ブログ小説「殺人リバース」

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最終章

今、僕は薄暗い牢屋の中にいる。


刑務所に入って二ヵ月が経過したが、今のところ両親とシュウジしか面会に来ない。


「ソウ、あんた何でこんなことしたの?教えてよ。ねえ。ねえ!」


両親は僕の耳に聞こえるはずもない説得を繰り返しては帰っていった。


シュウジは、


「お前何で俺の親父を殺したんだ!言え。言え!」


と怒鳴り散らしていた。


僕は、


「あいつは死ぬべきなんだ」


とだけ言って、後は何も話さなかった。


警察の徐々に激しさを増す事情聴取にも、当然一言も動機については口にしない。


僕が佐川邦男を殺した理由は、僕と天見伶だけの秘密だ。


誰にも話すもんか。


僕は、このままいけば二十五歳で出所ということになりそうだ。


六年間…とても長いが、まったく後悔してなどいない。


あとはレイと今後の話をするだけだ。


でも少しおかしいぞ?


レイが来ない。


あれほど憎んでいた父親だ。


殺された事を知らないはずが無い。


多分レイもまだ心の準備が出来ていないんだ。


半年が経過したある日、


「132番面会だ」


という冴えない看守の声で、グレー一色の面会室へと向かった…

目を疑った。


金髪で、厚化粧で、ギャルみたいな服装のレイがそこにいた。


「あぁ、ソウ君久しぶり」


何の感情もこもっていない声だった。


本当にこの女がレイなのだろうか?


「レイ、何で来てくれなかったんだよ!俺はずっと待ってたのに。お前の為にあいつを殺したのに!」


少し間があって、レイは静かにこう言った。


「ありがとね。あいつ殺してくれて。おかげで保険金で借金返済できたの。あんたが私の義理の兄、佐川シュウジといたのを見た時、あんたを利用するしかないと思ったんだ。だから、あんた好みの女に変身して、あんたを思い通りに操ったって訳。でも馬鹿ね。一回セックスしただけでその気になっちゃうなんて。余程モテないのかな?ソウ君は」


悪魔は笑顔でそう言った。


「じゃあ父親のレイプは?あれも嘘なんだ」


それが嘘だったら、僕は何の為に殺人をしたんだろう?


「ああ、あれね。嘘よ嘘。私も役者だよね。あの話、あんたの心を開かせるために、必死でその場で考えて、涙まで流したんだから。だいたい、父親にレイプされる訳無いじゃない。バーカ」


