どもです。
ドイツ、ヴァイマール時代のベルリンをやってます。
この時代の最重要音楽家といえば、、、、
(((クルト・ヴァイル)))
1900年生まれ。ドイツのユダヤ人。
彼は、デッサウというベルリンの近くの町で生まれました。
のちに美術学校のバウハウスが移転する町です。
なもんで、そんな田舎でもなかったと思いますけども。
話、もどします。
シェーンベルクに憧れて、「いつかはウィーンで勉強したいなー」って思ってました。
当時の音楽を目指す若者はみんなはこんな感じだったんでしょうね。
しかし、ファミリーはそこまでのお金はなかったので、そのかわりに
ベルリンに行き、フェルッチョ・ブゾーニに師事します。
ブゾーニ先生はイタリア人ですが、ロシアからアメリカまで、
いろいろな場所で教鞭をとり、
新古典派ではあったものの、オープン・マインドな先生だったみたいで、
「ありふれたものを恐れてはいけないヨ!」と教わります。
フゾーニ先生がいう「音楽のありふれたもの」というのは、モーツアルトとかヴァルディにあるのような、キャッチーなメロディのこと。
こん時、20歳のヴァイル、
よく考えたら、ヴァイルは基本、生まれた時から、
ありふれたものしか周りになかった。
ま、フツーで、まあ恵まれた家で育ったってことですよねー。苦笑
フツー、フツーで、まあ、これでいいのかな?って。
な、もんで、そうか!!と。
実は。。。。
「ありふれたもの」は、悪い事ではなかったのだ!
この言葉はヴァイルの脳裏に焼きついた!!
ぴゅにゃ〜! ふむふむ。
そういう考えが土台が心に深く作られたところに、
1924年。
運命の二人に出会います!
それはぜ〜んぜん、ありふれてない人たち!!苦笑
一人は妻になるロッテ・レーニヤです。
もう一人は、ベルトルト・ブレヒトです。
わーー。このブレヒトの不良感、半端ないですね〜〜!!!!!
ご覧ください。
ヴァイルはその頃、これですから。笑
いっしょにすると、、、、、こうなる。
ともかく、
このふたりなしでは、我らのクルト・ヴァウイルは、歴史に残ってなかったでありましょう!!!!
ロッテ・レーニヤは、強力なキャラを持つ!!
1898年生まれなので、ヴァイルより2歳年上です。
内気なヴァイルに比べると、レーニヤは感覚の塊のような女性。
つまり真反対。
そして、彼女は貧しくて、父親の虐待もあった家庭は、ボロボロ、。。
女優、ダンサー、アクロバット、芝居のエキストラ、生きるためになら、
半分、売春まがいなこともして生き延びてきた、たたき上げ系!
でも、ヴァイルは言いました。
「楽譜も読めない彼女が、歌い出すと、みんなカルーソー(当時のオペラ界のアイドル)を聴くように、聞くんだよ!!!」と。
たしかに彼女のスタイルはなんとも言えない!
誰にも真似できないような歌唱スタイルです。
声もユニークですし、まさにオンリーワンの存在です。
のちにヴァイルの作る音楽の音色は、彼女の声に近づいていると、言われるようになります。
そして、もう一人の運命の人は、ベルトルト・ブレヒトで、この人は演劇史上に残る、むちゃくちゃ凄い大人物!!
だい、じん、ぶつ・・・・・・
写真でさえも、オーラ・ありまくり!!
ざっくり言えば、ほんとにざっくりですが、汗
ここは、自分の言葉で説明させてください。
見慣れたものに対して非日常化してみせて、人々を覚醒させる演劇。
観客に感情移入させない。舞台の出来事を客観的に見せる。
観客はただ、見ているだけ。。。
舞台の豪華なセットもなし。舞台は舞台である。
役者も役になりきったりしなくていい。
などなど。。。。
というように。
たとえばですが、「三文オペラ」にしても、誰も「いい人=正しい人」は出てこないんです。
みんな、なんか、良くない人!!癖のあるっていうか。
見る人は、「ある世界」をただ傍観しているだけ。。。。という感じですね。
ただ、ブレヒトは、とうてい私が説明できる範囲を超えているので、
彼の理論に関しては、たくさん本がでてますので、興味のある方は、詳しくはそちらを読んでください。
なので。
ここでは音楽の歴史との関連なので、ヴァイルとブレヒトの関連で話を続けます。
まず、最初のコラボは「マハゴニー・ソング・シュピーゲル」という声楽曲で、
初演は1927でした。
その中から、今でも我々も知ってる「アラバマ・ソング」が
みんなの心をつかみます!
単音節のリズムがだんだん展開してゆく。
ともかく、覚えやすい!キャッチー!!
