さて、アメリカはニューヨーク!!

 

なんか、はじまりが、サイレント映画の弁士風? 笑

 

 

1950年の1月。

フェルドマン 24歳。

 

 

 

 

 

ケージ 38歳、

 

 

 

ふたりとも、

ニューヨーク・フィルのコンサートに出かけました。

 

 

演目は

アントン・ヴェーベルンとセルゲイ・ラフマニノフ

 

(この取り合わせも、どうなの?って気もしますが。)

 

えっと、つまり、灰野敬二と浜崎あゆみ?

すみません、自分、日本に住んでないので、

こういうたとえがイマイチです。外れてたらすみません。

 

 

 

当然、このふたりは、ヴェーベルンしかまったく興味がなかったので、

ラフマニノフが始まる前に、さっさと退席し、

 

ばったり出口で、目が合います。

 

ばっきーーーーんん!!

 

おそらくまだ全演目が、終わってないのに、

帰ってる人なんて、いなかったんだと思います。

 

だって、クラッシックのコンサートって高額だし。。苦笑

 

でも、途中で帰るって???

 

で、ロビーで、お互いが「あれ?」って思ったに違いないです!!

 

自分と同じ行動をとってる人。。。同じテイスト!!

 

ラフマニノフには、目もくれず、

ヴェーベルンだけ聞いて、さっさと帰ろうとしている。

 

「こいつは、タダもんじゃねー!」って思ったんでしょう。

 

フェルドマンがケージに、

 

「よかったよね?」と声をかけた。。。

 

運命の出会い。。。ふたりは、それ以来の友人となりました。

 

じゃ〜〜ん。

 

 

 

 

 

ロマンチックな関係に発展したのか?は、

ちょっと調べましたが、確実な事は、どこにも見当たりません。汗

 

あたくし、あまり、どうでもいい事に時間を費やさないようにしないと、

ただでさえ、つい脇道にそれるんで、引き上げます。

 

 

 

 

 

 

それにしても、モートン・フェルドマンという人は、

 

 

かなりキャラが濃かったみたいで、

スティーブ・ライヒが言うには、

 

 

 

一回会ったら、忘れられないキャラ!!

 

 

どーん。

このイカツイ顔!!ですからね。

 

 

 

 

 

 

 

ニューヨークで一番おしゃべりで、話好き。

 

 

 

エゴが強くて、困らせるよう事でも、ずけずけ言うし、

 

 

でも陽気で、冗談好き。

 

 

こんなパーティーの写真が多いです。笑

 

 

 

 

でも

 

作曲に関しては、内的で引込みがち。

ささやくような声でしゃべったらしいです。

 

しかし彼の音楽は、

 

静かで、巨大、苦しい位くらいに美しい世界を

アメリカの音楽にもたらした。。。。

 

言い遅れました!!!

 

そんくらい凄い人です。

イカツいだけじゃないです。

 

うふふ。褒めてくれて、ありがとよ。

 

 

フェルドマンの経歴は面白いですよ。

 

生まれは1926年。ケージより14歳年下です。

親はユダヤ系で子供服のコートを作る工場をやっていました。

 

 

1930年代、40年代はヨーロッパからの移民がたくさん集まり、

ニューヨークは活気があって、パワフルな時代でした。

 

いたるところにいろんな人がウロウロしてて、

その辺を歩いてても、何か学べる。

 

ちょっとゼミに出てみたり、バーに出入りしているだけで、

面白い友達ができたり、知識が広がってた時代です。

 

フェルドマンは18歳の時、

ニューヨーク大学に進みますが、2日でやめます。

 

そして、父の工場で働き、また、親戚のおじさんがクリーナーをやっていたので、

そこでのパートもやります。

その他にもちょこちょこいろんな仕事をかけもちして、

 

なんだかんだこういう仕事の状況を

44歳まで、ずーーーーっと続けていたそうです。笑

 

日本でいうと、定職につがず、バイトのかけもちっていうか?

つまり音楽で食べていってないって事ですね。

 

そういう人がアメリカの音楽を変えたんです!!

素晴らしいでは、ありませんか!!!!!

