線路巡礼:倉吉線山守駅。


1982年4月26日に巡礼しました。
その時、中国地方のローカル線を乗り歩いていたのですが、
夜行列車の寝過ごしトラブルのおかげで、
昼間に乗車することが出来なかった、恨みの線路です(泣)。
その時、中国地方のローカル線を乗り歩いていたのですが、
夜行列車の寝過ごしトラブルのおかげで、
昼間に乗車することが出来なかった、恨みの線路です(泣)。
とりあえず、朝、倉吉駅から途中の西倉吉駅まで往復。
客車でした。
なんと、貨車もついていたんですよ。混合列車ですね。
その夕方、また倉吉線に乗りに来ました。
倉吉17:59→打吹18:10(これは客車)
打吹18:13→山守18:43(これは気動車)
倉吉17:59→打吹18:10(これは客車)
打吹18:13→山守18:43(これは気動車)
倉吉市の中心は打吹駅です。
ここまでは、結構混んでいました。
ここまでは、結構混んでいました。
終着駅の山守駅は、当時から線路一本だけの配線。
とっても単純。
だから、山守まで行く列車は、すべて気動車だったのです。
だって、客車だと機関車の付け替え(機廻り)が出来ませんから。
とっても単純。
だから、山守まで行く列車は、すべて気動車だったのです。
だって、客車だと機関車の付け替え(機廻り)が出来ませんから。
話によると、ここから津山駅まで延伸する話があったらしいのですが、
そんな工事の雰囲気はどこにもなし。
(津山駅側には、あったらしいです。ホントかな?)
そんな工事の雰囲気はどこにもなし。
(津山駅側には、あったらしいです。ホントかな?)
すでに、夕闇が迫っていました・・・。
とっても後悔しているのですが。
全く写真を撮っていないのです!。
朝も、夕方も、
何でかな~!(泣)
全く写真を撮っていないのです!。
朝も、夕方も、
何でかな~!(泣)
特に終着の山守駅の写真。
ネットで捜しまくりました。
でも、駅舎や列車の写真はあっても、肝心の線路が写っているものはないのです。
ネットで捜しまくりました。
でも、駅舎や列車の写真はあっても、肝心の線路が写っているものはないのです。
ところが、思わぬところにありました。
あれから24年後!
鳥取、三徳山投入堂の旅の途中で、倉吉市街に立ち寄ったら、
倉吉線記念館、を発見。

旧倉吉線打吹駅の跡に、立派な建物が建てられてます。
そんなもの作るのだったら・・・、
昔の線路をそのままにして、旧駅舎でも利用してくれればいいのになぁ。
何のための記念館なんだろう(泣)。
ちなみに、この建物の前の空き地が旧倉吉線跡です。
奥が倉吉駅方面、手前側が山守駅方面。
鳥取、三徳山投入堂の旅の途中で、倉吉市街に立ち寄ったら、
倉吉線記念館、を発見。

旧倉吉線打吹駅の跡に、立派な建物が建てられてます。
そんなもの作るのだったら・・・、
昔の線路をそのままにして、旧駅舎でも利用してくれればいいのになぁ。
何のための記念館なんだろう(泣)。
ちなみに、この建物の前の空き地が旧倉吉線跡です。
奥が倉吉駅方面、手前側が山守駅方面。
でも、無料だから、入ってみましょう。
無人です。自分で照明をつけるの(笑)。

何故か、スイッチャーと呼ばれる貨物の入替機がいました。

機関士気分も味わえます。電車の運転台より貴重かも?。
この駅は、貨物の取り扱いしていたから?。
無人です。自分で照明をつけるの(笑)。

何故か、スイッチャーと呼ばれる貨物の入替機がいました。

機関士気分も味わえます。電車の運転台より貴重かも?。
この駅は、貨物の取り扱いしていたから?。
昔の写真がいくつも展示されています。
その中に、1枚だけありました!
山守駅の線路の終端です!

ちょっと時代が古いけど、こんな感じだったんだぁ。
この逆側から見た写真も欲しいなぁ。
山守駅の線路の終端です!

ちょっと時代が古いけど、こんな感じだったんだぁ。
この逆側から見た写真も欲しいなぁ。
廃線跡は倉吉市内でよく残っています。
ここ打吹駅と次の西倉吉駅周辺が、倉吉の中心なのです。
観光名所の蔵の街もここにあります。
現在は、ここから倉吉駅まではバスで10分。
需要があり、本数も多いです。
ここ打吹駅と次の西倉吉駅周辺が、倉吉の中心なのです。
観光名所の蔵の街もここにあります。
現在は、ここから倉吉駅まではバスで10分。
需要があり、本数も多いです。
ちょっと考えます。
倉吉線が、もし倉吉駅から西倉吉駅までだけだったら。
今でも市民の重要な足として、存在していたのではないでしょうか。
倉吉線が、もし倉吉駅から西倉吉駅までだけだったら。
今でも市民の重要な足として、存在していたのではないでしょうか。
ちょっと、もったいない路線です。
おまけ:

倉吉駅に、はっきり残る倉吉線跡。

倉吉駅に、はっきり残る倉吉線跡。

ホーム跡も残ります。
もっとも、一部は削られて、バスセンターの一部になっています。
ここから、三徳山行きのバスが出るんですよん。
霊験あらたかな三徳山投入堂参拝のおかげ?で、倉吉線の残影に出会えたのでしたぁ。