昭和に生まれ、人格および価値観形成の時期を昭和に過ごした私だが、令和の時代はかなり性に合っている。
私はむしろ今まで生きてこられたのが不思議なくらい、人間関係や社会に適応するのが大変な思春期を過ごしたように思う。
みな多かれ少なかれそうなのかもしれないけれど。

「コンプライアンス?ポリティカルコレクトネス?そこまでする必要ある?」と思わなくもないが、まあそのおかげで生きづらさが解消されている人が少なくないことは否めない。

そんな中、今期注目しているドラマが2作品ある。

 

①「不適切にもほどがある」と②「おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!」だ。
 

①に関してはタイムトラベルの行き先が、まさしく私の青春時代ど真ん中なので、ビデオの録画の標準vs3倍問題とか、セーラーズの服の色合いとか、「毎度おさわがせします」(興味はあったが見たことはない)とか、記憶の底に沈んでいたノスタルジーが絶妙に刺激される上に、あらゆる場所で煙草を吸う教師、体罰、暴言など当たり前の学校現場に諸行無常を覚え、一度宿題を忘れただけなのに耳がキーンというほど竹刀で頭を叩いた今なお許せない暴力教師への呪いを滾らせたりするのである。あの教師、何とかして復讐してやりたい。まだ生きているのか?死んだとしたらきっと地獄に行ったに違いない。真面目な私が被害を受けたのはその一回だけだが、ちょっと不良気味の生徒たちは人格の健全発達に大いに影響するほどひどい目にあったようだ。あんな男がのうのうと教師面をしていたなんて、懲戒免職を請求したい。

はっ、ついつい私怨に走ってしまい、申し訳ない。それにしてもひどい教師がいっぱいいたものだ。めっちゃいい先生なんていたような、いなかったような。。。でも、めっちゃいい先生じゃないとしても、普通ならそれでよい。あの暴力教師は年齢的に死んでいそうだから、親も教師も、教育の名のもとに子供の身体や精神に傷を残すようなことを許してはいけないと閻魔様に厳しく説教をお願いしたい。

理不尽つながりで、これも思い出すと非常にざわざわするのだが、小学校高学年の頃、日本放送の三宅裕司さんのラジオに葉書を出したところ、島田紳助氏の新番組のクイズコーナーに参加しませんかと声がかかり、5000円くれるというから出ることになった。ただ、当日「なんでそんなものに出るんだ!」と親にしかられ、テンション低くクイズに音声参加したところ、5000円分の盛り上がりがなかったということか、待てど暮せど5000円は来なかった。小学生にとって5000円は大金だ。しかも親に叱られ嫌な思いをしてまで参加したのに、納得できない私は「お金をください。約束を破った罪で訴えますよ。」というような涙ぐましい葉書を送り、無視された。なんたる理不尽。大人が子供をだましていいのか!先日放送業界についての記事で私が書きたかったせこい恨みとはこのことだ。せこい。たしかにせこいが、子供をだましていいのか!あれ以来私の大人不信はバージョンアップした。悪徳放送業者め!そういう誠意のなさが、今なお問題を生み出し、時に人の命も奪うのだ。

コンプライアンスが重視されるようになったのは、数々の問題と、辛酸をなめた人たちが流した血が切り開いた道だ。このドラマに描かれるように、今の時代にも問題点はあるが、昔はよかった的な安易な結び方にならないことを願いつつ、視聴を楽しんでいる。

②は古い価値観をアップデートしようと奮闘する中年男性の物語。この主人公は少なくとも、人を傷つけるような意図はなく、むしろひどいことを言われながらも生き抜いて、自分の時代においてとても一生懸命努力し、適応してきた人だ。ただ、確立した自分の価値観を柔軟にアップデートできないことによって、若手世代に嫌われてしまうような言動ばかりしていた。彼は今一生懸命自分を変えようとしている。まだ第3話までしか見ていないが、LGBTの息子との関係も少し改善の兆しを見せているようだ。あまり見るつもりがなかったドラマだが、好感を感じている。もちろん面白い。最後までしっかり視聴したいと思っている。

というわけで、昔は懐かしく、楽しいこともたくさんあったが、画一性を求める風潮が強すぎてとても息苦しかった。その中で封印してきた二大恨みもここで披露でき、こんな場があることもまたありがたい令和6年。余談であるが、最近ハマっている「おいしい給食」で、その昔不良中学生で「腐ったミカン」扱いされていたカトウマサルが理不尽な教育委員会の人役を演じ、給食好きな先生と中学生を困らせているのを見てまた隔世の感を否めないのであった。

理不尽に虐げられる人がいなくなり、虐げられたとしても乗り越えられる救いが多くの人にありますように。