








1984年3月16日に巡礼しました。
雨の日でした。
でも、すでに清水港線は今月末で廃止が決まっています。行かない訳にはいきません。
なんでもっと早めに行っておかなかったのでしょう。
東京から近い距離にあるので、いつでも行ける、と思っていたらこのテイタラクです(笑)。
今回、大阪私鉄旅行に一緒に行った、会社の同期のA君が同行したいと言いだしました。
おまけに、彼の運転する車で清水駅まで行くことになりました。
当時から私はあまり車は好きではなかったし、迷惑な話だったなぁ、とずっと記憶していたのですが・・・。
違うのです。当時の住まい(南武線武蔵新城駅)からでは、東海道本線各駅停車では、朝の清水港線下り一番列車8:10発に間に合わなかったのです。
だから、車で連れて行ってもらうことはラッキーだったのです。
もちろん、新幹線を使う手段はありましたけど・・・。
今回の記事を書くにあたり、当時の時刻表を再確認して判明した事実です。
いやぁ、勉強になります(ポリポリ)、A君、今まで20年以上も邪魔者扱いしてごめんね。
国鉄清水港線。
旅客列車は1日1往復のみ。
あまりの本数の少なさは当時から有名でした。
だって、これ以上少ない設定は無理でしょ?
私が知る限りで、日本で一番本数の少ない路線でした。
始発が終電です。
だから、朝の一番列車を逃すことは出来ません!
でも、貨物列車の運転は盛んでした。
おまけに、この1日1本の旅客列車は、旧型客車と貨物との混合列車でした。好感触!
清水駅(写真1,2,3)。
東海道本線下りホームの名古屋よりの先端に待合室みたいなものがあり、その先の構内踏切を左に渡ると清水港線のホームです。
すでに混合列車が停まっていました。
貨物の後ろに客車が連結されています。
この駅もいい雰囲気です。
混合列車はあっという間に終着の三保駅に到着(写真4,5)。
扇状に貨物線が広がった駅構内。
すぐに、牽引してきたDDさんが、旧型客車と貨車を仕分けしていきます。
貨車がたくさん停まっていました。
専用線も延びていて、嬉しいことに現役です。
とても、うらぶれたローカル線の終着駅には見えませんでした。
貨物線としては黒字だった?
なまじ1日1往復の旅客営業のおかげで、路線ごと廃止せざるを得ないハメになってしまった、らしいです。
次のもどりの上り列車まで、すんごく時間があります(笑)。
近くの静岡鉄道を往復してきました。
正直言って、地元の東急電鉄と列車がそっくりなので、あんまり旅情が沸きません(笑)。
くやしいんですけど、自家用車というのは便利なもので、余った時間で巴川可動橋まで行って見学。
橋の真ん中の部分がそのまま上にスライドする方式です。
残念ながら、可動する瞬間は見えませんでしたが、川岸から撮影した当時の写真をスキャナー時に拡大してみると、橋の真ん中にポッカリ穴が開いていることがわかりました(写真6,7)。
三保駅16:14発の上り始発兼最終列車に乗車します。
旧型車両なので、最後部のデッキから巴川可動橋のレールを激撮!(写真8)
今、橋が動いたら大変です(笑)。
とにかく、貨物があふれた楽しいローカル線でした。
貨物営業だけでも残せなかったでしょうか、残念です。
予定通り、この月末にアッサリと廃止されました。
廃止後、巴川の可動橋も撤去されてしまったらしいです。
清水駅のホームはしばらく残っていましたが、再開発で消滅しました。
後ろに見える道路高架橋は今も変わりません。
清水駅の貨物ヤードも縮小を続け、今では跡地の一部は観光用の魚市場です(ここはあまり安くないよ)。
もっとも、貨物営業を頼って第3セクターなんかにしていたら、悲劇的結果になっていたかもしれません。
だって、通学バス2台分くらいの需要しかないのですから。
おかげで、1日1本清水港線!の栄光の伝説は、他に類を見ない日本一の路線として、いつまでも語り継がれているのです?。