カリフォルニアの前衛=アバンギャルドについて、

今回は、ジョン・ケージと、ルー・ハリソンについてです。

 

ジョン・ケージともなると、

もはや「前衛」という言葉ではくくれない、

 

もう大きすぎて、カテゴリーがない!!!笑

 

 

ぼかぁ、ネタが豊富だよ!

 

 

 

 

しかし、彼はロサンジェルス生まれだし、

カリフォルニア大学にも行ってたので、

今回の「カリフォルニアの前衛」というのに、一応いれときます。

 

 

ケージの事は、以前にも(60回)と(61回)で、やりました。

時代的にはこちらの方が先になりますが

 

今回は彼のカリフォルニアにいた時の事を、書き足してみます。

 

 

 

お父さんは潜水艦の発明家。。。

 

 

彼はサンタモニカに住んでた時に、ピアノを習い、

高校の時は成績もよく、16歳で、すでにカレッジに進学。さすがですね。

専攻は神学。でも中退します。

 

 

 

 

その理由。

 

ケージ曰く。。。

 

「カレッジにはいって、ショックだったのは、

みんな、図書館で、まったく同じ本を読んでいたんだよ。

 

だから、自分は「 Z 」から始まる名前の作家から読み始めてみた。

そしたら、結果はクラスで一番、成績がよくなった!!

 

これって、学校って必要なくね?(今風の若者言葉)

 

で、やめた。」

 

と、まあ、早くもこの天才ぶり!!

 

 

 

その後、パリで建築をチロっと勉強しますが、

その頃から絵や音楽にも興味をもちはじめて、作曲をはじめます。

で、次の年、アメリカにもどってから、

本格的に音楽をはじめます。まだ、19歳!

 

 

 

 

西海岸というのが、彼のインスピレイションになってゆきます。

 

1934年、ケージは、当時ニューヨークで、ヘンリー・カウエルのやっていた

「西洋音楽ではない音楽」というクラスを受けます。

 

カウエルは環太平洋という考え方で、音楽を捉えていた人の一人です。

 

僕は、カリフォルニア出身だし。

 

 

そして、

フレキシブルな形式や、音とノイズの交換など、

今までになかった刺激をうけます。

 

知り合いになった二人は

(ロマンチックな関係だったのかな〜? わかりません。)

 

その年の終わりに車でアメリカ大陸を横断しました。。。。。

 

 

 

 

その時からアメリカの音楽は変わった。。。。。

 

 

 

ヘンリー・カウエルの紹介で、

南カリフォルニア大学にやってきたばかりの、

あの、シェーンベルグ!!!とのコンタクトが取れます。

 

ケージは22歳

シェーンベルク教授 60歳

 

僕のこのブログの出演回数、多くない??

 

 

 

 

そして、バッチリ2年間!!

彼から多大な影響を受け、、結局、ケージのメンターとなりました。

 

 

 

 

その後、ケージはニューヨークに引っ越すので、

続きは、前のブログの(60)と(61)をチェックしてみてください。

 

 

1940年、ケージが28歳のときに、プリペイドピアノを考案。

ピアノを打楽器に変えました。

 

 

これ、ヘンリー・カウエルも、似たようなこと、やってますね。

 

 

 

 

また、前回のハリー・パーチもこのころ、

自分で楽器を作りはじめているので、

ちょっと重なりますが、このふたりは、接点はなかったみたいですね。

 

 

 

 

考えたら、みんなゲイですね。。。。

次に出てくるルー・ハリソンも、、、そうです。

 

 

ハリー・バーチですが、南カリフォルニア大学に行ってたのですが、

ショーンベルグとは、時期がズレてますので、接点はなし。

 

(ショーンベルクはゲイでないです。ちなみに)

 

もし会ってたとして、シェーンベルクはもうかなり大物ですからね。

 

カリフォルニアのアバンギャルド達のテイストとは、かなり違うし。

 

 

ぼかぁ、ハンバーガーは食べないよ。

 

 

ましては、ハリー・パーチは、もうアウトサイダー過ぎて。。。汗

しかも、この頃は、半分、浮浪者だっただろうし。。。苦笑

 

しかし、ま、ハリー・パーチは置いといて。。。

 

 

偉大なるショーンベルグ教授は、

 

その、もう一人のファリフォルニアの前衛スターのメンターにもなりました。

 

そのもうひとりとは。。。。

 

優しい聖なるモンスター!!!

