ペンディングトレインが最終回を迎えた。

 

荒唐無稽かつ難解な話で、途中脱落しかけたが、ドラケン、いや山田裕貴さんの好演のおかげもあり何とか完走した。

 

何を言いたいドラマなのかなかなか理解できなかったが、最終回を見てたどり着いた結論は、現代文明を問うことを主題としていたのではないかということだ。芥川賞やアカデミー賞受賞作を読んだり、鑑賞したりした後に似ていて、「よくわからないけど、たぶんそんな感じ?」という疑問符は必須である。

 

現代の街から急に何もない山中に来てしまった現代人たちが、自然の中で当座をしのぐサバイバルをはじめ、やがて長期滞在を視野に入れた生活を築き始める。その様子はまさしく原始の生活で、あらゆる文明の恩恵を享受していた彼らも、ライフラインが何もない山中においては原子に戻る他に生き抜くすべはないということに唸らされた。

 

居合わせた数十人の人たちはそれまでは赤の他人。ただ、皆が力を合わせないと原始生活は成立しない。他人同士が徐々にコミュニティとなり、分け合いながら、支えながら生活していく。そこにもう一組の似たような集団が現れ、互いの利権をめぐって文字通り争いが起こる。どんなにシンプルな生活をしていても、自分たちを守るため、より多くを手に入れるため、人は争うのだ。

 

文明は無意味で、人間は本質的に生存するために争いを厭わない。簡単に原始的になるし、原始的になれなければ死ぬしかない。

 

ちょっと未来の現代に戻った後も、簡単に万事解決とはいかない。情報が氾濫する社会が彼らを傷つけるのだ。山田裕貴さんが最後の方でSNSやネット上の人たちに問いかけていた。「誰に向かって話しているのか?」と。確固たるあて先を持たないことも多いネット上のコミュニケーションの曖昧さと原始の森を共に生き抜いた仲間たちの絆の強さは明らかに対照的だ。

 

人類がテクノロジー開発を競った結果、人類が滅びる。すべてを失った人類が返ってくるのは結局ともに生き抜くアナログな人と人との絆である。。。

 

共感した人は、結構いるんだろう。そして私はドラケンさんへの好感度上昇がとまらない。