さてさて。

 

この20世紀西洋音楽史はまず、1906年の出来事からはじまります。

アメリカ、ヨーロッパで、数々の賞をもらったバイブルのような本。

アレックス・ロスの書いた「ザ・レスト・イズ・ノイズ」を、いっしょに学んでまいりましょう。

 

これは英語で書かれているものを要約し、説明したものなので、翻訳とか超訳ではないです。

あくまで書かれている内容を自分なりに再現してみたというものです。

 

では、はじまり、はじまり~~~~

 

パート1

1900年から1933年までの流れ

 

1。黄金時代

 

まず登場する最初の人物は、リヒャルト・シュトラウス!

ドイツ人です。

 

よく間違えるのは、ヨハン・シュトラウスとの関係。

同じシュトラウスですが、まったく関係ないです。

 

ヨハンはワルツ王とも呼ばれ、19世紀の有名人。

親も弟も長男も全員が音楽家のシュトラウス一家!

なので、シュトラウスといえば、こちらの方が知名度が高い。でも、彼らはオーストリアのウィーンです。

 

 

リヒャルトは、ドイツ人で、ヨハンよりも、約40歳年下。

つまりその後の世代の人です。

 

なので、「ヨハンおやじ!偶然、同じ苗字なんで、ヨロシクっす!」みたいな。

事実、本人はヨハンの事をかなり尊敬していたみたいです。

 

以下、混同してややこしいので、今回はシュトラウスといわずにリヒャルトと呼びます。

 

リヒャルトのこの鋭い顔!

 

 

このリヒャルトからはじまります。

 

 

時は、1906年5月16日。オーストリアのグラーツ!!

 

この日に上演されたのは、あまりにも、ショッキングなオペラ!

 

(((((「サロメ」)))))

 

これは、すでにドイツのドレスデンで初演をやっていたのだが、ものすごい物議を醸していて、すでにウィーンの宮廷オペラハウスでは上演禁止になってた。

なぜか?

それは、今までにこういうものが、なかったからです。

 

え?上演禁止?何?何?と

 

評判が評判をよぶ!

 

この悪評のおかげで、音楽関係のものすごいメンバー達が、自身の目でこの歴史的なオペラを見ようと次から次にグラーツに乗り込んできた。

 

信じられないメンバー、このVIPなゲストリスト!

 

イタリアからは

 

プッチーニ

 

ラ・ボエム、トスカを作ったあの方。

 

 

グスタフ・マーラー

 

オーストリア人。当時ウィーンのオペラハウスのディレクターだった

もともとマーラーとリヒャルトは仲良しで、

このショーもマーラーの協力でやる事ができた。

 

 

アルマ・マーラー

 

オーストリア人。マーラーの奥さん。むちゃくちゃ美人のアゲマン、

彼女のスキャンダルはおもしろすぎるので、改めて後日

 

 

若いアーノルド・シェーンベルグ

 

オーストリア人。のちに音楽の歴史に大きな影響を与える事になる。

ウィーンなので会場は地元

 

 

アレクサンダー・(フォン)・ツェムリンスキー

 

オーストリア人作曲家、シェーンベルグの義理の弟、アルマの元カレ!

 

 

 

アルバン・ベルク

 

オーストリア。シェーンベルグの弟子で、この人ものちに歴史に名前の残すことになる

 

 

 

ヨハン・ストラウスの未亡人

 

先ほどのヨハンおやじの奥さん。この時点ではすでに未亡人となっている。

つまり古い時代のウィーンを代表して、やってきた。

「やれやれ、最近の若い人って、どんな事やっているのかしら?」

みたいな。

 

 

 

そして

あのアドルフ・ヒットラー!!

 

未確認情報だが、この時17歳だったヒットラーは、ワーグナーのコンサートを見にオーストリアにきていたので、これを見た可能は大。

 

 

さて、この凄いメンバーの中で上演された。

そのサロメの内容とは。。。。

 

次回につづく。。。。