今回はロサンジェルスに住んでいた頃のシェーンベルクについてです。

 

 

 

 

 

いきなり、話、それます。

つまり、このネタ本にしている「ザ・レスト・イズ・ノイズ」にはこれは書かれませんので、

お断りしときますね。

 

というのも。。。。

ご存知の方もいると思いますが、彼が生まれたのは9月13日、

なのですが、「13」は、シェーンベルクの大嫌いな数字でした。

彼は縁起をかついで、なるべく13という数字をさけるようにしていました。

しかし、なくなったのも、7月13日で、

76歳で亡くなりました。7+6=13。。。。。

 

 

 

 

そして、今、このブログを今書こうとしている本日。

なんと~~!!

4月13日だというのに、気がつきました。

ものすごい偶然!!

ちょっとゾクっといたしました。

 

一瞬、書くのを明日にしようかと、思いましたが、

いえ、いえ、逆に、本日こそ、自分の中での彼の供養という意味で、

目一杯、精一杯、誠心誠意、心をこめて、このブログを書かせていただきます!!

 

アルノルト~!!しぇ~~ん!バーグ!!

 

 

ともかく音楽史を様変わりさせた音楽家!

 

 

人生、音楽になげうってます。

なもんで、ある人から見たら、真面目くさった頑固者、

でも、なんか、私はクスッって、笑っちゃうこともあって。。。

大好きなキャラです。

 


 

えへへ。。。

 

なもんで、私の今までのブログにたくさん登場していただいてます。苦笑

詳しくは(13)と(14)をお読みくださいねー。

 

 

さて、始めましょう。

やっと!この本に戻ります。

ここんとこのタイトルは「移民の音楽」ってことになってますが、

私は、あえて、

「シェーンベルクのロサンジェルス」っていうことにしました!

 

アルノルト~!!しぇ~~ん!バーグ!!

 

そんなに何回も言わなくたって〜!!

 

 

 

彼がロサンジェルスに引っ越してきたのは、1934年 60歳の時です。

 

「ハリウッドのスターマップ」っていうのが、今でも売られているのですが、

(セレブがどこに住んでいるかというのが、詳しく載っているマップです)

 

当時のスターマップ

 

 

 

 

それを見て、セレブの家を探し回って観光するというもので、

 

まあ、こういうのの

「音楽セレブのマップ」があってもおかしくないくらい、

ものすごい数の移民の音楽家たちが、ハリウッドに住んでいたそうです。

 

本国のいざこざ、一番大きいのは、ナチのユダヤ人迫害ですが、

その他にも小競り合いが頻繁に起き、

そういうのに嫌気がさしているアーティスト達が、

 

前回も申しましたが、仕事の可能性もあるかも、、、の

ハリウッドもあるし、で、

ロサンジェルスに多く移住するようになったのですね。

 

 

その結果、映画セレブと音楽セレブが、

ビバリー・ヒルズあたりに集結することになりました。

 

シェーンベルクはタイロン・パワーのご近所、

ストラビンスキーはサンセット・ストリップのあたり。

ブルーノ・ワルター(指揮者)はアルマ・マーラーのとなり。

テオドール・アドルノ(ドイツの哲学者で、音楽評論家)は、ブレントウッド

(ビバリーヒルズの隣町)

コルンゴルトは、トルカレイクで、ボブ・ホープやフランク・シナトラのご近所

などなど。

 

アメリカ人はもともと社交的で、ハリウッドの人たちは音楽好きなので、

こういう移民の音楽家を歓迎して、交流もあったみたいですが。。。

 

所詮ハリウッドとヨーロッパからの移民

ノリがちがうでしょうよ。。。苦笑

 

 

 

ある日、ハーポ・マルクス(マルクス兄弟)のパーティーで、

 

ハーポは真ん中で実際にミュージシャンです。

 

 

 

コメディアンヌのファニー・ブライスもそこにいたのですが。

 

