空海を知る8 大学寮入学
15歳~18歳までの真魚は、叔父大足の特訓に素直についていき、ひたすら学びました。
入学には身分規定もあり、年齢も16歳まででしたが、叔父が根回ししてくれたのでしょうか、無事、大学寮に入学できたのです。
大学寮には明経科・文章科・明法科・書科・算科があり、文章科は中国の詩文や歴史を学び、明法科は律令国家のしくみや法令を学び、書科は書法等を学び、算科は天文暦数を学びます。
真魚は明経科を選びます。
明経科はいわば行政職に就くための勉強をするところで、上級国家公務員を養成します。
募集定員は他の学科が20人や若干名の程度であったのに対し300人を超える、基礎学科でした。
父母や一族は、朝廷の高官として名をなした佐伯今毛人のような栄達を、神童真魚がもたらすことを期待していました。
明経科では中国の経書を学ぶことになっていました。
『周易』『尚書』 『孝経』『周礼』『儀礼』『礼記』『毛詩』、『春秋左氏伝』『論語』などを、注釈書とともに読み込んでいきます。
というより、むしろ、大量の暗記です。
『注釈書』の一字一句をまちがうことなく暗誦できた者だけが高等官試験に合格します。
その暗記は漢文を書き下し文にして棒読みする素読を何度もくり返えすのです。
空海は、入学前の3年間の受験勉強で、すでに相当な量の漢籍を素読暗誦しています。
生来の記憶力に加え、暗記術や記憶術に長けていました。
さらに、漢籍の内容理解も充分でした。
だから教授陣が教える漢籍は、ほぼ知らないものがない状態でした。
なので、自ら進んで初見の典籍にも挑戦をし、自力で読み下し、暗記し、注釈書で理解しました。
さらに、他の学科にも手を伸ばし、『文選』などの詩文を片っぱしから身につけます。
また唐語を、叔父の同僚である皇太子の家庭教師、浄村浄豊に手ほどきを受け、みるみる会話できるようになりました。
この時に習った唐語はおそらく長安で多くの漢人が話す「西北官話」(中国七大方言で代表的な北方方言)であったと思われます。
書にも非凡な才を発揮し、王羲之や欧陽詢や顔真卿をよく臨書して、書の腕前も飛躍しました。
真魚にとって、受験期とこの大学寮での勉強が、後に唐での留学中に非常に役立ったのです。
通訳なしで会話でき、サンスクリット語の理解も早かったのはその下地があったからです。
それはのちに、密教の確立や、書などの芸術性に結実していきました。
空海は天才でしたが、大変な努力もした人なのです。