僕は、訳の分からない叫び声を上げて、思い切り、レイと対面しているガラスを殴った。


ガラスはとても硬くて、ヒビも入らなかった。


レイはその間じゅうずっと笑っていた。


僕の大好きな笑顔ではなくて、汚れた悪魔の笑顔で。


僕は看守に取り押さえられ、腹を二発殴られた。


顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになり、叫び声を上げ続けた。


僕は絶望どころではなく、目には何も見えないし、耳には何も聞こえないし、鼻も、口も、性器も、全ての機能を失っていた。


牢屋に戻った僕は、一晩中泣き続けた。


そして、その涙が溜まって水溜まりになった。


僕はその水溜まりに顔を映して笑ってみる。


顔の筋肉だけがヒクヒクと動く僕の笑顔は、レイと出逢う前同様に醜い。

ストーリー19

僕はマーチが走り去るのを小窓から確認し、煙草を一本吸う。


大丈夫だ。


一時間は余裕がある。


あっという間に煙草は短くなり、僕は右手の人差し指に軽い火傷をする。


その痛みで、レイの痛み、哀しみを思い出す。


佐川邦男に対し、怒りと憎しみが沸き上がってくる。


気付けば僕は、階段を駆け降り、佐川邦男のいるリビングの前にいる。


そのドアを静かに開ける。


破滅へのドアを開ける。


僕は開ける。


開ける…


「シュウジの友達じゃないか。シュウジは友達を置いてどこに行ったんだ?」


邦男は笑ってそう言った。


「…さあ。なんか用事を思い出したとか言って、すぐ帰るからちょっと待っててとか言ってましたけど」


そうか、と邦男は言う。


「天見伶。知っていますね?」


僕は唐突に切り出す。


同姓同名の別人だったら、それはそれでいい。


一瞬邦男は驚いた顔を見せるが、


「知っているよ。俺の娘だ」


とはっきりと答える。


仮説が確信に変わる。


頭の中にあるスイッチが、静かに押される。


僕には、もう迷いはない。


「そして、あなたは幼い伶にひどいことをした。そうですね?」


「君は、冷たい目をしている。何もかもを傷つけてしまうような。確かに俺は伶にも、美里にも、ひどいことをした」


「美里?」


「伶の母親だよ。俺は、事故でやばい筋の奴を引っ掛けちまってな、五千万の借金を残してあの家から逃げたんだ」


「そして、あなたは伶を犯した」


僕は、静かに燃えていた。


「犯す?俺が自分の娘をか?」


「ああ、そうだよ。お前は実の娘をレイプしたんだろ!」


「何か勘違いしてないか?俺が自分の娘を犯すわけないだろう。何言ってんだよ。君は。警察を呼ぶぞ」


「警察だと。ふざけるな!」


僕はキッチンへと走り、目についた包丁を掴んで、迷う事無く佐川邦男の腹に突き立てた。


「な…に」


邦男は声にならないうめき声を上げ、僕のシャツと両手は真っ赤な血に染まる。


「伶の痛みはこんなものじゃないんだよ!思い知れ!」


僕は包丁を抜き、邦男の心臓に再び突き立てた。


邦男は、痙攣しながら、絶命した。


僕は、不思議にも落ち着いている。


体が軽くなっていくのを感じる。


ふわふわと、このまま空まで飛んでいけそうだ。


レイもきっと喜んでくれる。


もう、僕は僕である理由を失う。


レイの為に殺人をしたロボットだ。


僕は自首する。


そして、出所したらレイと一緒に暮らそう。


過去を失うことが出来たレイと一緒に幸せに暮らそう。


返り血も拭わずに、外へと出る。


「交番はどこですか?」


目についた老人に尋ねる。


「まっすぐ行くと交差点があるから、そこを右だよ」


老人は目が悪いのか、返り血には気付かずに、優しくそう教えてくれる。


交番に向かう途中、なぜだか涙が溢れた。


交番には、若い警官がいた。


「今、人を殺しました」


そこからはあまり覚えていない。


僕には、懲役六年の実刑判決が下された。

ストーリー18

流れてくる汗をすぐに拭う。


シュウジに気付かれないように。


僕は平静を装う。


「変わった名前だな。今も元気にしてるのか?」


「ああ、ピンピンでビンビンだよ。あいつ顔だけはいいからな。浮気しまくってるよ」