シェーンベルグがに向かって、

(まあ、彼が音楽家ということだけは、知っていたのでしょうが)

 

「へーい。教授!なんかノリのいいの弾いてよ~」

 

 

って言ったらしいです。

 


 

 

おそらく、次の瞬間、場が、シーンとなったでありましょう。。。笑

 

 

 

 

 

よく考えると、マルクス兄弟とシェーンベルクがいっしょにいるってのも、

かなりシュールです。

 

そして、もっとシュールなのは、

 

シェーンベルグと、

あの、ストラビンスキーが同じ空間にいた。。。

機会もあったらしいです。

 

まさに音楽の歴史上ものすごい事!!

 

アルノルトとイーゴリ。。。。

 

 

 

 

いったいふたりは、何を話したのでしょう~?

 

 

 

 

話、もどします。

ロサンジェルスに落ち着いたシェーンベルクは、

まずUSC(大学)で、

その後、UCLAにて、8年間、教壇に立ちました。

 

 

あの頑固に見える親父ですが、

わりとロサンジェルスのカルチャーには気軽に馴染んでいったみたいです。

 

フォードのセダンにのって、

アメフトを観戦して。。。

テニスを毎週やる。。。(チャップリンともやったことあるらしいです)

ちなみに、チャップリンが思ったアルノルトは、

「背が低くて、無愛想」ぷぷ~~!!

 

失礼な!!

 

 

 

 

英語が100%堪能っていうわけではなかったらしいです。

でも、アメリカのスラングなんか使ったりして、、、

(喋れない人に限ってそういうもんです=経験者。苦笑)

 

アルノルトは、割とお茶目なんですよ。

 

クラスでも、ギャロップのリズムを強調しすぎた生徒にむかって、

ローンレンジャーのモノマネをしたり、

 

 

ハイホ〜〜!!!!シルバ〜〜!!!

 

 

洋服もめちゃくちゃ、ファンキーで。

当時の生徒さんがこう証言しております。

 

「ピンク」のシャツに「グリーンの水玉」ネクタイ

 

「パーブル」のベルトにケバい「ゴールド」のバックル

 

派手なグレーに黒と茶色の「ストライプ」のスーツ

 

これを同時に!着用していた。。。

 

やっぱ、歴史に残る人は違いますね!!改めて、尊敬します。

 

 

 

 

 

 

教師としての彼は、結構厳しい方だったみたいですが、

学生に自分のやり方を押し付けるような事はありませんでした。

むしろ、シベリウスやショスタコーヴィチの

調性音楽を評価するようなコメントを言ったりとか。

 

 

生徒がショスタコーヴィチの音楽を批判すると

「彼はうまれながらの作曲家だ!」とむしろショスタコ側に回ったらしい。

そして、「Cメージャーで書かれた曲で、いい曲もたくさんある!!」と言ったそうです。

 

そんなかんじで、彼の学校のお仕事は、安定していたのだと思われます。

 

 

 

 

 

で、まあ、そういう普通の事よりも。。。笑

 

 

我々は、やっぱ、「彼とハリウッドの関係」を知りたいですよね?

ショーンベルクといえば、超セレブです。

 

前回のコルンゴルドよりも、ハーマンよりも、

「有名な音楽家 フロム・ヨーロッパのナンバー・ワン!」です。

 

そのショーベルクがハリウッドでやらかした事。。。

 

 

それを、今からお話しましょう。

 

アービング・タルバークっていう人物。

 

ものすごい敏腕のハリウッドの映画プロデューサー!!