 

早速、脇道。

 

日本だったら、それで食べてないアーティストというのは、

もう大否定!されます。蔑まれます。

自分で、アーティストなんて!!偉そうに!!って言われます。

 

作品で判断されないで、それがお金になってるかどうかで、判断される。

寂しいですね。。。。。

 

でも、アメリカは違います!!!気にしません!!

何をしてるかだけで勝負!!です。

 

だから、別に後ろめたい事もないのです!!!

日本も早くそうなって欲しい!

 

とうわけで、フェルドマンは、バイトしながら、

もちろんその間もずっと音楽を続けます。

 

 

 

 

その頃、フェルドマンのメンターはふたりいました。

 

一人はシュテファン・ヴォルペ。

 

彼はヨーロッパから移民してきた音楽家。

ダダなどのビジュアルアートの環境からの音楽家です。

 

そして、あの、エドガー・バレーズです。

 

そして、彼の初期の音楽は、

シェーンベルクとバルトークから始まりました。

 

 

そして冒頭にも書きました、

ケージにあった1950年、フェルドマンは24歳でした。

若かったっです。

 

この頃、ヨーロッパでは、12音階がピーク。

つまり理論のない音楽ってのは、相手にされなかった。

つまり方法論が全てだったんです。

 

そんなある日、フェルドマンはケージに自分の曲を見せたそうです。

しばらく、ケージはその曲を見つめてました。

そして、フェルドマンに尋ねました。

『どうやって、この曲を作ったんだい?」

 

フェルドマンは、

「自分でもわからないだ。。。。」って言いました。

 

この答えにケージは、大変ショックを受けて、

 

え~~~~???

こんな凄い曲なのに、どうやって作ったかわからないだとぉー?

 

と、驚いて、声高に叫び、大感激したそうです。

 

この事件(!)で

フェルドマンは「理由がなくても、音楽を作っていいんだー。」と確信したのです。

 

方法論とかじゃなくて。。。。自分の直感で!!!

 

((((( 直感=理由なし )))))

 

 

そして、それからもケージから応援してもらって、

「絵で楽譜を作る」事をはじめます。ケージもこれを絶賛します!!!

こんなんです。

 

 

 

 

 

 

 

前にクセナキスとか、でてきましたが、ウィキによれば、

フェルドマンが最初に始めたと、なってました。

 

そして、形式の否定!!!

 

かっこいい!!

 

音色や演奏時間は定まってるけど、楽器の音域を演奏者が選べたりなど。

 

 

「偶然性ケージ」も「直感フェルドマン」も、もちろん

全部をかき混ぜて、神聖なかんじでかき回すような

新ウィーン楽派は、チェック済み!!!

 

 

 

フェルドマンは、確かにその辺からの影響が強いです。

 

ただ、彼、独特なのは、

たとえば、ショーンベルグは、次の音まで、ちょこちょこ動くが、

フェルドマンはもっと忍耐強く、ゆ〜っくりで、息をしてから、次の音へ。

 

コードが何を言わんとするか?

 

言いたい事を音に言わせてから、次にいく。

 

そして、重なりは、むちゃくちゃ薄い。

 

そして、直感で、理由なし!

 

 

初期の作品

「インターミッションズ」や「エクステンションズ」 は、

ヴェーベルンのシンフォニーのようにスピリチュアルな作品で、

音符を厳格に追うような曲です。

 

エクステンションズ3は、40小節に音がたったの、57しかないです。

 

音符の間のスペースにパワーをもたせてます。

いってみれば、すごいシンプルです。

 

リズムはイレギュラー。

ビートがあるようなないような。。。

ハーモニーが不協和音と和音の上に住んでいる。

至福と忘却の間。

 

音が少ないので、日本人には親しみやすいのではないでしょうか?

 

なんか、極限まで切り捨ててあって、俳句みたいな、禅みたいな??

メロディがあるようなないような、

石庭とかで聞いたら、結構ハマりそうです。

 

 

 

 

また、彼のユニークなところは絵画から、影響を受けているところ。

 

ニューヨークの画家たちからインスパイアされている。

 

つまり絵画を音に置き換えたらどうなるか?と。

 

つまり音楽と絵を同じと考えてる。

キャンバスと、楽譜を同じレベルに!!