佐川邦男は、シュウジの父親だと確信した僕は、邦男に会う機会は今しかないと、腹を決める。


「なあ、シュウジ。今日お前の家行ってもいいか?」


「おう。いいけど、お前が家来るの初めてだな」


「いや、前貸したフランツのCD返してもらおうと思ってな」


僕は精一杯の笑顔を創る。


だが、もちろん顔の筋肉が動いているだけだ。


「いいよ。じゃあ、今から行くか。今日おふくろは友達と高島屋に行くとか言ってたからいないけど、親父は家にいるぞ。それでもいいか?」


もちろんだ。親父がいなかったらお前の家など行くか。


とは言わず、マジかよ、とだけ答える。


「じゃあ、行こうか」


シュウジは僕のペペロンチーノの支払いをしにレジへ向かい、僕は先に外へ出る。


僕はこれ以上ないほどに緊張する。


シュウジがくわえ煙草で店から出てくる。


「ソウ、乗れよ」


車はシュウジの家に向かって順調に走り出す。


僕の目的地に走り出す。


そして、レイの暗黒の過去へと走り出す…


「よし。着いたぞ」


そこには普通の一軒家が立っている。


どこにでもある二階建てで、茶色い屋根。


クラウンが停まっていて、銀色の門には佐川の二文字が刻まれている。


「さあ、どうぞ」


シュウジが門を開けて、玄関の鍵を開ける。


僕は、脇の下と掌にものすごい汗をかいていることを、冷たい風が体を通過した時に初めて気付く。


「お邪魔します」


早く佐川邦男に会わなくては。


そう思っていると奥の部屋から、ペタペタという足音が近づいてくる。


「おう。シュウジ友達か?いらっしゃい」


こいつが佐川邦男か?


背が180くらいある。


体は細く、中年の休日というのに、ジャケットにチノパン。


顔は小さく、目はパッチリとした二重で、鼻は細く高く、口は大きい。


額は後退してきているが、まるで外国人みたいなルックスのせいで、それさえも自然に見える。


正直格好良い。


しかし、こいつは悪魔なんだ。


そう思い込むしかない。


「じゃあ、二階行こうぜ」


シュウジの言葉を合図に、僕らは急な階段を上り、シュウジの部屋へと入る。


先に口を開いたのは僕だ。


「いい家じゃないか。親父さんもお前に似てなくて、格好良いな」


「親父は確かに格好良いよ。何で俺おふくろに似たんだろうな」


シュウジは笑いながらそう言う。


「ああ、これフランツのCD」


やばい。


これを受け取ったらこいつの家にいる理由が無くなってしまう。


「何だこれ。割れてるじゃん」


「あ、本当だ。まあ、カタイこと言うなよ」


仕方ないか。


キレるしかないな。


「お前だって、俺が音楽大好きだって知ってるだろ。今すぐ買って来いよ」


僕は出来る限りの大声を出す。


僕の初めての大声に、シュウジもビビる。


「うるせえな。はいはい、分かったよ。買って来りゃあいいんだろ。でもここからタワレコ遠いから、一時間くらいかかるぞ」


「まあ、ここで待ってるから、早く行ってこいよ」


シュウジはぶつぶつ言いながら部屋を出て行く。


あいつには、スロットで負けて気が立っていた。


とでも言っておけばいい。


マーチのエンジン音と共に、僕は動き出す。

ストーリー17

シュウジは車を軽快に走らせる。


僕らはよく行くファミレスへと向かう。


「いらっしゃいませ、お煙草は吸われますか?」


はい、と答えていつもの窓際の席へ。


「飯おごってくれるって、ファミレスかよ。じゃあ俺ペペロンチーノ」


「ヒスのMB3取り置きしてあんだよ。まあ、いいじゃん神谷さん。俺はフォカッチャでいいや」


注文をし終わり、シュウジは、今のウェイトレスすげぇブスだなと言う。


「なあ、お前だったらさぁ、名前しか知らない奴をどうやって探す?」


僕は唐突に、そんな相談を持ちかける。


「名前しか知らない奴か。難しいな。俺だったらやっぱ聞き込みとか?それ以外思いつかねぇよ。何で?」


「いや、特に理由はねぇんだけどさ」


それにしても今のウェイトレスはパンチ効いてたなと付け足し、また僕らは、他愛も無い話をする。


そこで僕は急に、目の前の男が“佐川愁治”であることを思い出す。


まさか?


