7月、映画を友人と見に行った際のこと。

久しぶりの映画館で図らずも予告編をたくさん視聴することになり。


映画館の大スクリーンに大音量。

最近またHSP気味が強い私はひたすら音楽も台詞も、くどいなぁ、うるさいなぁ、と軽く疲労感を覚え始めていたところ←偏屈オヤジ、お目当ての宮崎駿さん『君たちはどう生きるか』本編が始まってホッとしたのでした。

この安心感?というか、ちょうどいい感覚。

コレはどこからきてるのかな、音楽が久石譲さんだからもある?しかし流石だな、なんて漠然と思っていました。



最近のドキュメンタリー番組その他のナレーションやドラマの無駄に声をはる演技が苦手なのです。

NHKのドキュメンタリー番組のナレーションすら、あのべたべたした過剰な表現に食傷気味。

アニメの声優さんたちも心底芸達者だなあ、うまいなあとは思うけれど。実写映画やナレーションではもうちょっと控えめだとうれしい。

宮崎駿さんの映画は声優さんじゃなくて俳優さんが演じていたからか、なんか味つけの濃さがちょうどよく感じて非常に快適に観られました。

年取ると薄味好みになるんですかね。



映画の本編の解釈には立ち入りませんが、内容の難解さも含めて何ひとつ阿ってなくて作り手がやりたいように自然に表現している。

過剰に親切になると受け手のアンテナの感度が鈍麻して、どんどん味付けのくどいほうに走るのかな。

あとは受け手で解釈してくれって、その潔さが何か快感でした。

最後に宮崎監督からいろいろな意味でバトンを投げられたような気がして、それこそコレからの自分の人生をどう生きるのか。

重い宿題です。



先月Eテレで放送されていた、久石譲さんとテリー・ライリーさんのswitch対談の話ですがエピソード2において久石さんが興味深い話をされていました。


対象との距離感の話。

正確な言い回しはうろ覚えですが、あんまり映像の状況をいちいち解説しすぎるような映画音楽はよくない、だから最近の映画音楽ダメでしょ的な発言があって、あ、それだ!と。

私自身、映画はあまり詳しくないけどそういえば自分の好きな映画音楽って古いのばかり。

聴講している音大の映画音楽論の講義も面白そうだったけど、題材がディズニーということでアニメーションだったのでちょっと今期は聴講をやめておきました。


人間関係においての距離感も大事にされているようで、宮崎駿さんと久石譲さんはあれだけの信頼関係がありながらプライベートでおふたりだけで呑みに行ったり、食事に行ったりしたことがないのだとか。


私自身けして人嫌いではないものの、超人見知りなので気を許せる相手になら大丈夫だけど慣れてない相手だと無駄に気を遣って後で寝込むくらいしんどくなることもあり。

全く押してくれないと基本猛烈に受け身なので話が進まないから押しの強いひとはありがたいのだけど。

かといってあまりに押しが強すぎてこちらのペースお構いなしにグイグイくる人とか声高にズカズカ踏み込んでくる無神経な人は男女問わずちょっと苦手かなぁ、、、。

ペース乱されてしんどくなるよりは、ってソロ活動になってもまあまあ平気なほう。

数年前までは離小島やら深山幽谷に住まう仙人志願でした😅


昔から無用につるむのは鬱陶しくて苦手な人だけど、友達だけじゃなく仕事上のお付き合いの食事会や打ち上げとかもマメに参加します。けして人嫌いではないのです。


ともあれ人間関係も絶対なる信頼の上で、距離感がうまくはかられると円満に長続きするんだな、と。

その適切な絶対的な距離の遠近っていうのは、組み合わせにもよるのでしょうが。


それで、絶妙だなーと常日頃見上げているface to aceのおふたりのことをふと思い出したのでした。

いちにちも長く見上げていたいなあとも思いつつ。


ぜ。