老人の涙 vol. 3
つづき
「久しぶり。」
僕は言った。
「よう来たね、早う上がり・・」
祖母は言った。
しりとりをしているかの如く、会話一言一言に間がある。
その間に聞こえるのは、遠くに居る曇った蝉の声と冷蔵庫が稼働する音だけ。
外の男の子にもう一度アニメの台詞でも叫んでもらいたかった。
玄関には靴がひとつ、エナメルのパンプスが置かれてあったが、
その周りにある、どこからか上がりこんできた小石のほうに目が行った。
匂いといえば仏壇が置かれた部屋から流れてくる線香と、桐ダンスに仕舞われた
除虫剤の香りくらいだった。
靴を脱いで部屋に上がり、一歩目を左に曲がる。
ジャラジャラと木製の数珠暖簾をくぐり、
辛うじて食事を作る場所(台所と呼べない狭さだ)を右へ曲がり、天井に頭をぶつけないように
居間に入った。
祖母が小さかった。
間は僕等のヴォキャブラリーをゆっくりと殺し、
重い空気を運ぶ。
腰を下ろすと幾つか懐かしいオブジェが見えたが、
特に感に耐えることがなかったので、静かにしていた。
朱色の絨毯は僕でさえお尻が痛い。
砂壁の角にある電源コードに積もった黒い埃が痛々しかった。
テレビ画面と、その上に置かれた造花にも埃が乗っていた。
祖母が奥へ行き、暫くして、冷えきった果物の画が描かれた缶ジュースを持ってきた。
飲まないからどうぞ。と差し出されたが、賞味期限を見て、喉渇いてないから大丈夫だよ。と言った。
祖母が飲もうとすると止めた。
沈黙の後、ゆっくりとお盆に未だ開いていない缶ジュースを二本乗せ、微動しながら奥へと消えていった。
背中の反対側が見たかった。
どんな顔をしているのだろう。と思った。
何を考えているのだろうと思った。
背中しか見えなかった。
彩度の低いカーディガンが小さかった。
家具の隙間からゴソゴソと何かを探している祖母の風景が見えたが
5分ばかりそうっとしておいた。
若い頃、夫を亡くした祖母にとって、女一人で5人の子供を育てたという孤高のプライドを
傷つけられるのが最も嫌いなのだ。
そんなことから僕は何も手伝うことをしなかった。
さらに五分経って、ケーキや板チョコを持った祖母が再びこちらへやってきた。
祖母は僕の側にゆっくり座って言った。
もうね、足腰も痛くてね、手なんて上がらんのよ。
だんだん目が見えんくなってきてね、あんたが誰かさえも分からんくなってきたんよ。
アサガオ柄のスカーフに包まれた菓子が震えながら近づいてくると、なんだか泣けた。
どうにでもなれ。と、僕がショートケーキを頬張ると
うれしそうにした。
しわの間から目が現れたり消えたりして笑っていた。
時折部屋の中に入る風で、家にひとつしかない小さな小さな窓にかかったレースが
ちらりと上がっては落ち、
ちらりと上がっては落ちた。
90にもなるとね、そのうちね、誰かに体洗ってもらったり
誰かに食べさせてもらったり、誰かにトイレ連れて行ってもらったり、って
厄介で邪魔な動物になるんよ。
日々自信を失くしてね、遠出もできなくてね、ここで昼間からうつらうつらと
何かしら考えて過ごすんよ。
毎日毎日毎日が何十年。
動けないからね、誰かが来ないとね、目に映る景色が変わらんのよ。
逸らしていた視線を祖母の顔にやると左右に微動しながら
泣いていた。が、その眼力は強く、90の人間から流れる涙は
しわ山のせいか顎に達するまで時間を要した。
それはとても美しかった。
ただ、僕は彼女のうしろにある化粧台の上に
今朝化粧した痕跡があるのを見てとても泣いた。
おわり。
3年前の自分の日記より。
「久しぶり。」
僕は言った。
「よう来たね、早う上がり・・」
祖母は言った。
しりとりをしているかの如く、会話一言一言に間がある。
その間に聞こえるのは、遠くに居る曇った蝉の声と冷蔵庫が稼働する音だけ。
外の男の子にもう一度アニメの台詞でも叫んでもらいたかった。
玄関には靴がひとつ、エナメルのパンプスが置かれてあったが、
その周りにある、どこからか上がりこんできた小石のほうに目が行った。
匂いといえば仏壇が置かれた部屋から流れてくる線香と、桐ダンスに仕舞われた
除虫剤の香りくらいだった。
靴を脱いで部屋に上がり、一歩目を左に曲がる。
