NHKの朝ドラ「舞い上がれ」で主人公の舞ちゃんと貴司君のもどかしい恋模様(?)に押しの強いファンの女性(秋月さん)が登場し、視聴者をはらはらさせている今日この頃。

秋月さんならずとも貴司君がもがきの中でたどり着いた静かな境地から紡ぎだされる短歌には心癒される。
中でも次の作品は劇中でも何度も登場する名作である。

君が行く 新たな道を照らすよう 千億の星に頼んでおいた

新しい道を進むとき、だれもが感じる不安や迷いをこんな風に和らげてくれる言葉がほかにあるだろうか。
星明りの淡さは頼りないものではあるが、「僕は応援しているよ」とか「僕はどんな時も君の見方さ」などと言われるよりも「なんか頑張れる気がする」という気分になるではないか。
子供のころから繊細な感性で舞ちゃんを思いやっていた貴司君ならではの応援メッセージであり、自分のためにこんな歌を詠んでくれる人がいれば勇気が湧いてくるに違いない。

そういえば昨夜の大河ドラマ「どうする家康」で、瀬名の母が「女には命をかけて守らねばならぬものがある」と言っていたが、この教えこそ彼女がいつの日か処刑される日まで心の支えとなることを予感させたのとシンクロするパワーワードだ。そう、相棒沼にはまって冬ドラマを見ていないくせに朝ドラと大河はちゃんと見ているNHK好きの私であった。

さて、短歌といえば先日百人一首に冬の終わり~早春、いわゆる光の春と呼ばれるようなこの季節の風物や感慨を詠んだものがないと書いたのだが、私は改めてこの理由について考えてみた。

百人一首に選ばれるような歌人の方々が生きた時代には今でいうダウンジャケットのようなとても暖かい防寒着もなく、かと言って毛皮のコートなどは肉食文化もない当時野蛮なものと考えられ、さらに床暖も、石油ストーブも、もこもこスリッパもなく、清少納言が「冬はつとめて…」などと言いながら用意した火鉢の炭火で暖を取っていたりしたのであれば、高貴な皆さんは引きこもり、ひたすら御簾の奥で「寒い、寒い」などと言って過ごしていたのではないかと得心がいく。

また、1月後半~2月に春を感じたり、光の明るさに変化を感じたりするには、長年にわたり四季を経験することが必要であり、医学が発達していなかった当時、40代ともなればこの世を去ることが多かったことを考えれば、そこまでの経験値を得るに至る方々は少なかったのかもしれないとも思う。暦の上で季節が変わるころにはすっかり、空気の中に次の季節の気配を感じているアラフィフの私も、若いころは2月上旬を立春と決めた人は何を考えていたのかとひたすら謎であった。

というわけで、百人一首に早春の歌がない理由を含め、先週末の雪に一句できそうでできない私の雑感である。ありがとうございます。