これまたとっても切ない感じの歌です。
憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを 源俊頼朝臣
一瞬「ん?」と思うのは、「初瀬の山おろしよ」が文脈を割って入っているからなんですね。
「憂かりける人をはげしかれとは祈らぬものを」というのが本筋で、
その間に「初瀬の山おろしよ」とい一節を組み込んで詠んでいるわけです。
「憂かりける」は、無情だった、つれなかった、という意味。
初瀬は今でいう奈良県桜井長瀬町のことだそうで、平安朝の時代から、観音信仰で有名な長谷寺があるんだそうです。
その観音様にお祈りしたんですね。
次の「山おろし」というのは山から吹き下ろす激しい風のことですが、これは次の句の「はげしかれ」の為の序詞ともとれます。
「はげしかれとは」 一層激しくなれとは、という意味。
私につれなかった人を、その人が振り向いてくれますようにと初瀬の観音様にお願いしたのに、初瀬の山おろしよ、もっとつれなさが激しくなれとは祈らなかったのになあ。
というような意味になります。
振り向いてくれますようにとお願いしたのに、というのは直接ここには詠まれていませんが、
意味としてそうつながるので、補った方が読みやすくはなります。
それにしても、内容からして…相当つれなく振られたんでしょうね…。
詞書を見ると、実際に誰かを思ってというよりは、実らぬ恋の歌を詠むというお題で詠まれたようですが、
でもこれだけ恵まれない恋心だと、実際にそれに近いような体験もしたのかなあと思ってしまいます。
作者の源俊頼は、「夕されば」を詠んだ源経信の子です。
源姓ですが、堀河、鳥羽、崇徳の三代に仕えているので、それこそ政治的には平安激動の三代に仕えていたことになります。
当代きっての歌人だったそうで、「金葉集」の撰者でもあります。
それまでの歌風とちょっと違ったような歌い方も取り入れた、斬新な歌風だったようで、
この後の藤原俊成などに大きな影響を与えた人物だったりします。
確かに、途中で一節組み込む、なんていうのは新鮮な感じがありますね。
久しぶりに登場…どうしていいかわからないときの画像…。σ(^_^;)