ジャラジャラと木製の数珠暖簾をくぐり、
辛うじて食事を作る場所(台所と呼べない狭さだ)を右へ曲がり、天井に頭をぶつけないように
居間に入った。
祖母が小さかった。
間は僕等のヴォキャブラリーをゆっくりと殺し、
重い空気を運ぶ。
腰を下ろすと幾つか懐かしいオブジェが見えたが、
特に感に耐えることがなかったので、静かにしていた。
朱色の絨毯は僕でさえお尻が痛い。
砂壁の角にある電源コードに積もった黒い埃が痛々しかった。
テレビ画面と、その上に置かれた造花にも埃が乗っていた。
祖母が奥へ行き、暫くして、冷えきった果物の画が描かれた缶ジュースを持ってきた。
飲まないからどうぞ。と差し出されたが、賞味期限を見て、喉渇いてないから大丈夫だよ。と言った。
祖母が飲もうとすると止めた。
沈黙の後、ゆっくりとお盆に未だ開いていない缶ジュースを二本乗せ、微動しながら奥へと消えていった。
背中の反対側が見たかった。
どんな顔をしているのだろう。と思った。
何を考えているのだろうと思った。
背中しか見えなかった。
彩度の低いカーディガンが小さかった。
家具の隙間からゴソゴソと何かを探している祖母の風景が見えたが
5分ばかりそうっとしておいた。
若い頃、夫を亡くした祖母にとって、女一人で5人の子供を育てたという孤高のプライドを
傷つけられるのが最も嫌いなのだ。
そんなことから僕は何も手伝うことをしなかった。
さらに五分経って、ケーキや板チョコを持った祖母が再びこちらへやってきた。
祖母は僕の側にゆっくり座って言った。
もうね、足腰も痛くてね、手なんて上がらんのよ。
だんだん目が見えんくなってきてね、あんたが誰かさえも分からんくなってきたんよ。
アサガオ柄のスカーフに包まれた菓子が震えながら近づいてくると、なんだか泣けた。
どうにでもなれ。と、僕がショートケーキを頬張ると
うれしそうにした。
しわの間から目が現れたり消えたりして笑っていた。
時折部屋の中に入る風で、家にひとつしかない小さな小さな窓にかかったレースが
ちらりと上がっては落ち、
ちらりと上がっては落ちた。
90にもなるとね、そのうちね、誰かに体洗ってもらったり
誰かに食べさせてもらったり、誰かにトイレ連れて行ってもらったり、って
厄介で邪魔な動物になるんよ。
日々自信を失くしてね、遠出もできなくてね、ここで昼間からうつらうつらと
何かしら考えて過ごすんよ。
毎日毎日毎日が何十年。
動けないからね、誰かが来ないとね、目に映る景色が変わらんのよ。
逸らしていた視線を祖母の顔にやると左右に微動しながら
泣いていた。が、その眼力は強く、90の人間から流れる涙は
しわ山のせいか顎に達するまで時間を要した。
それはとても美しかった。
ただ、僕は彼女のうしろにある化粧台の上に
今朝化粧した痕跡があるのを見てとても泣いた。
おわり。
3年前の自分の日記より。
老人の涙 vol. 2
つづき
幼少の頃はよく大人に連れられてここへ来たものだ。
僕にとっては一番夏を感じられる場所だった。
階段を3回ほど折り返したところに踊場がある。
そこに設けられた窓奥を覗くと、
プラスチックでできた円筒形の虫かごを持った子達が3人走っていて、
一番後ろに走っている子供が何やらアニメのセリフらしきものを大声で叫んでいた。
木々は蝉で満席だった。
祖母の家のドアは鉄で製されている。
色は水色だ。
厚くパテ工しすぎたせいか、触るとムラ部分がよくわかる。いくら色でカモフラージュしても、やはり鉄の冷たさは変わらないのであった。
そのドアのノブを見下げている自分に少し戸惑いを感じた。「ノブは見上げるもの」という行為が普通だった為、見下げたときに映る歪んだ顔に慣れていなかったのだ。
そんな中、僕は間もなくベルを鳴らす。
倉庫のような冷たい鉄の扉の奥から、「はい」という静かな音がしたので扉を開けた。
祖母は玄関には降りておらず、平行を保った床で少し震えながら箪笥に掴まっていた。
vo.3へ
つづく
幼少の頃はよく大人に連れられてここへ来たものだ。
僕にとっては一番夏を感じられる場所だった。
階段を3回ほど折り返したところに踊場がある。
そこに設けられた窓奥を覗くと、
