電化製品は発達してる

エアコンからトイレから
家の中でいろんなものが
しゃべる!

しゃべらなくても
ピピッとか ピーっという。

寒い日本の家で
いろんなコンセントが必要で
コードが這っていることにふと気づく。


電気カーペット
あったかい!
オイルヒーター
あったかい!
乾燥するから加湿器要るなぁ、、

ちいさなお部屋でどれだけの電化製品と
そしてそれについてる尻尾(コード)の数だろう。

そして、ぜんぶつけたら
バチっ!
ブレーカー落ちるう〜(笑)!

とかね、例えば(笑)。

コンセントのコードに溜まったホコリ、、
わたしはなぜか
この発達した喋ったり、タイマーがついてたり
自動でなんでもできる電化製品たちの
立派そうな表の姿と、ちょっとした裏のホコリの「さま」の狭間にある
ギャップ?に寂しさを感じることに気づく。。
(へんですかね(笑)!?へんでもいいのですが(笑)。)

その微妙なせつなさが来るのは
「美しさの世界において」 という感じかな。


同じホコリが溜まったとしても
漆喰の壁、タイルや木の床、
暖炉の隅に溜まったホコリ。
もしくは薪ストーブの上に置いてあるヤカン。
蒸気はやかんから出てる。
そしてそのストーブの脇に落ちた灰、、。

そこに
なぜだか美しさを感じる。
あたたかさも。




そこを囲みたいという感覚。
人が何も喋らずとも
そこに集い、好きなことをする。
本を読む、お茶を飲む、うたた寝する、、
たとえスマホでも(笑)火を囲むって幸せ。
本物の火の温かみは最高ですよね。

じーっと火を見つめてるだけで
インスピレーションが湧いたりすることも。



ネットで見つけた画像だけど
とにかく
かわいいなぁ。うつくしいなぁ。と思う。



これを娘は見て、
シュタイナーのようちえんみたい、と。

シュタイナー的なセンス、感じますね。





遠赤外線のなんとかヒーターとか
いろいろありますけど
じーっと見つめられるものでもないし
自由に揺らぐ、火の
あの美しさはかなわない。

そしてそこにコンセントとコードはない。

癒しであり
人と人がつながる場所。

それは
おしゃべり電化製品ちゃんと
つながるとか 違和感、、、
囲んでみんなでほっこりしてたら、なんか
ある意味すごいな。(笑)


良いとか、ダメとかって言ってるんではなく
魂がしっくりくる感覚についてなのです。

好きな感覚。
好きな美しさ。

ハイテクの全自動の電化製品が
すっごい好きな人がいて
コードに溜まるゴミとかもすっごい掃除してて
ちょー綺麗!それが快感!という人もきっといる!


ただ
人として
火と対話し
火と接する
ということ。

今日もありがとう、と声をかけて
火を消すとか
普通はつけっぱなしで床に入るだろうけど
静かに消えていく火に
おやすみって挨拶する感覚とか
気持ちを向けるというか
火に対しての心遣いというか。



そこに起こる「氣」のようなもの
そこに美しさがありませんか。

そのホコリがとかコードがとか
そのモノたち自体なのではなく
その間に起きている
氣が、違う。
美しさはそこに起きていて
ひとは感じるもの。

つまり
エネルギーの流れ。質。


電気で自動は楽なのわかる!
灰も散らばらないし
忙しい生活に薪はとても大変と感じる時がある。
現代社会で子育てして、、忙しくて
できない!って。

それもわかる。。
私も離婚してヘトヘトだった時、
灰の掃除とかなく、全自動で動くものや
改装しなくていい家とか、
すっごく助けてもらって、すごくわかる。
だから、電気にもピッてリモコンひとつで動く
製品にもありがとう、と思う。

でも
もしかしたら薪をくべるその動きとか
火を見つめてるうちに
癒しも起きたりするかもしれないね。


犬にとっても癒しの空間。


何がいいか、というのは
わからないし一概には言えないものです。
いい悪いという世界をたどると
よくわからなくなる。
どんなものにも両面がある世界だから。


それでは
もし次の
進んだ5次元的な世界なら、、をイメージする。

フリーエネルギーかな。

そこにはコードもなく
電線もないだろうな、
シンプルな
宇宙の原理を使ったエネルギー。

ひとが集い、ほっこりするというのも
叶うような

フリーエネルギーなら
エネルギーを奪い合う戦争のような感覚は
起こらないだろう。

・・・・

どんなだろう。
美しい暖かな世界、きっとある。と
想像する。
妄想する。。。

どんな世界で
どんな気持ちで過ごしたいか、、
そういうのを感じて考えるって
よいかもしれない。

炎を眺めながら。。。