メンテナンス前に書かないとっ
滝の音は たえて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ 大納言公任
状況が分からないと、ちょっとピンときづらい歌かもしれません。
この歌が歌われるより昔、嵯峨天皇の頃、京都の大覚寺というところに有名な滝があったのだそうです。
ただ、この歌が歌われた時にはすでに水は枯れてしまっていたとか。
でもその名前は今でも残っている、そういう内容の歌です。
「たえて」は 絶えて なんですね。
また、「滝・たえて・流れて」「なり・名こそ・流れて・なほ」など、リズムや音も考えられて詠まれています。
縁語も多くて、「滝・流れ」、「音・聞こえ」、「たえ・流れ」など、技巧的にも実は凝っています。
大覚寺にあったという滝の音は、聞けなくなって随分経つけれど、その名高い評判だけは、今にも伝わって変わらずに聞こえていることだよ。
というような意味になります。
滝の音そのものは聞こえなくなっても、名声だけは残っている、そんな歌に、多分自分自身のこともひっかけているのかな…というのはうがった見方でしょうか。
自分自身がいなくなっても、自分の名だけは後世に残したい…みたいな。
というのも、この作者藤原公任は、何をやらせても超一流の有名人だったのだとか。
政治では藤原道長にかなわなかったので、特に芸術や学問の才に長けていたのだそうです。
当代きっての花形貴族、だったんでしょうね。
でもって、どうやら自己顕示欲も強くて、負けず嫌いだったらしい…。
となると、やっぱりこの歌を詠んだ背景には、今は政治的に負けちゃっているけど、後世の世に自分の名は轟かせていきたい…というような願望も入っているんじゃないかと、思ってしまうわけです。
余談ですけど、「紫式部」と名付けたのはこの人だった、らしい。。。
何かの宴か何かが宮中であった時に、女房達がいるところへこの藤原公任がやってきて、
「紫の方はこちらにいらっしゃるか?」と尋ねたんだそうです。
このときのエピソードが有名になって、後に「紫式部」と呼ばれるようになったとか・・・。
それまでは、藤原氏出身の彼女は「藤式部(とうのしきぶ)」と呼ばれていたらしいんですね。
清原氏出身だから「清・少納言」なわけで。普通はこういう名前の付け方をされていたわけです。
でも、若紫の巻が特に優れていたこと、このエピソードから「紫式部」になった、という話があります。
当代きっての有名貴族も、源氏物語を読んでいた、という話です。
ただ、このとき紫式部は 光源氏のような殿方がいないのだから、若紫だっていないわよ、と返事をしなかったらしいですけどね・・・。σ(^_^;)
天邪鬼に滝の画像を張ってみる(苦笑)