前回の60年代後半のヨーロッパは、

たくさんの音楽家が、わんさか、いろんな事をやってて、

ちょっとこんがらがってます。

えと。

少なくとも、私は、、、ですが。汗

 

今回はシンプルに!!!

 

リゲティ・ジェルジュさんです。

 

私でもキューブリックの映画で、名前だけは、知ってましたけども。

 

 

今回は僕の人生を語ろう!! 

 

 

 

 

ハンガリーは苗字と名前が日本のように、苗字が先なので、リゲティ・ジェルジュ

と表記される事もあります。

そういえば、バルトークもバルトーク・ベーラとなってるのと、

ベーラ・バルトークとなってるのもあります。

 

ま、そういうのはどうでもいい、ちゃ、どうでもいいです。

 

リゲティに戻ります。

 

 

オメ、さっさと、はじめろや〜〜!

 

 

 

あ、はい!!

 

 

えっと。

今回、リゲティだけに絞って。。。っていうのは

それだけ、他の人たちとは

「違う事を成し遂げ」たっていう事なのです!

 

一体、何をやったか?というと。。。。

 

アバンギャルド=前衛と今までの過去音楽の壁に囲まれた場所から、

ノーと言わずに、脱け出しました!!

 

 

つまり、お祭りの縁日ような60年代後半のガチャガチャした

沿道から、それを抜け出たところに、ポツンと、店をだしました。

 

(たとえですよ。)

 

その前衛の縁日の出店で、並んでたのは?

 

今までの古典的まんまは、まず時代遅れ。。。

だからと言って、ショーンベルクのまんまもどうなの?的なところまできてます。

 

じゃ、混ぜちゃえば?とか

政治的なものを盛り込んだコラージュとか、

また、音楽そのもの、たとえば、ダルムシュタット自体をテーマにしたりとか、

 

 

まあ、なんでもありっちゃーなんでもありだったのですが、

 

リゲティの場合は、その手広加減がですね、

 

((( 超、ハンパなし )))

 

だったのです。

 

ルネッサンス時代の作曲家ヨハネス・オケゲムから

アメリカ人のジャズのエリック・ドルフィのサックスのソロまで。

 

。。。。ちょっと私は両方とも知らないので、ピンときませんけども、

 

美空ひばりから灰野敬二とか?ってかんじでしょうか?

 

フランツ・リストの名人芸からアフリカのピグミー族のリズムまで、

(こちらはなんとか想像できる。。。)

 

そんくらい幅のひろい範囲を消化するのに、成功しました。

 

 

メランコリーでも、棘あがる、巣にひっかかったものは、

なんでも使っちゃいます的、

 

器のデカい、ハングリー精神!!

ハードワーカー中のハードワーカー!!

で、ありました。

 

 

なんでも、取り入れちゃってたよ。

 

 

さて、彼の人生を見てゆきましょう。

 

彼が生まれたのは、あまり日本人には馴染みがないですが、

ルーマニアのトランシルベニアというところです。

 

ルーマニアは、ここです。

 

 

 

 

そして、その中で、トランスベニアはここです。

 

 

 

 

 

ファミリーはハンガリー系のユダヤ人。

 

国の運命が、まず複雑です。

こんなに周りが国境だらけですから。。。。

島国の日本からしたら、想像を絶する外交問題。

 

 

ハンガリー領になったり、

オーストラリア領になったり、

でも、そのずっと前は、トランスベニア公国でしたけど。。

トルコがコントロールしてた。。。。

 

ともかく。

 

彼が生まれたのは、1923年ですが、

 

その3年前にトランシルベニアは、ルーマニアの一部になりました。

 

しかし1940年には、おとなりのハンガリー独裁政権が乗り込んできて、

進駐するようになりました。

 

第2次世界大戦はじまってますからね。

 

彼はユダヤ系だったので、

1944年には、腕に黄色の腕章をつけさせられて、強制労働を強いられ、

戦争の爆弾などを運ばされます。

 

そしたら、同じ年には、今度はナチがやってきて、絶滅収容所送りがはじまります。

 

それで、リゲティは、どうせ、殺されるんだったらと、

なんと!

戦いの最前線から脱走!!!!

 

 

そしたら、今度はロシア軍の手中に!!

 

それもなんとか、切り抜けることができた。。。。

 

 

そして、長い道のりでやっと、わが家にたどり着くと、

なんと!

 

家には知らないロシア人が住んでいた。。。。

 

もう、映画ですね。。。。

 

それもハッピーエンドじゃないです。。。

 

戦争が終わり、わかった事。

 

父と弟は戦死、おじさんとおばさんは、アウシュビッツに送られ、

母親だけが生き残っていた。。。。。。

 

しかし、彼の悪夢は終戦でおわったわけではなかったです。

まだスターリンは生きてますよ。

西と東の争い、権力闘争。代理戦争。

 

 

 

ハンガリーのブダペストの音楽学校に行くのですが、

そこではソビエト人たちが、ハンガリーをコントロールしており、

ハンガリーのコミュニストの独裁政治家が仕切っていました。

 

リゲティはそういう政治家のプロパガンダの為に

曲を作らされるなど、もってのほかや!!

 

 

 

ひたすら民族音楽の研究に走った時期です。

 

 

民族音楽といえばぁ〜〜??

 

そうです!!

 

民族音楽界の水戸黄門、バルトーク!!

彼より少し前の世代で20歳年上ですが、

ルーマニア人ですし、

旅して、民族音楽を集めてましたから。

 

僕、覚えててくれてる?

詳しくは(18)を呼んでね!

