」なんて名乗れません。

なぜグライドマスター本人ではなくパワフルペクスターから許可を得たのかと言いますと・・・

実はグライドマスターはまだNEW YORK CITY BREAKERSが全盛期だった頃にバイク事故で他界してしまったのです。

本当に残念です。

本人と会いたかったですね。

天国へ行ったらバトルを挑もうと思います。

グライドマスターは僕にとても大きな影響を与えたブレイクダンサーの一人です。

 

↓そしてNEW YORK CITY BREAKERSの他のメンバーたちです。

 

 

1980年代のヒップホップファッション

と言ってもブレイクダンサーに絞りましたが如何でしたでしょうか。

では、最後は映画ビートストリートの名シーン

NEW YORK CITY BREAKERS 対 ROCK STEADY CREWのブレイクダンスバトルをご覧ください。

↑映画「ブレイクビーターズ」と「ビートストリート」とご自身の主演作品である「泣き虫チャチャ」を誇らしく掲げる風見しんごさん