1989年北京モスクワ国際列車7、モスクワ駅編(本当はベルリンまで行きたかった・・・) | FC2に移転しました(線路巡礼)

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1989年4月27日から始まった北京モスクワ国際列車の旅。
先月の日本一周寝台列車の旅のおかげで、少し間が開いてしまいましたが、記事再開です。
ということで、これまでの旅をざっとオサライ。

北京で2泊過ごし、名物の壁なし公衆トイレを堪能。
その後、北京駅を出発した世界最長国際列車で車中6泊7日という伝説に挑戦。

列車は、満州、中ソ国境、シベリアを通り抜け、無事にモスクワ駅に着きました。
車中、現地通貨の持ち合わせがなく(泣)、ポーランド人商人やロシア人科学者に助けられての、珍道中でした。

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せっかくなので、
ここでソ連鉄道に関するウンチク話。

ソ連の鉄道の駅名というのは、その駅から発着する主要都市の名前をつけるそうです。
だから、モスクワには方面別にたくさんの駅があるのですが、モスクワ駅はありません。
(当時のガイドブックには必ず書いてあった小話)。

日本で言えば、
東京駅は「川崎」駅(あえて、横浜とは言わない、笑)。
新宿駅は「立川」駅。
上野駅は「川口」駅。
という感じでしょうか?

でも、このネーミングの方法では、二方向に分岐する駅はどうするの?
だいたい、中間駅はどちら側の方向に向いて、駅名を決めるのかな?
あんまり実用的な方法ではないですね。さすが社会主義の超大国だ(笑)。

ウンチクその2
中ソ国際列車というのは、かなり歴史のあるエライ列車なのです。
中ソ国境紛争がおきた時でも、この列車だけは運休にならなかったとか。
両国の外交官をいつでも派遣できるように、この列車だけは走らせたのだとか。

いつも犬猿状態にあった社会主義両大国の仲をとりもつ、世界平和に貢献する列車なのです。

どんなに関係が悪化しても、この列車だけは走らせる、という暗黙の了解があったようです。
両国間を結ぶ国際列車が走る限り、最悪の事態にはならず、世界は安泰です。
こんなに重要な列車が、世界の他に存在するでしょうか?

でも、ホントかな?
そんなにエライ列車に乗って、私は特使としてモスクワまで行ったのかしら?
ソ連が崩壊してしまった今となっては、全ては謎です。

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1989年5月5日。
モスクワだけど、モスクワ駅ではない、なんとか駅に着きました。

どうでもいいけど、屋根はないし、車止めもチャチですねぇ。

さっそくホテルを目指します。
すぐに見つかりました。

ちなみに当時、一般外国人の旅行は制限されており、
ホテルは国営旅行社(インツーリスト)が決めたホテルに泊まらざるを得ません。
自分でホテルを探すなんていうことは不可。

セキュリティだけは厳重なホテルに宿泊。
一週間ぶりにシャワーを浴びて(笑)、
さて、モスクワの街にくりだしましょう!

緯度が高いおかげで、初夏のモスクワの街はなかなか暗くならないのです。
ここに3泊もしました。

次回、モスクワ観光編です。

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今考えてみると、
モスクワは1泊にしておいて、
さらに鉄道に乗って東ドイツのベルリンまで行っておけばよかったなぁと、少し後悔。
まさかベルリンの壁が崩壊するとは、当時誰も思いませんでしたよね?