百人一首を覚えましょう 55、滝の音は~ | うさぎのしっぽ 猫のあしあと

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メンテナンス前に書かないとっあせる


滝の音は たえて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ        大納言公任



状況が分からないと、ちょっとピンときづらい歌かもしれません。


この歌が歌われるより昔、嵯峨天皇の頃、京都の大覚寺というところに有名な滝があったのだそうです。


ただ、この歌が歌われた時にはすでに水は枯れてしまっていたとか。


でもその名前は今でも残っている、そういう内容の歌です。


「たえて」は 絶えて なんですね。


また、「滝・たえて・流れて」「なり・名こそ・流れて・なほ」など、リズムや音も考えられて詠まれています。


縁語も多くて、「滝・流れ」、「音・聞こえ」、「たえ・流れ」など、技巧的にも実は凝っています。


大覚寺にあったという滝の音は、聞けなくなって随分経つけれど、その名高い評判だけは、今にも伝わって変わらずに聞こえていることだよ。


というような意味になります。


滝の音そのものは聞こえなくなっても、名声だけは残っている、そんな歌に、多分自分自身のこともひっかけているのかな…というのはうがった見方でしょうか。


自分自身がいなくなっても、自分の名だけは後世に残したい…みたいな。



というのも、この作者藤原公任は、何をやらせても超一流の有名人だったのだとか。


政治では藤原道長にかなわなかったので、特に芸術や学問の才に長けていたのだそうです。


当代きっての花形貴族、だったんでしょうね。


でもって、どうやら自己顕示欲も強くて、負けず嫌いだったらしい…。あせる


となると、やっぱりこの歌を詠んだ背景には、今は政治的に負けちゃっているけど、後世の世に自分の名は轟かせていきたい…というような願望も入っているんじゃないかと、思ってしまうわけです。


余談ですけど、「紫式部」と名付けたのはこの人だった、らしい。。。


何かの宴か何かが宮中であった時に、女房達がいるところへこの藤原公任がやってきて、


「紫の方はこちらにいらっしゃるか?」と尋ねたんだそうです。


このときのエピソードが有名になって、後に「紫式部」と呼ばれるようになったとか・・・。


それまでは、藤原氏出身の彼女は「藤式部(とうのしきぶ)」と呼ばれていたらしいんですね。


清原氏出身だから「清・少納言」なわけで。普通はこういう名前の付け方をされていたわけです。


でも、若紫の巻が特に優れていたこと、このエピソードから「紫式部」になった、という話があります。


当代きっての有名貴族も、源氏物語を読んでいた、という話です。


ただ、このとき紫式部は 光源氏のような殿方がいないのだから、若紫だっていないわよ、と返事をしなかったらしいですけどね・・・。σ(^_^;)


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天邪鬼に滝の画像を張ってみる(苦笑)