そんなことあるはずがない。


どれだけ自分に言い聞かせても、僕は自分の中に、黒く渦巻いている不安を拭い去ることが出来ない。


「なあ、シュウジ。お前って一人っ子だよな?」


「当たり前じゃん。何言ってんだよ」


そこで僕は少し安堵する。


そして、核心に迫る。


「お前の親父って名前何ていうの?」


「何だよ気持ち悪いな。邦男だよ」


僕は、自分の汗が自分とは違う生き物のように、額をつたうのを感じる。

ストーリー16

翌朝、寒さで目を覚ますとレイはもう僕の部屋にはいない。


今日は土曜日だし、バイトも無断欠勤を続けているから予定は何もない。


ベッドから立ち上がると、テーブルの上にハムエッグとサラダが置いてある。


僕は当然驚き、それらを確認しにテーブルへと向かう。


ふと見ると手紙が置いてあった。


「昨日は怖かったけど、想が相手で不思議と受け入れられたよ。


すごい素敵だった。


私はバイトがあるから、先に出るね。


朝ご飯作っといたから、残さず食べるんだよ」


僕はその手紙を見て、ありがとう、と呟く。


“佐川邦男”こいつを見つけだすことだけが今の僕のただ一つの目標になる。


しかし、どうやって探そう?


名前以外に知っていることは何もない。


とりあえずレイにまた連絡を取らなければ、と思っていると携帯が鳴る。


「お前、今何してんの?」


シュウジからの電話だ。


「別に何もしてないけど」


「じゃあスロット行こうぜ。こないだ二万負けたんだよ。今日こそラオウを昇天させてやる」


「分かったよ。じゃああと一時間後に俺ん家来て」


僕も、今はレイと佐川邦男のことしか考えられないから、スロットに行くのもいいかな、と考えを変える。


歯を磨いて、顔を洗って煙草を吸う。


朝は何も食べる気にならないので、レイには悪いと思うが、朝食は一旦冷蔵庫に入れておく。


服を着替え、髪を直す。


そんなことをしているうちに、シュウジの焦茶のマーチのエンジン音が聞こえる。


僕は外へと出ていく。


風もなく、暖かかった。


階段をゆっくりと降りて、マーチの助手席を開ける。


「今日は勝つぜ。朝早いしな。軍資金は七千円だ。EXでいいだろ?」


「おう。早く出せよ」


車は、冬の穏やかな通りを滑っていく。


街には、カップルや家族連れが華を添えているように見える。


でも華と呼べるほど綺麗な人は、当然一人もいない。


みんな汚れている。


カップルはお互いを騙し合い、ただ世間体を気にして、彼氏・彼女の契約を結んでいるにすぎない。


家族だって、本当はお互いが、お互いを馬鹿にしている。


そんなものなんだ。


人間なんて。


「お前、最近どうなんだよ?セクースしてる?」


最近僕らの仲間内では、セックスをセクース、おっぱいをオパーイなどと言うことが流行している。


「まあ、普通かな。お前は?」


「普通って何だよ。まあ、いいや。俺はいつも通り何もありませんよ」


シュウジが女の話で、珍しく笑っている。


「おい、左。もう着いたぞ」


シュウジは、おお、と軽く驚いて、ハンドルを左に切る。


EXに入ると、いつも通り馬鹿みたいに大きい、鼓膜を突き破りそうな音が聞こえる。


僕らは、またいつも通り“北斗の拳”が置いてある場所へと向かう。


千円を入れて、メダルを入れてスタートし、リールを回しはじめる。


僕は中押しで、2チェを狙う。


しかし、そんなにうまくいくものでもなく、千円は五分で機械へと飲み込まれる。


ふとシュウジの方を見ると、ボーナス確定の文字が、液晶に浮かび上がっている。


「ソウ、目押ししてくれよ」


しゃあねえな、と僕は言って、二回で北斗を揃える。


バトルボーナスは十二回続き、シュウジは笑いながらキタ、キターと言う。


僕はといえば、ずっと地獄を彷徨っているようで、四千円でやめる。


シュウジは五万二千円勝ち、やめる。


店を出て車に乗り込み、シュウジが


「飯でもおごってやるよ]


