「ちむどんどん」と言えばとてつもないダメ兄が世間で話題を呼んでいる。

私も視聴者の一人だが、あの兄が実在するとしたらきっと何らかの発達上のハンディキャップをお持ちの方と判断される。

恐らく私たちはフーテンの寅さんや、裸の大将の山下画伯を見てもそこまで「この人ヤバイ!」とは思わないはずだ。それは最初からそれなりの心の準備をして見ているし、その前提に立ち、周りが上手く彼らを受け入れ、カバーしているからだと考える。

しかし、ちむどんどんニーニーは視聴者をイライラさせる。
 

特徴としては十分本人の努力ではどうにもならない発達上のハンディキャップを持ったキャラクターなのに、特にそのような性質を持つ人として誰も認識していないので苛立ちと憤りが募っていく。演じている俳優さんもウザイ演技を心がけているようなので、視聴者に「この人ヤバイ!もういい加減にして!」と思わせることが制作サイドの意図だと思われる。


さらに穿った見方をすると、発達障害が周囲から認識されないとこういうこともあるという警鐘なのかもしれない。1970年代なので、そういう理解はほぼ皆無であり、辛い思いもしくは被害を受けた人は多かったと思う。そう考えるとやんばるの大自然と愛に満ちすぎた母親でさえも包み込み切れない賢秀のような人はかなり生きづらかったであろう。

とはいえ、ニーニーのダメさは発達障害を持つ方への理解を呼びかけたものなどではなく、主眼は炎上目的であると私は考える。

冬から春にかけ、私は「真犯人フラグ」という考察ドラマにはまった。
SNSでは考察合戦。私もいろいろな人の影響を受けながら、何度も同一回のドラマを見返し、Hulu会員にまでなり、ああでもない、こうでもないと奇抜な考察を繰り広げたものだ。
あのドラマも奇妙であり、私はまんまと制作側の術中にはまり、「わからない。わからない。イライラする。」などと思いながら視聴⇒再視聴⇒考察動画視聴⇒再視聴(たまに自分でも考察)というサイクルに余暇のほぼ全てを捧げていた。
考察ドラマはネットとコラボしたテレビドラマ振興の急先鋒となり、テレビ番組制作陣も注目しているはずだ。

一方考察ドラマばかりでは大衆は飽きる。
今の時代、ネットとコラボできる、考察ドラマではないコンテンツを検討した結果、行きついたのがこの炎上ドラマなのではないだろうか。

人はすごく感動すると発信したくなるものだ。SNSで前向きコメントが共有され、拡散されれば話題になり、視聴率などもアップする。なので人の心に触れる良いモノづくりは大変重要である。しかし、万人が「良い!」と思うものを作るのは、多様化が進む今の時代極めて難しくなっていることも事実だ。

一方多くの人に「ヤバイ!いい加減にしろ!」と思わせるのは比較的容易なのかもしれない。
そして人は「イライラする~」「こわい~」という思いもまた発信せずにはいられない。私は見たことがないが、「やんごとなき一族」の佐々木希さんの怪演も話題になっているようだ。


「やんごとなき一族」は若干キワモノの領域に入っているかもしれないが、ちむどんどんニーニーは、キワモノ領域に入るまでは行かず、朝ドラらしい情景や人情、爽やかさをかろうじて保ちながら炎上させている点で絶妙な匙加減なのかもしれない。
 

ニーニーや甘すぎる世間知らずのお人好し母、空気を読まない次女への批判コメントは結構盛り上がりを見せ、なんだかんだ言って視聴者をつなぎとめる鎹の役割を担うのだ。

というわけで、今回もいろいろ言っているくせに「ちむどんどん」にひきつけられている私。(好きな登場人物は大城オーナー)テレビっ子である。