今朝は朝ドラブギウギの最終回を見て、久しぶりに涙してしまった。
ドラマを見て涙するなんてすごく久しぶり。

長いドラマは割と最後の方は回想シーンがやたら多かったり、なんだか悲しげな気持ちになるものが多いが、ブギウギはシッポまでアンコたっぷりのたい焼きのように最後の最後まで、内容がギュッとつまったドラマだった。

まさしく趣里さんの魅力の虜になった半年だった。
初めてその存在を知ったのは菅田将暉さんとの映画の予告編で、その時は病み系の女性をダークに演じていたのでなんか恐かった思い出がある。

ところがプロとはすごいもので、今回は全くの別人のよう。明るく楽しい娘→母→オバチャンを演じきっていたし、歌もどんどんうまくなったし、お笑い出身!?と思ってしまうほどの見事な大阪弁と間でコメディエンヌぶりを発揮していたし、その熱演に拍手喝采を送りたい。趣里さんを産んで育ててくれた水谷夫妻、ブラボー!そして、ありがとう!



さて、何かと楽しませてもらったブギウギだが、最後に考えたのは「引き際の美学」だ。

スズ子の場合は「晩節を汚さず」の決断を自ら行った。ドラマを見ていて、浅田真央ちゃんがバンクーバーの雪辱を果たすべく望んだソチオリンピック後に引退を決めたのを思い出した。怪我をしたわけでもないし、不祥事があったわけでもなく、自分の引き際を自分で決めることは目標に向かってがむしゃらに努力する以上の困難な事柄だと思う。去年の大河ドラマで天下統一を果たした織田信長もなんか苦しんでいたが同様の境地かもしれない。

フィギュアで言えば浅田真央ちゃんの対極にあるような現役競技生活を送ったのが村主章枝さん。AKBでずっと頑張っていた柏木由紀さんもそう。もちろんいつか引退する日は来るし、簡単なことではないのだが、できる限り長く、同じステージにとどまるという美学もまた、人生100年といわれる現在あってもよいのだと思う。どちらを選ぶかはその人の哲学の問題であり、どちらであっても素晴らしいことは言うまでもないだろう。

先日自民党の二階元幹事長が政治家引退について問われ、「定年があるのか!お前だって年をとるんだ!」と答えたことがあったようだ。二階幹事長のように齢80をとうに過ぎても第一線で活躍し、なぜそれができるかというと政治家として彼に投票する国民がたくさんいるのだから、まあそんなことを言われる筋合いはないというのももっともだ。二階氏は強い立場だから何を言ってもいいという風に思っていたら、それはやはりエイジハラスメントと言わざるを得ないだろう。ダメなことがすれば非難する必要があるが、高齢であることのみを理由にしたこのような言い方はただでさえ老いによる衰えに落胆しつつも向き合っている人の心を踏みにじる。

ドラマのスズ子のように、今やセクハラ騒動で活動休止中のダウンタウンのマッチャンも、マツコさんも引き際についてのトークをしていたことを思い出す。

そんなわけで、勝手な深読みだが、ブギウギは最後に、「引き際とはどうあるべきか、それぞれがそれぞれに考えてみよう」という問いを投げかけて終わったような気もしている。ちりとてちん以来の良いドラマだった。