と言う。

ストーリー15

僕の言葉は、未だ宙を彷徨っている。


レイはその意味を探すように、じっと天井を見つめている。


「彼女になるってことは、ソウは私を受け入れてくれるってこと?」


もちろんさ、と僕は答える。


「だって私、十三の時にあいつに…」


「その先は言わなくていいよ。無理に忘れなくてもいい。ただ俺の傍にいてほしいんだ」


僕はレイの言葉をさえぎるように言う。


「こんなこと誰にも話したことないんだけど、ソウには聞いてほしいんだ。あれは八月のとても暑い日だった…」


やめろよ、と僕は言ったが、レイの真剣な決意の前では、言葉は全く通じない。


僕も決意を固めた。


「私の家はすごく貧乏で、エアコンなんか無くて、一台の扇風機を家族みんなで取り合ってたの。


私とお母さんとあいつで。


ちょうど私が中学校に入った時、あいつの務めてた工場が潰れちゃって、

あいつが新しい仕事を見つけるまで、お母さんが近くのスーパーで働くことになったの。


でもあいつは、全然職探しなんかしてなくて、お母さんが必死で稼いできたお金を、

パチンコに費やしたり、友達を呼んで、お金を賭けて麻雀ばかりしてた。


あいつの友達はみんないい人で、私にジュースを買ってくれたり、可愛いがってくれた。


そんな生活が四ケ月くらい続いて、あいつは友達に借金を作ったの。


八月十七日、突然隣の部屋から、ジャラジャラっていう麻雀の音が、全く聞こえなくなった。


友達が来てるのにおかしいなって子供心に思った私は、隣の部屋の扉を開けたの。


そうしたら、あいつが、レイ我慢してくれって言ったの。


私、あの顔今でも忘れてない。


あいつ、笑ってた…

お母さんに買ってもらった白いブラウスを引き裂いて、友達の目の前で私を犯した。


後から聞いた話なんだけど、あいつは私を友達に売るつもりだったらしいの。


でも、あいつの友達は、あいつが私の口にアレを突っ込んだときに、逃げるようにして帰っていった。


何が起こっているのか全く分からなかった。


あいつの感触が気持ち悪くて、今でも思い出すたびに吐き気がする。


目が覚めるたびに、夢じゃないことに気付いて、何度も死にたくなった。


あいつは、そのまま出ていって、それから一度も帰ってきてない…」


レイは喉に突っ掛かった異物を吐き出すように、一気に話した。


「お前の親父は、俺が必ず探し出して、絶対に殺してやる」


僕は、正直な気持ちを言葉にした。


「佐川邦男。それがあいつの名前」


とレイは言って、僕の肩にそっと寄り掛かってきた。


その日、僕らは一つになった。

ストーリー14

僕はレイに僕の家に来て、と言って自分のアパートへと帰ることにする。


僕とレイがつながっている場所は、CANDLEとこのアパートだけだから。


僕はレイがどこに住んでいるのかも、何をしているのかも全く知らない。


僕が知っているのは、彼女の綺麗な声。


電灯の眩しさのような笑顔。


そして、電灯が落とす暗い影。


僕はハーブティーを入れるためにお湯を沸かし、その間に煙草を数本吸う。


お湯が沸いたので、ティーカップを二つ用意して、僕とレイの為にお湯を注ぐ。


その時、チャイムが鳴る。


僕は玄関へと駆け出す。


十分なスピードが出るほどの距離はないけど。


鍵を開けると、予想した通りレイが立っていた。


「どうしたの?なんかシリアスな感じだったけど」


「いや、別に何にもないけど、ただ会いたかった。外寒いから中入ってお茶でも飲んできなよ。」


「分かった」


レイは僕に呼び出された理由を探っているみたいだ。


僕らは色んな話をした。


レイは服飾の専門学生で、好きな食べ物は苺と大福(苺大福は嫌いらしい)。


彼氏はずっといないけど、ナンパは毎日一回はされるらしい。