 

 

その頃のアメリカでは、抽象表現主義の絵画というのが、

大センセーションを起こしていました。

 

一番有名なのは、ジャクソン・ポロックです。

 

 

 

 

他に、

ロバート・ラウシェンバーグ(全部、黒や白のキャンバス)

 

 

 

バーネット・ニューマン(弱い微光のライン)

 

 

 

 

マーク・ロスコ(色の濃霧が育ってゆくような)

 

など、

 

 

 

これは何が描かれているのか?ではなく

絵そのものについて、

絵とは何か?を問う。

 

フェルドマンがこれらの絵からインスパイアされた事は、

 

もっとダイレクトに

もっと直接、それに接触しているように、

もっと、物質的に、物体的に!!

 

なぜか? 

 

もちろん理由な〜〜し!!

 

 

彼はただ

 

絵が色の顔料でできているように、

彼は音の反響という極めてベーシックな事実を、聴く人が観察してほしい

自然の景色を見るように、自分の音楽を聞いてほしい。。。。

 

と、思った。

 

たしかに、自然には理由がない!!!

 

なぜ、空が青いのか?

なぜ、ずっと地球は回ってるのか?

 

(もちろん科学的にはあるとは思いますが、、、)

 

そして、なぜ、人は生きて死ぬのか。。。。。

 

 

 

しかし、彼は直感で作ってるからといって、

 

恐怖とか過去を置き去りにはしてはないです。

 

まずユダヤ人ですしね。。。。背負ってるものがあります。。

 

 

親しい友人のマーク・ロスコが自殺するんです。

 

その死後の展覧会にインスパイアされて、

1971年、「ロスコ・チャペル」という音楽を作りました。

 

 

 

 

これは親しい友人を亡くした、ピリチュアルな弔いの音楽ですが、

一人のために作ったとは、考えられないくらい、

神を感じさせるくらいのスケールが大きいものとなりました。

 

ある意味で、メシアンにおとらない、

人生を超えるようなパワーを考えさせられます。

 

 

この曲は25分ですが、

1979年から1987年まで、

フェルドマンは、だんだん長い曲をかくようになりました。

1時間2時間とか、当たり前みたいな。

 

長い作品は、音楽が、違う世界からの人生を変えるような力。

を持っていると感じ

 

すべてを消し去る、卓越するパワー。

 

それが彼の音楽のゴールとなりました。

 

 

1984年の「ストリングクォルテット2」は、6時間。

「フィリップ・ガストン」1984年などは5時間です。

(オリジナルですが)

 

これ、聞く方は忍耐との戦いとなります。

頭が違うステージにいっちゃいます。

 

 

ちなみにフィリップ・ガストンも画家です。

こんなん。

 


 

 

 

 

フェルドマンの音楽は、音がシンプルなので、

ミニマリストとも言えない事もないですが、

 

調性音楽におけるハーモニーとかとかどうでもいいと思ってて、

 

もちろん、直感だよ!!

 

 

 

そういう意味では

ハリー・パーチのような、西海岸の作曲家に近いかもしれません。

 

フェルドマンは自分の事を

 

「西洋文明の音楽」

 

と呼びたくなかったそうです。

 

つまり、彼の立場は、ヨーロッパの音楽のもつ「伝統的な構造化」

というのも、何も引き継いでいない。

 

彼のような世界は後にも先にもいない。。。。

かなりユニークな音楽家という事です!

 

孤高で、

 

そして、時代からも、、、浮いている。

 

。。。。浮いているといえば、

以前(33)で、やりました。フィンランドのシベリウス。。。

彼もかなり、浮いてました。。。。。。

 

オチ。。。

 

フェルドマンはシベリウスのファンだったそうですよ。

 

で、ここからは私の思ったことですが。

 

もうひとり、孤高といえば、パリのエリック・サティ。

彼は「家具の音楽」というコンセプトを作りました。

 

これこそ、

「自然の景色を見るように、自分の音楽を聞いてほしい」という

フェルドマンとも重なるではありませんか!!

 

そして

これはのちに環境音楽のブライアン・イーノとかにも

つながるのではないでしょうか?

 

 

次回はニューヨークのシーンについて、まとめてみます。

 

では。