1984年、「まつかぜ」の旅。(仕事は人事部労務課勤務となりました。国鉄労働問題に詳しくなりまし | FC2に移転しました(線路巡礼)

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1984年3月末は、ローカル線の大受難でした。
清水港線、日中線、赤谷線、魚沼線、盛線、宮古線、久慈線、相模線西寒川支線・・・。

三陸のつまらない新設路線(失礼)なんかどうでもイイのです。
味のある線路たちが、再訪する間もなく、イキナリ亡くなってしまいました。
廃止された路線は、二度と生き返りません(大泣)

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入社1年後の同年4月、私は現業研修を終え、本社配属となりました。

人事部労務課。

恥ずかしながら「労務」という仕事をはじめて知りました(笑)。
人事、総務、経理なんかは、言葉からだいたい分かりますが、労務って、何?

簡単に言うと、従業員の労働条件を管理するのです。
個人の労働条件は人事の仕事です。
労務は、個人の社員全員の労働条件を管理します。仕事の相手は、労働組合です。
といっても、当社の組合は俗に言う「御用組合」でしたから、楽でしたけど。
おかげで、国鉄労働問題にも詳しくなりました。

当時、労働組合といえば「総評」「国労」、そして「社会党」でした。
国鉄ローカル線問題は、特定地方交通線認定による転換が着々と進み、世間の関心はいよいよ国鉄そのものの存在に向けられてきました。
国鉄を実態以上に貶めたのは、労働問題でしょう。
国鉄職員の親方日の丸な勤務の実態が毎日のようにマスコミで糾弾され続けました。
まぁ、実際にそれだけひどい勤務実態だったみたいです。
勤務中の入浴問題は連日話題となりました。
その諸悪の根源に考えられていたのが、国鉄労働組合、通称「国労」です。

既得権という言葉は、現在も役人の専売特許のように改革?の前に立ちはだかりますが、既得権は労働問題にも存在します。
国鉄職員のふざけた既得権をどうすべきか?
政府(自民党)、国鉄は、当然、既得権の廃止、国鉄改革を目指します。すでに破産状態の赤字垂れ流しでしたから。
国労、社会党は、何でも反対。自滅の道を歩みます。

中曽根内閣により国鉄再建委員会が設置され、後の分割・民営化につながる提言が出されました。
国鉄解体が急速に現実味をおびてきたのです。
国鉄分割・民営化。
当時の大きな社会問題でした。
民営化はともかく、分割は?、というのが未だ当時の世論の主流でしたけど。

とにかく、国鉄は解体に向かって走り始めたのです・・・(哀)。

一方、国鉄が消滅すれば、余剰気味の国鉄労働者はどうなるのか?

弱い立ち場のはずの国鉄労働者に対する世間の目は厳しかったです。
当時の労働組合の母体組織の総評(社会党系)までが国労を見放しました。
さらに、国鉄労働組合の第2勢力の動労(動力車労働組合)が、改革側に寝返りました!

分割民営に協力的な国鉄職員は、優先的に新会社(JR)に採用されました。
反対するもの(主に国労)は、採用されない。

こういう差別は、労働問題を仕事とするものから見れば、法的には明らかな不当なことです。
でも、国労憎し、という世間の冷たい目は、それを容認してしまいました。
自業自得ということでしょうか・・・。
早めに寝返った動労は、うまく取り入ったものです。皆、返り身の早さに感心していました。

おかげで、余剰となる国鉄職員の受け皿捜し、ということで、民間企業にまで打診がきました。
迷惑だなぁ。
私の会社は、当然受け入れませんでしたけど。

そんな大騒ぎの中、分割民営されたら長距離列車はどうなるんだろう?と私は鉄道趣味的な心配ばかりしていました(笑)。

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前置きが非常に長かったのですが、そんなわけで、長距離列車の旅に出かけました。
8月に、会社の隣の職場(人事課)の先輩に寝台特急さくら号「カルテット(4人部屋)」と「まつかぜ」の旅に誘われたのです。
私の鉄道好きは職場でも有名だったみたいで、お誘いがかかったのです。
男3人(カルテットだから、本当は4人旅のハズでした、一人欠)の鉄道旅でした。
私にとって初めての寝台車が、男と一緒だったんだ(笑)。

長崎を見物。
帰りは、「まつかぜ」で博多→新大阪という今では夢のような山陰本線の超長距離昼間特急に乗ることが出来ました。
確か、在来線昼間特急で食堂車がついていた最後の列車だったと思います。

でも、車内がスゴイ混雑で、食堂車に行けなかったのです(泣)
今でも、痛恨の想い出です。
何故か、写真もありません?