 

 

 

ちなみにバルトークは終戦の前、1940年にアメリカに移住してます。

 

彼が民族音楽を収集して、歩き回った場所付近に、

実はリゲティのファミリーも住んでいたのでした。

なので、

 

個人的に面識はありませんが、おそらく

リゲティもこの同じ国の先輩に、思いを馳せていたでありましょうね。

 

また、

 

実はこの頃、内緒でトーマス・マンのファウスト博士を読んで、

12音階の事を知り、いろいろ試したりしてみてたそうです。

 

 

 

この頃作った、「ムジカ・リチェルカータ」は

第一楽章はコードがAで、いろいろなオクターブ。

第二楽章は3つの音程のみ

第三楽章は4つのみ。

最終楽章は12音が回って、

プラス甘くて寂しいメランコリーなメロディー。

 

自由にクリエイティブな活動がしたいという気持ちが

募っていったと予測できますね。

 

また

シュトックハウゼンの「少年の歌」を、ラジオで聞き、感動します。

 

西側へ行きたい!!

 

そして、3年経ちました。

 

1956年、またしても!!国内で動乱!

 

ハンガリーのブダペストでソビエトのコントロールから逃れようと、

軍が反乱を起こしました。

 

リゲティは、この騒ぎにに乗じて、

郵便列車にとびのり、オーストリアの国境を突破。

 

ついに、ウィーンに亡命しました!!

 

 

やった〜〜!!!!!

 

 

 

ついに西側です。

 

その後、ドイツのコローンにも行き、シュトックハウゼンを尋ねます。

ダルムシュタットにも顔を出し

コローンコンピュータ音楽スタジオで、

シュトックハウゼンとも働くようになります。

 

そして、いろんな刺激を受けます。

 

ただ、しばらくして、3年くらい経つと、

 

コンピュータで音楽を作る事よりも、

 

その音響、テクスチャーの方に興味がわいてきます。

 

また、

 

この狭い世界の管理体制が、

もしかして、

ナチやスターリンと同じじゃないか?

粛清はないけれども、

そのルールに従わないと暗殺(精神的に)される。。。

 

シュトックハウゼンか?

カーゲルか?

 

どちらが先か?なんて事を

争ってるような世界。。。

 

 

ちょっと、違うな〜〜〜。と思い始めます。

 

そして、

 

それまでのいわゆる「音楽のための音楽」的なものや、

あまりにコンセプチュアルなケージのような作品から

 

少〜しずつですが、はずれる傾向へと向かい出し、

 

自分のやり方を、見つけようとします。

 

ブーレーズのように、「あんたは違う!」みたいな事は

言わずに。。。少しずつ、自然に。。。です。

 

あのさ、今、俺の悪口、言ってる?

 

 

 

 

 

僕は、言ってないよ!!

 

 

 

その頃のリゲティの作品

「アパリシオン」

 

これはファゴットの人はリードなし(マウスピースにつけるパーツ)

金管楽器はマウスピースなし

パーカションはボトルで木枠を壊すという、危険なもの!

 

この作品は、

個人の意見ですが、お化け屋敷の音楽みたいで、すごい、こわーい!

真夏の夜とかひとりで聞くと、汗もひくと思われますけども。笑

 

 

また、1961年

「アトモスフェール」

 

59の音が、5オクターブで散らばって、これまたミステリアスな効果。

隠れた調性とにせものの調性がまざりあっている。

 

音の波動の霞から、チラ見するような。

影から形あるものがみえてくるような。

 

こういうのをマイクロポリフォニーといって、

それぞれの音が複雑にからみあっていて、個々の声部わからない、

「移りゆくハーモニー」と言われているものらしいです。

 

大きいスケールで、違うレイヤーが対位法で組み合わさっています。

 

 

こういう彼の作品での

ミステリアスな効果がバッチリ大成功したのが、

 

スタンリーキューブリック監督の映画「2001年、宇宙の旅」でした。

 

 

 

 

この映画で、使われた作品は、

 

「レクイエム」

「ルクス・エルテナ」

「アトモスフェール」

「アベンチャー」

 

 

なんと4作品も!!

スタンリー・キューブリックは大ファンだったんですね。

 

特に印象的なところ。

 

宇宙飛行士が最後の旅を引き受けた時に、

自然界の風景をネガティブ露光した抽象的なパターンと

「レクイエム」の幽霊のような未確認物体の複数の声楽コーラスが

催眠術のように合体してます。

 

 

これは、

それは最初の地点戻る直前の部分です。

 

リゲティにとっても、もう一つの

ユニバースでもある音の世界が、くるくる回りながら、

また最初の起源にもどる。

 

最後には、

「自然の威厳」として、シュトラウスの「ツァラストラ」が流れて

改めて、始まる。。。

 

。。。という素晴らしい選曲!

 

ただ、キューブリックは初期段階では、許可をとってなかったらしく、

長い事、もめましたが、最終的には、

リゲティは「映画に使われて、感謝してる」と言ってたそうです。

 

有難う。スタンリー!!

でも「シャイニング」では、許可を取ってからにしてね。

 

 

 

個人的な感想ですが、この曲は

なんかものすごい次元の高い世界、

神とかそういう文明とかを超えてるように感じますねー。

 

だからエイリアンの世界にピタっとはまったのでしょうけど。

 

そういうサイエンス・フィクションとかの世界も超えて

時空も超えて存在する「魂」みたいな・・・・・

外から聞こえてるのに、体の内側から響いてくるような。。。

 

音って不思議ですね。。。。

 

何か宗教的にも聞こえます。

興味深いのは、リゲティは無宗教だったんです。

 

 

彼の若い頃、あんな不条理な事だらけだと、

神も何もないですよね。

 

なのに、こんな音を作れるなんて!!

 

 

で。

 

次回は、音楽の中の神様。。。。って話です。

 

では。また次回!!

読んでくださって有難うございます!