〜いきなり、厚みのあるテーマですが。。。。苦笑
世紀末のウィーンのインテリたちは「言葉の限界」というものを、
かなり問題視していました。
哲学者のヴィトゲンシュタインは、哲学的な言葉の限界を感じて、
「語れないのなら、黙ってればいい」と言いました。
作家のヘルマン・ブロッホは小説の最後を
「スピーチを超えた言葉」というフレーズで締めくくった。。。。
言葉も音ですからね。
言葉そのものの分解が、音、調性の分解に結びついた。
シェーンベルクの作品は、「その問題に対する音楽的回答」でありましょう。
そんな音というものも関する考察が深まっていた時期。。。。
孤独な彼を支えた弟子たちの出現!
アントン・ヴェーベルン と アルバン・ベルク
アントンとアルバンなんかこう書くと、双子みたいですね。笑
こんなに身長が違いますけども。汗
では、今回はこのふたりをご紹介してまいりましょう!!
まず、アントン・ヴェーベルンは名門貴族のボンボンです。
ウィーンの大学で音楽の博士号もとった、まさに秀才で、正統派!!
見るからに!
彼はファミリーも音楽好きで、恵まれた教育環境で、育ちます。
このあたり、叩き上げのシェーンベルクとは大違いですねー。
悪かったな!
ふてくされのアルノルト!
そして、御多分に洩れず、ワーグナーにハマります!
その後、彼のテイストはシュトラウス、ドビューシー、マーラーという
まあ、当時だったらありがち?って事になりましょうか?
ところが、ここで、シェーンベルクに出会います!
はい。出会っちゃいました!
前回にも書いたのですが、たまたま、ワーグナーの記事の下に
シェーンベルクの弟子募集の広告があったという理由で、彼の弟子になり、人生はガラガラガラと180度の展開を見せて行きます。
このへんが、ほんとに人生って面白いですよねー。
次はもう一人の、アルバン・ベルクです。
かれの方は、貴族じゃなくて、ブルジョアです。
親がビジネスで超リッチになった家庭のチャラ男!
子供の頃から文学や音楽に親しみ、早熟ですでに15歳くらいから作曲開始。
そして、17歳の時に女中に子供を産ませるわぁ、試験に失敗して自殺未遂するわぁ のめちゃくちゃ、親不孝息子でありました。
しかし、まあ、少しは大人になり、反省もしたのでありましょうか?
その後、公務員になり、そして、シェーンベルクに出会います。
このふたりがシェーンベルクの下ですくすくと才能を育てていき、独自のの世界を構築する事になるわけです。
ユニークなのは、このふたりは弟子なのですが、つまり「アルノルトとその仲間たち」ではなく、ショーンベルクとの関係がほとんど対等に扱われ、三人がひとまとめで、「第2のウィーン派」を呼ばれるようになります。
ちなみに第1はハイドン、モーツアルト、ベートーベンらしいです。
わかりやすく言えば、同じ種から、
違う花が咲いたっていうかんじでしょうか。
シェーンベルクがふたりをのびのびと育てていった事もあるでしょうね。
ふたりも、シェーンベルクを教祖様のように崇めるのではなく、
あくまで「尊敬する師」として接していたみたいです。
では、この3人の違いをご説明しときましょう。
アントン・ヴェーベルン、貴族の御曹司の作品は
シェーンベルクよりもシンプル、情よりも知性に訴えるタイプ!!
いわゆる理系っていうんですかね?
見るからに。これですし。
彼は、少ない音で、最大限の表現をする自分を「ミニマリスト」と呼び、(のちのミニマリストとは違います)ショーンベルクの表現主義的に散らかっている部分を取り去って、シンプルにわかりやすくした。
よく彼を紹介する時に冗談で、
「音を演奏するんじゃなくて、ただ考えればよい」と、言われたそうです。
そんくらい、シンプルで、濃い。
音そのものを追求しているので、よく注意して聴かないと、なかった事になってしまうような音楽です。
今聞くと、OP6 などは、恐怖映画の音のようにも感じます。
人生の雑音と死の動かないイメージの対比が浮かび上がってくるような。。
一方のアルバン・ベルグの方ですが、反対に「情」の方を優先してるんですね。
つまり文系です。
見るからに。これですから。
なので、のちにシェーンベルクのロマン派と呼ばれるようになります。
そして、時代は、、、
戦争が起きてしまいます。。。。第一次世界大戦です。
ぐちゃぐちゃになります。。。
ドイツ=オーストリア VS その他の国。
この戦争で、この3人組も、戦争へ駆り出される羽目になりました。
ショーンベルクは、当時40歳でも、戦争に行くんですね。
しかし、ラッキーな事に前線で戦わなくてもよかった。
理由は????