十六なのに一人暮らし。


なぜか聞きたいけど、そこにはシリアスな事情がありそうなのでやめる。


「何で彼氏作らないんだよ?」


と僕は聞く。


レイと話していると、シュウジのつまらない性格も次第に気にならなくなる。


僕が結局何をしたいのか。


僕は何の為につまらない奴しかいない大学へ通っているのか。


そんなことも全てどうでもよくなった。


別にいいじゃないと思えた。


「あのさ、レイ、俺の彼女になってくれないかな?」


自然に口から出た言葉だった。

ストーリー13

まだ明るい空。


雲一つない快晴になった。


僕がサヤカを抱こうと思うなんて、かなり珍しい事なのに、さっきの雨の降りそうなどんよりとした空気は、まるで大型扇風機で吹き飛ばしたみたいに、何処か彼方へと消え去った。


“CELINE”まであと200メートル。


ここに辿り着くまで、僕らは何も話さなかった。


“沈黙を楽しむ”なんてお洒落な状況じゃないけど。


やはり僕はサヤカとこうなってはいけない。


でも、今さらこの状況を変えることなんて出来ない。


そんな時、前から、見覚えのある真っ赤なロング・コートを来た長身の男が歩いてきた。


シュウジだった。


「ソウとサヤカじゃん。何してんだよ?こんなとこ二人で歩いちゃってさ」


正直僕は助かったと思った。


しかし、サヤカが沈黙を破る。


「ソウとね…ここまで来たんだ」


「マジかよ。ソウ?」


シュウジは、女と寝る寝ないの話になると、異常な嫉妬心を僕に対して剥き出しにする。


「何言ってんだよ。幼なじみだぜ?俺がそこまで女に困ってる訳ないじゃん」


僕は、まるで感情が入る隙間を無くすように、そう、あくまでソリッドに答えた。


サヤカは怒っているみたいだ。


当たり前だけど。


顔をシュウジのコートくらい赤くして、僕を見て何も言わない。


「私、授業行くから。じゃあね、シュウジ」


おう、とシュウジは短く答えて、僕を見た。


「お前、サヤカにシカトされてんじゃん。何かあった?」


シュウジはにやにやと僕を見て笑う。


「いや、別に。何もないよ」


もう嫌になる。こいつの性格が。


いや、すべてがどうでもよくなる。


僕だけがこの世界から孤立した存在みたいに思える。


そしてその孤独のループから、誰も僕を連れ出してくれないことを僕は知っている。


僕はシュウジに何も言わずに、逃げるように離れ、反射的にレイの携帯番号を押す。


「もしもし。もしもし…ソウ?」


そこからはとても綺麗な彼女の声が流れてくる。


僕は何も言わない。


彼女の早朝の湖の波紋みたいな声を、僕の汚い声で壊してしまいたくないと思う。


僕は、呼吸をすることさえ忘れている自分に気付く。


「会いたい」


と僕は、歌が巧いだけで、感情の起伏が無い大嫌いな声で言った。

ストーリー12

「ソウが珍しく朝から学校来てる。だから今日は雨が降りそうなお天気なんだ」


学校へ行く途中の傾斜のきつい坂道で、聞き慣れた声が耳に入った。


昨日の夜、寝違えてしまった首をもたげて振り返ると、ツモリチサトのざっくりしたクリーム色のニットに、コム・デ・ギャルソンの真っ黒なレースのスカートを合わせた、いつも通りお洒落なサヤカだった。


「うるせえ。俺は雨男なんだよ」


言葉とは裏腹に僕は笑っている。


サヤカと話している時の僕は、素の状態の“神谷想”に戻ることができた。


大学、いや…日常生活で演じ続けている“カミヤソウ”ではなくて。


「ソウが珍しいことすると、いつも雨が降るんだよね。ほら、中二のソフトボール大会の時だって、ソウが打席に立ったとたんに雨が降るんだもん。俺はソフトなんかやりたくねえ、とか言ってたのに、カズキの頼みだから仕方ないって、いやいや出た時だよ。覚えてる?」