当時のベルリンの疲労感をまとめて、ぶちまけたような
でも、キャッチー!!
指揮者がアフターパーティに現れて、口づさんだらしいです。
そして、その頃、ヴァウイルは「身振りの音楽」という考えを作り出しました。
これは、私がヴァイルの解説を読んだところによりますと、
ステージの上では音楽が「身振りのように作用する音楽」という意味です。
音楽自体が音楽家が作り出した、最高のものであるというクラッシックの音楽だと、音楽=作品という考え方ですが、(ある意味、オペラもそうかもしれません。)
しかし、いわゆる、今でいう劇場音楽のように、音楽が演者の身振りのような役割になる、そんな音楽もあるということです。
リズムが心の動きを強調したり、セリフの内容とは逆の表現をすることで、
表現の意味の幅を広げる事もできます。
ま、そういうセオリーも加えて磨いて、ブレヒトとの次のコラボが「三文オペラ」でした。
当時のヴァイマールは、前にも書きましたが、いろんな人がいろんな事を主張してて、なんでもありで。
連続殺人や性犯罪も多く、
当時のアーティストもそういう題材が多くて、
こんなかんじ。
ひじょーーーに、やりたい放題な時代の完璧、イっちゃってるなテイスト。
それがまた、ナチを登場させる土台にもなったわけですね。
「こんなでいいのか?ドイツ人!」みたいな。。。。
「いい加減にせんか〜?」って。
ヒットラーや、ゲッペルスは思い始めだすころ。
そんな中で、この「三文オペラ」の登場でした!!
主人公のマーキーというキャラも言葉にできない、解決できない、都会のエージェントになっています。
多義的でどうにでもとれる、さっきも言いましたが、登場人物がみんな何か企んでいて、全員が、強情で、冷酷。
たんたんと自分の事だけ考えて、その場その場を生きながらえている。
そんなお話?です。
このコンセプトをヴァイルは音のレベルにまで再現しました!
まず、オーケストラを使わなかった!
7人のミュージシャンに23種類以上の楽器を弾かせました。
それに加え、直感だけで、適応に弾いてるような演奏。
歌手もガーシュインがやったようなインプロ(即興)にして、
メロディはシンプル、表現は各々自分らで作りこむような、
今でいう「表現に自由」という伝統がここで、はじまります。
そしてブレヒトの思う賛美歌を、ヴァイルは口ずさめる音楽にしました
ドビュッシー風、ジャス風、同じメロディを繰り返したり、
暗いムードだが強いゲンコツのような。。。。
ヴァイル風に絶望的で、取り乱したりするムードは残したまた、
大ヒットした「マック・ザ・ナイフ」は1ノートで、ポップなメロディですが、
暗くて、出口がない。。。。。連続殺人犯の歌ですからね。。。
そして!!!
この歌はもう歴史を超えてゆきます!!
1950年。アメリカのポップチャートに!!
ルイ・アームストロングがカバーして大ヒット!
そして
フランク・シナトラも。
ふたりとも、子供の頃、こういうギャングがいた時代でした。
そして、1962年に、ロッテ・レーニヤのショーをみたボブ・ディランは
「時は流れる」というブレヒトの歌詞をのちにパクりました。
ボビー・ダーリンという人もこれで大ヒットして、エラ・フィッツジェラルドもカバーしてますね。今ではジャズのスタンダードナンバーになってしまってます。
日本人だと、今だと、YouTube に、渡辺えり、弘田三枝子が、ありましたよ。
で、話をヴァイルに戻しますと、その後、
ブレヒトは共産党にのめり込み、ヴァイルは共産党の音楽はできない。と、ブレヒトとは別離。
そして、ナチの時代になるので、クルト・ヴァイルはユダヤ人なので、
むちゃくちゃ上演を邪魔されて、結局パリに脱出し、1935年、アメリカに落ち着きます。
ロッテ・レーニヤとは、一回離婚しますが、また4年後に結婚します。
いろいろあったんでしょうねー。
そして新天地のニューヨークで、ポピュラー音楽を研究して、
多くの素晴らしいミュージカルの曲を残し
そして50歳で、心臓発作でなくなり、ロッテは83歳まで生きました。
ものすごい多くのミュージシャンに影響をあたえました。
デビッドボウイからニックケイブ、マリリン・マンソン、ルーリード
ドアーズ。。。。そして。あたくし!! えへ。
ヴィアルの歌は本当に年齢や性別を超えています!
私はこの「マック・ザ・ナイフ」のニック・ケイブのバージョンが、むちゃ好きなんで〜す。リンク載せちゃお~!
https://www.youtube.com/watch?v=-3_2zbZwDlM
では。また!