若い、ハンサム、才能がある。。。

 

質のいい映画を世にガンガンと送り出しておりました。

 

 

今ではもう伝説になってるくらいの

この人ひとりでも、本が書けて、

っていうか、実際に、あのフィッツジェラルドが書いた。

 

そして、それが映画にもなってる人。

 

 

 

その頃、彼はMGMスタジオのヘッドでした。

 

ある日、

シェーンベルクの「浄められた夜」を聞いて、

興味をもちました。

そして

彼をミーティングにさそいました。

 

その時の会話を再現してみました。。(脚色。自分)

ピュルピュルピュル。。。。テープの回る音。

 

 

 

 

 

タルバーグ

 

やあ、ようこそ!アーノルド!

実はね、今度の期待の新作、「大地」っていうのがあるんだけども、

新しい音楽を探してるんだ。

先週の日曜に君の作ったラブリ~な曲を聴いてね。。。

 

 

 

 

アルノルト

 

僕ぁ〜ラブリ~な曲なんか作りませんけどねー。

映画の音楽をやるというのはいいですが、

自分が全部コントロールできるようにしてもらわないと。

 

 

タル

 

は?どういう意味ですか?

 

 

アルノルト

 

つまり、出演者全員が同じピッチと同じキーで、発生してもらって、

それで、自分が作曲しますから。

 

 

 

タル

 

「??」

 

 

 

アルノルト

 

ほら、ピエロ・リュネールみたいなかんじですね。

いえ、いえ、もちろん!

あれよりも、もっと簡単に作りますけども。

 

 

タル

平然と(な、ふりをして?)

 

で、それに関して、おいくら、お支払いしたらいいのでしょうか?

 

 

 

アルノルト

 

$50.000!!!!!!!

 

 

じゃじゃーーーーーーーーんん

 

1ドル100円としても、500マン円ですよ、当時の。。。

調べたら、当時新車が$800くらいだったので、車60台分!

 

 

これで第一回ミーティング終わり。

っていうか、すべて、終わり!!

爆笑

 

以上です。

 

タルバーグというかハリウッドの人たちって、テイストの問題よりも

お金の問題だけ。。。なわけです。ビジネスですから。

 

その後もシェーンベルクは電話をかけたりアプローチはしたらしいですが、

 

タルバーグは、いっさい「無視」!!

 

残念な結果です。

でも、なんか、気持ちいいですね~~。

ここまで徹底してると!!!

 

さすが、 アルノルト!

 

なんか素敵です!!!

かっこいいです!!!

 

 

 

 

 

追記ですが、

彼の作った12音技法ですが、意外な形で、銀幕にリベンジいたしますよ。

 

それはアニメなんです。

「トムとジェリー」!

1940年台になって、スコット・ブラトリーという作曲家が

この新しい使い方を披露することになります。

 

 

 

さて、

アルノルトの音楽制作に戻ります。

彼はロサンジェルスでは、オペラ「モーゼとアロン」

ヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲を12音技法で書きます。

 

そして1946年に「ストリング・トリオ」を。

この作品は弁解がなく、彼のアメリカの苦痛や喜び、望み、後悔などが、

すべて盛り込まれた、彼の素晴らしい自伝になっています。

 

そして、その後

1951年に彼はもともと患っていた、喘息の発作で亡くなりました。

 

すごい人生でしたね。。。。

 

もと銀行員から前衛音楽家。

ウィーンからベルリンからニューヨークからロサンジェルス。

宗教もカトリックからプロテスタントからユダヤ教。。。。

 

晩年ですが、彼の息子さんがこう語っています。

 

シャーリー・テンプルの家にツアーバースがやってきて、

スピーカーでがなりたてるのに、

その前に住んでいる彼の事はまったく無視の状況。。。

彼は、ちょっと寂しそうだった。。。

 

でも、ある日、偶然ジュース・バーのラジオで、

「浄められたる夜」がかかっていた時は、

嬉しそうで、

 

父のあんな幸せそうな顔は見た事がなかった。。。。

 

 

わ~~~ん!!号泣!!!

 

アルノルト。。。レスト・イン・ピース!

 

 

 

 

 

 

ご冥福をお祈りします。。。。。

 

つづく。。。