今日は、大麻について
私の考えを少し記しておこうと思います。
麻を広める人たちの一人として
私もこの考えを語らざるわけにはいかないと感じたからです。

ネガティブな部分にあまり触れない方がいいのかもと
「大麻を吸う」ことについては
お話会で触れることがあっても
ネット上では書かないでいましたが
最近、大麻で逮捕される方がいて
しかも麻の良さを知ってもらって、
がんばって広めようと活動していた人などまでも、、、
私にとってもショッキングではあり、
やはり書きたくなった。

私が純粋に麻素材のウェアを作り続けてるのに
喫煙のことなど考えを言わなくていいと思ったし
ふみこんだ話や重い話など、しないほうがいいと思ってきた。

ただ、はっきり今は自分の中での考えがあるので
もう伝えてよいと思って、記しておきます。

さて、
麻と出会ったのは15年前(早い。。汗)。
ルナティカナパのウェアを始めて10年以上経って

「大麻の喫煙がいいのか悪いのか?」について
考えも変化がありました。
どう捉えたらよいか、最初は分からず
良いものなら「合法であるべき」と思いたかった。という自分がいたこともあります。

麻のことを「実は良いものだ」と知った後に
誰でもこの問題は一度は考えるのではないでしょうか。
「良い」と訴える人は
何かと良い部分しかお伝えしないですし
悪い部分は控えめに言います。
むしろ、悪い部分を認めたくないと思うのが人間の心の傾向ですし
いかに良いかを立証しようとするわけです。

ただ、気を付けたいのは
良い、悪いということだけで考えるのが難しいということです。

いろいろな人と出会い
観察してきて
学びもあって
以下のような考えに、今は落ち着きました。


大麻は神道とも繋がっている神聖な植物だといいます。
私もそう思っています。
神聖なもの。。
神社でも奉られているもので、
神道の儀式にも、欠かせないものなのです。

そうなんです。神聖なものほど
取り扱い注意なものってないのですよ。
ある程度の心というか、それなりの意識が要る。

例えば神聖な領域に
普通の人間の意識で、そこに住むのは難しいことですし
多分かみさまに追い出されるか
何かしらのコトが起きるか
とにかく神聖な神の場所に住んではいられない。

「神社には住みたくないな」と
どの人でも理由なく「感じる」何かがあるのと一緒です。

大麻はそこまでの神聖さがあるかというと
役割は違うと感じていて
もっと生活にも取り入れられる身近なものではあります。

ただし、この薬理成分によって
人によってはとても魅力的なものに感じている。
アドレナリンが出ると言われているくらいなので
吸うことにワクワクする人は多いでしょう。

アドレナリンが出る=「良い」のか?

そんなことではないと思います。
目先の良い悪いだけでの判断はどうかな、と思うのです。

医療大麻として有効なことがあるという話は
とりあえずここでは別にしておきます。

さて、
神聖であるなら
自分自身も神聖な意識レベルは必要。
その上で、ようやく扱い方が分かるものだと思います。

大麻は、意識レベルを上げることや
五感やさらには第六感、スピリットを開くことができるような
そういうことも聴きますが

私はそうは思っていません。
その近い感覚を感じて、参考になるかもしれませんが。。。

真実の感覚そのものではないのです。
たとえ近いものを感じていても
生きるのは「今」という現実であるし
どこにも逃げられない。
吸った状態で生きるのでは、今の自分から逃げてしまうことになる。

自分の真実の部分を開きたいと思うならば
自分の人生の現実を生きるならば
何も使わないで、できるのが一番です。

瞑想もひとつの方法です。
なので、吸わなくても他に方法がある。


自分が自分らしく生きることは
混乱の時にはより一層、
本当にどこかへ持っていかれそうになるし
そんな時にも自分を見失わないためには
ひとつは瞑想。
もちろん何かを使わずに。
そして、その感覚で「今の現実」の中に
人間として生きること。

結局、自分の中心にしかないのだし
それは「自己中」というエゴではなくて
神様とつながった部分。
魂の源というか、神様(といわれているおおきなもの)と
繋がってる部分。
子宮と赤ちゃんがへその緒で繋がってるみたいに。。。
ほんとは自分だけじゃなくて
かみさまとも繋がってる。
ひとりだけどひとりじゃない、おおきな安心感の中にいる。

