1986年8月19日、北陸大巡礼の時に訪れました。
富山駅5:57→岩瀬浜駅6:15
当時、終点岩瀬浜駅のすぐ先には、道路を隔てて細長い空地がありました。
富山港線のレールは、その空地につながっていました。
途中に踏切があったと思いますが、そこは撤去済みでした。
レールは、左側に曲がって途絶えていましたが、その先には港が見えていました。
昔は立派な貨物駅があったのでしょう。
2004年8月、ライトレール化(要するに廃止ですね)の話もあり、久々に再訪しました。
相変わらず、駅間は短いです。
富山駅の富山港線ホームの位置が、北陸本線側にズレていました。
終点岩瀬浜駅のレールはさらに整理されてしまっており、悲しいことに、空地のレールも撤去済みでした。(空地の港側は道路になっていました)
ここで、富山港線のヒ・ミ・ツ
富山港線は立派な貨物線でもありました。
北陸本線の貨物ターミナルから富山港貨物駅までのびる貨物線があり、これは富山港線をクロスしていましたが、一部区間、両線は共用していました。
蓮町駅で両線は合流、富山港線ひと駅区間を利用して、大広田駅で貨物線は左側に分かれ、富山港貨物駅に至っていました。
沿線にも貨物専用線は多数あったみたいです。
立派な路線だったのですね。
線路巡礼の記事は、巡礼の順番に時代を追って書くつもりでしたが、やっぱり旬?の駅は旬のうちに書かないと(笑)
もし、これから巡礼される方がいらしゃいましたら、電車の写真撮影だけではなく、往時の貨物線の跡も偲んであげて下さい。喜びますよ(?)。
ライトレール化という名前の廃止の時期が迫っています。
第三セクターとどこが違うんでしょう?
ちゃんと車両も新造しています。名鉄岐阜市内線の電車でも安く譲ってもらえばいいのに。
工事休業(バス代行)が2か月もあるんです。
それだけ需要が少なくて、且つ、工事にお金がかかるわけですね。
金のかかるライトレールなんて聞いたことありません。
隣県の「のと鉄道」の哀れな末路を見て、何も学ばなかったのでしょうか?。
もっとイヤなのは、廃止の興業に芸能人を呼んでいるみたいです。
栄光の国鉄富山港線にふさわしい最後を迎えさせてあげたいです。
最後に、路面電車区間を新設するのはいいですけど、富山駅とのレールはつないでおいて欲しいです。
お願いします。
写真1、2、3:1986年の岩瀬浜駅。
写真4:2004年の大広田駅。左に分岐する旧富山港貨物線跡が非常に分かりやすいです(笑)。
写真5:2004年の岩瀬浜駅。86年と違いが分かります?