小室氏がニューヨークの弁護士試験に合格し、少なからぬ人の注目を集めた。

関係の皆様はほっとなさっただろうし、ジェンダーレス時代とともに消滅しそうな言い方だが、小室氏は男を立てたと言えるだろう。

 

さて、小室氏については数々の胡散臭さを感じてきた私だが、その一つに会見ではっきりと「私は眞子さんを愛しています。」と言っていた点が挙げられる。当時私は考えた。

 

「愛」って何・・・?

 

愛はドーパミンが引き起こす幻のようなものという意見がある。母親が子にそそぐ愛もまた、種の保存における育児本能、またオキシトシンなどホルモンの作用とも言える。個人的見解となることを恐れず言うとするならば、「愛」が何かよくわからない私たち日本人は、とかく「愛してる」などとは口にしないし、それを口にした時の不明瞭極まりない空々しい語感に気まずい(気恥ずかしい)思いをしがちであると認識する。

 

若いカップルの「愛」(尾崎豊の"I love you"のような)と、50年連れ添った夫婦が認識する「愛」もまた異質なものだと思う。ある翻訳者は"I love you"を「月がきれいですね」と訳したとか、訳さなかったとか、聞いたことがある。日本人にも愛という概念はあるのだろう。しかし、愛と呼ぶべき感情の定義はどうしてもケース・バイ・ケース、人それぞれになってしまう。

 

一方英語の”I love you”はもう少し日常的なものだ。今はこの言葉にもすっかり慣れているが、昔ハリウッド映画などで恋人たちが、また親子や友人間でさえ”I love you”が頻繁に用いられる様子に私は途方もない違和感を覚えていた。西洋の人たちにとって”I love you”は私たちが「愛」という言葉から抱くような未知の感覚ではなく、もっと身近で、「あなたは愛しい存在で、替えのきかない大事な人です。」とか「あなたのことをいつも思っています。」と言ったような意味合いなのではないだろうか。この「愛しい」は「愛」と同じ漢字を用いているにも関わらず、私的には理解の範囲内にある概念だが、皆さまはどうだろうか。

 

小室氏が「愛」という言葉を口にしたのは外国暮らしが長く、英語圏で生活しているからこその感覚だったのだろうか。大方の日本人は西洋人や西洋文化をちやほやしがちだが、日本人が日本語で西洋っぽいことを言うと「???!」となることが多い。

 

何が言いたいかと言うと、胡散臭さの一因は単なる異文化ギャップだったのか、とちょっと思ったということ。”I love 眞子さん”は「愛しています」ではなく、「かけがえのない方です」ぐらいにしておけばよかったのでないかという大きなお世話を焼きたかっただけだ。