空海を知る5 空海の家族
弘法大師の一家で、名前が残っているのは、
父=佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)=善通(よしみち)
母=阿刀阿古屋(あとあこや)=玉依姫(たまよりひめ)
長男=鈴伎麻呂(すずきまろ)
次男=酒麻呂(さかまろ)
三男=魚主(うおぬし)
四男=眞魚(まお)=空海 *三男とも言われています
五男=真雅(しんが)
空海の上に、さらに姉が数人いたと考えられています。
さらに、弟の真雅(しんが)とは、20歳以上の年の差があったそうです。おそらく阿古屋(あこや)の他にも妻がいたのでしょう。
長兄の鈴伎麻呂8すずきまろ)から酒麻呂(さかまろ)と魚主(うおぬし)は官僚でした。だいたいくらいは中くらいで、まずますの家柄です。
しかし佐伯家は、やはり中央官僚として上位に出世する人物を出したい、と思っていました。
空海の一族はそれをギリギリ狙えるインの地位にいたのです。
豊かな土地の農業と、おそらく貿易によって、裕福でしたから、朝廷の中央政界~権力に近づけたら、名誉だけでなく、利益や利権が狙えたのです。
家柄だけでは無理ですし、能力なら圧倒的にとびぬけていないと、朝廷でのし上がっていけません。
その期待の星が、真魚(まお)=空海だったのです。
驚異的な天才ぶりと霊威を幼少期から見せていた真魚は、一族の期待を背負っていました。
さらにその才能に磨きをかけるために、母方の伯父であり、中央で活躍していた学者だった、阿刀宿禰大足(あとのすくねおおたり)のもとに預けられるのでした。
桓武天皇の皇子・伊予親王の教育係を勤めた人物で、阿古屋の兄または父だともいわれています。
阿刀家は、「宿祢(すくね)」の姓を持ち、河内国を本拠地にして、摂津国や泉国(すべて大阪府)に住んでいた一族です。
朝廷が作った八色の姓(やくさのかばね)のうち、3番めに偉い「宿禰(すくね)」という姓を持つ名門で、朝廷に仕える知識人の家系です。