まじめくさった仕事をボランティアで頼まれた田舎教師に、見えたらしい。
たしかに。。笑
おかげで、配属は、軍のオーケストラの奏者!!
一方、ヴェーベルン。 31歳!!!
ユニフォームを着たら、どう見ても、見習いの兵隊!
しかも、ものすごい近眼だったので、保留処分!!!
ベルク。29歳!!!!
ユニフォームが似合いすぎて、若い兵隊が敵国の処女と恋に堕ちた?ハリウッドの無声映画の俳優!!!
たしかに。
かっこよすぎ!!
これ、戦争中ですけど〜?みたいな?
しかし、トレーニング・キャンプで倒れて入院。結果、デスクワークに回され、
本人はかなり落ち込んだらしいですが、、、、
そのおかげで、あの!!歴史に残る大作!!
無調のオペラ「ヴォイツェック」の構想を思いつく事になるんです。
このオペラは戦争で頭がオカシクなっていった、ある兵士の愛人殺人事件をもとに書かれています。
「ヴォイツェック」は人の名前で、ゲオルク・ビュヒナーという劇作家が書きました。
しかも、これは、
「裁判の時の医者のカルテ」をもとに書かれた前代未聞の劇!!
それを見て、ベルグは感動します!
そして、普通はオペラ作家がいて、話をオペラ化にするのですが、そのまま、ナマで、オペラにし、その後、8年もかけて制作することになりました。
さすがのシェーンベルク先生もナマ台本には反対したらしいのですが、
「先生のバイオグラフィーを作ってます」とかなんとか。。。言って。笑
内緒で進めていったらしいです。
そのくらい筋金入りで作ったんですね。
ストーリーは、下級兵士が愛人の浮気と戦争で精神病にかかり
最終的に殺してしまうという、まあ、ありふれた話のようですが、
戦争というバックグラウンドを、自分も同じような体験をしたので、
ものすごく臨場感が溢れる作品となりました。
これは再演された最近の写真ですが。
無調性だけでなく、調性も盛り込まれ
シーンによって、軍隊は不協和音、子供のシーンは調性音。
時にはシェーンベルグ先生のユートピア的な音楽言語をある時は否定して、
逆にシュトラウスやマーラーのようなスタンスも取り込んでいくのです。
クライマックスではトーンのないノイズとなり、
人間が感じられる音の限界まで進んで行く。
つまり、この作品は無調を学んだアルバン・ベルグが無調を超えて、新しい音楽表現を実現したと言えます!!!!!
まさに冒頭の「言葉のない演説」であります!!
音楽でしか表現することのできない
((((究極の音楽言語))))
を
実現したのであった!!
ちなみに、余談ですが、この弟子ふたりは、不幸な最期を迎えます。
アルバン・ベルグは50歳で虫刺されが原因で腫瘍ができ、敗血病になって、死亡します。
アントン・ベールベンの方は、61歳の時、ベランダでタバコに火をつけた時に、
アメリカ兵から間違って射殺されてしまうんです。
これは、なんだか皮肉なものですね。。。。戦争中じゃない時に、、、、。
かなり不条理ですね。
先生のシェーンベルクはナチスドイツを嫌って、1934年にアメリカに渡り、
カリフォルニアで、77歳まで生きました。。。。
いろいろあったが、幸せそうでよかった!
さて、
この頃、おとなりのフランスでは、また違う動きがありますよー。
パリです!!
キラキラしてます!!
こちらは何やら楽しそうですよ!
ドイツ=オーストリアの暗い、ドライな感じではなくて、もっと土着なフォークロアがはいってきます!!
つづく〜〜〜!