でも、、それ
大麻が救ってくれるんでしょうか?
やはり、そうではないです。
大麻を使って
似たようなところは感じられても
やはり、真にはコネクトできない。

それが
自然の摂理だと思っています。
(と、今の私は信じています。正しいかどうかは知りません。)

すでにコネクトできる人は
たとえ吸っても大丈夫のはずです。
あまり吸ったことによる効果がないかもしれませんが。

それは、吸わないで感覚を開いた方が
断然ここちのよい世界だということを
知っているから。
自然と必要ないと感じるのです。。

どうしても
大麻の話はスピリチャルな感じの話になりやすいですが
けっして私は何かにハマってるのではないし
もちろん大麻については
吸うことに、全く興味がないです。
なぜなら、必要じゃないと思っているからです(笑)。

神社は好き〜というくらいで
特定の宗教とかもありません。

ただ私の命があり
共鳴し、共にいる家族、友人がいて
生きている。
生命を使わせていただいている。。

スピリチャルの世界が好きな人は多いと思いますが
「◯◯をすれば、いい」
という話になると
もうそれだけしてれば、大丈夫。みたいに
ただ安心を人間は求めるから、そう思いたくなりますが

同じ物であっても扱う意識によって、大きく変わる、、と

私は思っています。

流れているエネルギーがあって
その中に自分がどう行動するか?ということで
そのポイントだけを取り上げて
ポイントだけに何かをして、解決しようとすると
足元を救われます。

偉そうに書いてるみたいですが、、(笑)
むしろ、自分にとって
「現実を生きる」ということをいつも問われるからであって
今はこれが私の生きてる時のテーマかなと、、。

だんだん抽象的で分かりにくいかもしれないですが、

いずれにしても

大麻がいいから「する」
わるいから「しない」、という話ではなくて
真実を体験しながら生きるのに
対して本当の助けとはならない、ということ。。

吸って暮らしたいと思うか
吸わずに暮らしたいと思うか

ただポイントはそれだけではないか、と。
それだけで、気持ちも行動も決められると思います。

私の場合はただ
全然必要なくて、したいとも思わず
気持ちが向かない。
だからしない。要らない。

でも、大麻という植物を「ウェアとして着る」のは
本当にここちいいし、
やめられない。。(これは一種の依存?笑)

いろんな人に着て、まずは感じてもらえたらいいなって
思っているからルナティカナパをしている。



補足ですが、強い薬理成分は
品種改良されたり、もともとの繊維に使われたり
日本にあった品種とは別のものです。

だから、
日本古来の感覚を取り戻すために
麻が必要であれば
それは、薬理成分の強いマリファナなど要らない。
というのが、今の私の考え。

古来からあった
普通に人々の生活にあった「麻」。
それは、どういうものか
どういう感覚なのか本当には知りませんが
ほんのりはあったと聴いています。

それくらいの量で充分ではないでしょうか〜?

男の人は
強い刺激や高揚感を求めたがる傾向が
女性よりも強いのだろうと、感じていますので(偏見でしょうか、、?)
男女間の違いはしかたないと思いますが

ただ
女性性が男性の中にも目覚め始めてくると
「ま、いいか。強い刺激なんて〜。」と特に興味も執着もなくなり
「そんなことより、だいじなことあるし♪」
と勝手に放っておいても、変化してくるものだと思います。
生きるためにチューニングするところは
麻ではないと思います。

麻を吸う人を批判するのではしたいのではないですが、、
麻が広まるようにと願いつつも、
私が麻の解放を
ただちに求めてはいない、というのが正直なところです。
どんなに良いものであっても、「時」があると感じるからです。

本当によい意味で麻が
人類のために再び戻ってきて欲しいと願うなら
まずは、大麻の喫煙に対する執着から解放され

それがなくても
自分を生きれるという感覚で人々が
ある種の自立を通らずには
麻の真の解放と平和は訪れないだろうな、と
私の感覚ではそう感じて、思っていることです。

どのくらいの方がこれに共感してくださるのか
わかりませんが

本当の麻の世界(麻と共にある暮らし)が
またやってくるのを
私は心より願ってやみません。


Keiko