数日前、ふとテレビをつけると「世界はほしいモノにあふれてる」のパーソナリティが鈴木亮平さんに変わっていた。

 

人選にはさぞやご苦労さなったと思うが、鈴木さんは違和感なくやわらかな存在感を醸していた。プレッシャーたるや相当なものであろうが、さすがである。

 

「西郷どん」を演じていらっしゃった時と比べてかなりスリムになられているが、親しみやすさは「西郷どん」同様だ。

 

この番組、タイトルからして物質的で、チャラチャラした商業主義の番組なのだろうと食わず嫌い状態になっており、テレビをつけた時にこの番組をやっているとすぐに別のものを見始めるという感じであった。「なぜこの番組は長く続いているのだろう」不思議に思っていたくらいだ。

正直一瞬しか見ないため、三浦さんもJUJUさんもとてもチャラチャラして見えた。(猛省)

 

三浦春馬さんが亡くなって、私は三浦さん関連のいろいろなものに興味を持つようになった。「世界はほしいモノにあふれてる」もその一つ。

 

とはいえ、もともと見る習慣がなかった番組なのでかろうじて最後の「感謝祭」を見たに過ぎない。またJUJUさんが何かの番組で涙をこらえながら「やさしさで溢れるように」を歌っているのを見て、近しい人を失ったJUJUさんの悲しみに思いを馳せたに過ぎない。

 

しかしながら、この番組がお二人の抜群のコンビネーションで、繊細な三浦さんと豪快なJUJUさんが世界中の守るべき宝(貴重な職人技や地域の特産物)を紹介していくものだとわかり、食わず嫌いの自分を悔やんでいる。

 

先日も、JUJUさんは豪快に「ガハハ」と笑っていたけれど、大きな悲しみを抱えて明るく仕事に取り組む姿を尊敬する。今まで、JUJUさんのおしゃれすぎるスタイル(あの帽子や、甘い歌い方、アイラインなど)はもはや中年(=私)の理解を超えたものだったけれど、今やとても愛すべき人として認識するようになった。昔JUJUさんのアルバムを一つ持っていたはずなのだが、見つからずがっかりだ。今度何かJUJUさんのアルバムを買ってみよう。

 

ともあれ、多くの人と同じように、ついつい三浦さんに関わることに目が行ってしまう。

 

当初三浦さんは私にとって謎の存在だった。

 

ある時から彗星のように現れ、テレビでしょっちゅう見かけるようになったさわやかな少年。

ジャニーズのタレントさんなのかな?と思っていたが、どうやら違うようだった。

 

「爽やか」に始まり「爽やか」に終わるイメージは大河ドラマ「直虎」の時も変わらず、「爽やかすぎて面白みがない?」などと浅はかなことを思っていた。(バカ、バカ!!)

 

三浦さんのイメージが変わったのは今年のゴールデンウイークにアマゾンプライムで「コンフィデンスマンJP ロマンス編」を見た時だ。”「爽やか」に始まり、「爽やか」に終わる人”という私の認識を覆すプロフェッショナリズムに圧倒された。あのチャラいジェシーをあんなにスマートに、軽薄に、それでいて憎めない感じに演じるなんてなんて実力のある俳優さんなのだろうと感心したのである。

 

それから数か月後に届いた訃報。

 

それからは既述の通り、三浦さん関係のものについつい目が行ってしまうという次第である。

 

ここ最近の記事も三浦さん関係。「日本製」も買ったし、「おカネの切れ目が恋のはじまり」の本も注文してみた。

 

「忘れないよ」とみんな言っているが、世代が変われば三浦さんを知らない人が多勢を占めるようになるだろう。現在多くの人が「佐田啓二?だれ?」と言うであろうのと同様に。

 

でも平成を生きた私たち世代は覚えていよう。稀有な俳優であった三浦さんのことを。