 

 

ルー・ハリソンです。

 

がらがらじゃじゃしゃーん!!(ガムランの音)

 

 

 

彼は1917年生まれ。

つまり、ケージよりも5歳年下です。

 

父は車クライスラーのセールスマン。

オレゴン州のポートランドで生まれました。

 

サンフランシスコでヘンリー・カウエルから学び、

その後は、ロサンゼルスでは、シェーンベルグです。

 

その後、ニューヨークで、チャール・ズアイヴスや、

カール・ラックスズに接します。

 

アバンギャルドの正道ですね。

 

 

 

そして、その先を見通すするどい”嗅覚”を磨きました。

 

それは何かというと。

 

歌唱の流れへの疑問

機械のような繰り返し

無調の爆発

沈黙の有用  

 

そして、カウエルから西側の伝統ではない音楽からの影響を受け

とくにジャワ島のガムランに入り込みます。

 

 

それから

ハリー・パーチの書いた本

「Genesis Of Music」1949年、からも影響を受けました。

 

ルー・ハリソンは、ハミングできるような歌、はしゃぎ回るダンス。

その音楽のもつ陽気さを愛しました。出身が西海岸ですし?

 

 

この音楽のもつ多様性のバランス加減は、

バロックのバランスと正確さからきています。

 

彼の好きな音楽家はヘンデル!!!

 

 

 

しかし、シェーンベルグ教授は、いつも生徒に言ってました。

 

「本当に必要なものだけを使うのじゃ~!!」と

 

余計なものは、いらん!!

 

 

で、このブログのネタ本=作者アレックス・ロスによれば、

ハリソンは、この言葉を、クリエイティブに誤解したのでは、なかろうか?と。

 

都市の混雑した音楽に穴を開けて、

優しいパターンと長~いドローンで、砂漠にいって野宿した、、、。

 

 

つまり

ハリソン、そこまで、シンプルになっちゃいました、、、。

 

砂漠が一番。。。

 

 

話それます。いつもですが。

 

ルー・ハリソンも、ゲイです。(多いなー。)

 

ボーイ・フレンドと楽器を作り出して、

 

 

 

のちには砂漠に、家まで作っちゃいます。

これ。。。

 

 

 

 

話と時代を、もどします。

 

ハリソンとケージはもちろん親しく、

ハリソンはケージにパーカッションの書き方を教えたりして、

その技術を上のレベルに持っていくのを手伝います。

 

そして、1939年からサンフランシスコで、毎年コンサートを開く事にしました。

 

このカリフォルニアの前衛魂は、

ケージがニューヨークに引っ越してからも続きます。

ずっとずっ~~と、革新的なことをやり続けました。

 

 

彼は言いました。

「ベートーベンは間違ってた」と!!

 

なんだとぉ〜!

 

 

この豪語には、さすがに、みんなびっくり!!

(特にヨーロッパの人は驚いたでしょう)

 

ベートーベンの「ゴールありきという考え方」

つまり、ゴールにどうやって引っ張って行くか。それで音楽を展開させている。

でもそうじゃない! 

 

音楽は一瞬一瞬をどう広げて行くか?それが問題だ!!

 

きっぱり!!

 

 

そして、ケージはその具体的なその証拠を差し出しました。

 

その決定的な論破とは!?

 

エリック・サティが昔作曲した曲。「Vaxation」という曲。

楽譜はぺらんと一枚。

でも、その上の方に840回弾けとかいてあった。。。。

 

ケージは1963年、実際にこれを実践します。

12人のピアニストが演奏して、

夜の6時から次の日の12時40分までかかったそうです。

 

ひえ~~。19時間。。。

 

観客はほとんどが入れ替わり、立ち替わり。。。

 

たったひとりだけ、これを最初から終わりまで全部見てた人がいた。

オフブロード・ウェイの俳優で、彼はタイムマガジンからインタビューされて、

 

全然、疲れてない、ともて面白かった!!!

時間って、なんだろう? と思った。

これは、音楽と時間の流れがひとつになったかんじだった。

 

と語りました。

 

アンディ・ウォホールも このイベントに顔を出してて、

次の年、8時間の映画「エンパイア・ステイト・ビルディング」を作りました。

 

 

 

 

 

というわけで、最後は、だいぶ、カリフォルニアから外れました〜。

 

ケージの西海岸で育てられた、

アバンギャルド感覚、前衛の魂。

 

つまり周りを恐れないで、最前線に挑戦する姿勢は、

ずっとずっと続いて行きました。。。。

 

 

 

ジョン・ケージ。。。。いやーーー神ですね!!

 

 

 

 

 

では、また!