「そんなこともあったな。もう五年くらい前の話だけど」


僕は、複雑な記憶の糸を手繰ってみた。


僕とサヤカの糸は、同じ一つの思い出から伸びて、お互いの心を結んでいた。


「サヤカさ、一限目原田だろ?サボろうぜ」


僕はサヤカの返答を予想しながら言った。


とても真面目なコだから、授業をサボることはない。


断られる確率80%。残りの20%は、サヤカがまだ僕に好意を持っていると仮定した場合に起こりうる。


「いいよ。原田出欠とらないし。で、どこ行くの?」


サヤカは満面の笑みで答えた。


20%に転んだ。


確率というのはおかしなものだ。


赤玉が二回連続で出る確率が5分の3とか、告白して成功する確率が70%とか、降水確率が60%とか、赤玉は出るか出ないかの、告白は成功するかフラれるかの、降水確率は雨か晴れかの、100%か0%でしかない。


確率なんて、何の意味も成さない気休めでしかない。


僕が人を愛せる確率はきっと0%だろう。


「じゃあ、ホテルでも行く?」


と僕は笑いながら言った。


「いいよ」


と答えたサヤカの顔はすでに笑顔ではなくて、彼女の得意な数学の問題用紙に向かう、真剣な眼差しに変わっていた。


僕はこの眼差しに弱い。


たまらなく。


と、いうか恐くてたまらない。


いつも冗談で笑い飛ばしてしまう。


人の真剣な気持ちに真剣に答えることが、まだ僕にはできないでいる。


サヤカの好意には気付いていた。


ずっと前から。


でもまだ気付かないふりをしている。


「冗談だよ。パステル行こ。昨日給料入ったからおごってやるよ」


「いや。想としたい」


サヤカは顔を真っ赤にして言った。


僕はトマトが嫌いだけど、その瞬間食べてもいいと思った。


こうなると歯止めは効かない。


「分かったよ。沙也夏」


僕らは学校を出て、ホテル“CELINE”へと向かった。


手を繋いで。


レイの顔が頭を過ったが、僕はそれを打ち消した。


“レイと僕とじゃ、きっとうまくいかない”という暗示を自分自身にかけて。


サヤカとうまくいく確率20%と、下らない気休めをしながら、僕は歩いた。


ストーリー11

僕とレイのいる世界には、いまだ静寂が続いている。


まるで、ガラスのカップに入っている氷水のようだ。


レイの“ごめんね”という声。


カップの中に入っている氷が“カラン”と音を立てるくらいの強さと脆さで、僕の何も感じないはずの、乾いたスポンジみたいな心に浸透した。


胸が痛いというのはこういうことなんだろうか?


初めての経験に戸惑った。


「気にしなくていいんだよ。もし良かったら、レイの辛い過去を話してくれないか?」


女を口説くために、身の上話を聞くことは良くあるが、本当にひとりの人間のことを知りたいと思ったのは、今、この瞬間が初めてだった。


「うん。分かった。私も聞いてほしい。ソウを初めて見たときから私と同じ傷を抱えてると思ったから。そうじゃなきゃ家まで着いてこないよ。ソウの初体験はいつ?どんな人と?」


レイは、ゆっくりと言葉を選ぶように、僕の目を見て話した。


「僕の初体験は、十四才の時に、友達に紹介されたちょっとヤンキーの女のコとだよ。初めて会ったときにしたから、こんなこともできるんだって、女の子とちゃんと付き合うのが馬鹿馬鹿しくなっちゃった」


僕は事実をありのままに話した。


「私はね、ソウより一歳若い時。相手はね…」


僕は自分の耳を疑った。


レイは、仕方ないよ、と言って笑った。


僕は、そんなことが本当にこの世にあるんだと思ったと同時に、レイの初めての相手に殺意を覚えた。