プラスチックでできた円筒形の虫かごを持った子達が3人走っていて、
一番後ろに走っている子供が何やらアニメのセリフらしきものを大声で叫んでいた。
木々は蝉で満席だった。
祖母の家のドアは鉄で製されている。
色は水色だ。
厚くパテ工しすぎたせいか、触るとムラ部分がよくわかる。いくら色でカモフラージュしても、やはり鉄の冷たさは変わらないのであった。
そのドアのノブを見下げている自分に少し戸惑いを感じた。「ノブは見上げるもの」という行為が普通だった為、見下げたときに映る歪んだ顔に慣れていなかったのだ。
そんな中、僕は間もなくベルを鳴らす。
倉庫のような冷たい鉄の扉の奥から、「はい」という静かな音がしたので扉を開けた。
祖母は玄関には降りておらず、平行を保った床で少し震えながら箪笥に掴まっていた。
vo.3へ
つづく
老人の涙 vol. 1
一昨年の夏、約5年ぶりに実家へ帰った。
久々の帰郷。
それまで家族との仲が悪いというわけではなく、
ただ何となく帰る費用と時間を億劫に作らなかったのだ。
暑い日だった。
空港を出ると、幹線道路の脇では車と蝉の音合戦が続いていて、
その音が気温に加味され、僕は滅入っていた。
バス停までの歪んだ道を歩いた。
どんな美人が通りすがっても振り返れなかった。
それ程の気力を持していなかった。
バスに乗ると、車内床の匂いが懐かしかった。
古臭い教室の匂いである。
妙なバネのついた椅子に座り、僕は実家に向かう前に、祖母の家に向かった。
祖母は市内中心の安アパートに50年以上住んでいる。
四畳半2つ、汲み取り式便所、風呂なしのアパートだ。
まさに妖怪屋敷のような住屋である。
何棟かあるうちの一番奥に向かって、遊具と呼べないような遊具を横目にしながら
「何故僕は祖母に会いに行っているのだろう」と疑問に思いながら歩いた。
祖母とは仲がよかったが、愛情が浮かぶほどまではなかった。
そんなぬるい感情の中で、自分という人間が毎度嫌になっていた。
きっと親もそうなんだな。と無駄なことも考えた。
一人でココへ来たのは、今回が初めてだった。
四階までの階段は相変わらず老人にとって優しくないバリバリに割れた
セメントでできていて、肌寒い。外の気温と5度も違った。
vol.2へ
つづく
文章で想像。 ひとりひとりの想像給食
窓から風が入ってくる。
どこからともなく懐かしき給食の匂いが入ってきた。
あの日、三時間目が半ばに差し掛かったころ
どれだけお腹の音を鳴らしただろう。
四時間目の終わりのチャイムをどれだけ待ち望んだだろう。
教室の窓に漂ってくる、ドロっと赤く、一口目がたまらない、大豆入りビーフシチュー。
少し冷めかかっていても許される!、具の多さによだれが出そうになるピラフ…等等。
小学、中学の給食があまりにも懐かしい。
給食の強みを考えていたら、あの匂いが印象に残る。
あれだけ大人数の食事を一気に作るのだから
とてつもなく巨大な匂いが出る。
しかも料理が美味いから、匂いも尚美味い。
「もし」40億人分くらいの飯を同時刻、同料理を一斉に作ったら
地球はその飯の匂いに包まれるんだろうな。
犬とか狂いそうだよね。。。
さて、
帰りに揚げパンを買って帰ることにする。
晩飯はビーフシチューにしようかな。
どこからともなく懐かしき給食の匂いが入ってきた。
あの日、三時間目が半ばに差し掛かったころ
どれだけお腹の音を鳴らしただろう。
四時間目の終わりのチャイムをどれだけ待ち望んだだろう。
教室の窓に漂ってくる、ドロっと赤く、一口目がたまらない、大豆入りビーフシチュー。
少し冷めかかっていても許される!、具の多さによだれが出そうになるピラフ…等等。
小学、中学の給食があまりにも懐かしい。
給食の強みを考えていたら、あの匂いが印象に残る。
あれだけ大人数の食事を一気に作るのだから
とてつもなく巨大な匂いが出る。
しかも料理が美味いから、匂いも尚美味い。
「もし」40億人分くらいの飯を同時刻、同料理を一斉に作ったら
地球はその飯の匂いに包まれるんだろうな。
犬とか狂いそうだよね。。。
さて、
帰りに揚げパンを買って帰ることにする。
晩飯はビーフシチューにしようかな。